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「どうしました? 今日の西園寺さん、何か変ですよ」 「……っ」 一二三は何か言いたげに視線を彷徨わせているが、一向に言葉が発せられることもなく、もどかしそうに唇を噛んだり開いたりしている。 「えっと……?」 「今日はまだ……してないじゃないか」 「え……?」 何を? そう問いかけようとして、総一郎は彼の言葉の中に含まれた意図に気付いた。本当はキスなんてどうでもよくて、無茶ぶりに付き合わせた一二三への軽い嫌がらせのようなつもりだったのだ。 今日はデートらしい事もしたし、別にしなくてもいいのでは? なんて思っていたのに。 「もしかして……ずっと、キスしたかったんですか?」 「ッ、ち、ちが……っ」 慌てて否定しようとする一二三の唇を人差し指でなぞり、そのまま顎に掛けて持ち上げるとじわじわと首から赤く染まっていく様子が手に取るようにわかる。 言葉で否定はされるが、逃げようとはせず、総一郎の指先が一二三に触れることを甘んじて受け入れている素振りさえある。 「違うんですか?」 その様子があまりにも可愛くて、意地悪な聞き方をすれば一二三は唇を噛み締め、視線を彷徨わせた。 「……違……わない」 蚊の鳴くようなか細い声だが、確かに聞こえた肯定の言葉に総一郎は小さく笑い、そっと顔を寄せる。 一二三は逃げなかった。ただ静かに瞼を閉じて、総一郎が唇に触れるのを待っている。縋り付くような体勢でシャツを握り締めてくる指先が細かく震えているのが何とも言えない程にいじらしい。 その仕草に胸が甘く締め付けられる様な感覚を覚え、総一郎は戸惑いを感じながらもそっと唇を重ね合わせた。 軽く触れるだけですぐに離れ、至近距離で一二三の顔を覗き込むと、彼は薄っすらと瞼を持ち上げた。 長い睫毛に縁取られた美しい瞳が、熱を孕んでゆらゆらと揺らめいている。その眼差しは何処か切なげで、まるで恋人に対するそれのように甘く、熱い。 「……そんな顔、しないで下さい。勘違いしそうになる」 「えっ?」 自分達は仮初の恋人同士だ。 一二三の親や周囲を欺くためだけの、偽りの関係。 そこに、何か特別な感情なんてものは一切存在しない筈じゃないか。 それなのに、何故……そんな目で見るのだろう? 勘違いしそうになる。自分の都合の良い様に……解釈してしまいそうになる。 「勘違い、してくれてもいいのに……」 「……はい?」 長い睫毛を伏せて、一二三が小さな小さな声でそう呟いたような気がした。 聞き返そうとした瞬間、一二三は弾かれたように顔を上げ、総一郎から距離を取る。 「な、なんでもない! 今日は楽しかった!」 総一郎の言葉を打ち消す様に大声でそう告げると、一二三は、じゃあ……と言い残し、すかさず総一郎に背を向けると小走りに船内へ戻っていってしまった。 だが、ほんの一瞬垣間見えたのは、茹でたタコのように真っ赤に染まった彼の耳だった。 勘違いしてもいい……って、それはつまり――。 思い掛けない彼の言葉に、先程感じた甘い胸の高鳴りが再び強くなっていくのを感じる。 「……は……マジかよ」 一人取り残された総一郎は、彼の呟いた言葉を何度も反芻し、その場にズルズルとしゃがみ込んだ。 バクバクと心臓が早鐘を打ち、どうしよう顔が熱い。何だコレ。何なんだ一体……。 深く溜息を吐き、頭上に広がる夜空を見上げる。さっきまで薄雲に覆われていた空はいつの間にか晴れ渡り、大きな美しい満月が煌々と辺りを照らしていた。

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