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第8話
「やっぱりこういう場に慣れるのって無理だわ……」
オレは豪華な大広間の隅に立ち、小さくぼやいた。
第一王子の娘・リディア王女の誕生日パーティが開かれているのは、太い石柱が並ぶ宮殿の大広間だ。天井から吊るされた大きな鉄の輪にはたくさんの蝋燭が灯り、あたたかな光が広間をやさしく包んでいる。
上流貴族たちがそれぞれ正装で集まり、ワインを片手に談笑している光景は、オレからすれば別世界のようだった。彼らのドレスやスーツは、あまりにきらびやかで、まるで「見せびらかすために作られた服」って感じだ。動きづらそうで、全くオレの趣味じゃない。
「くそ、こんなところにオレを一人で放置するなんて……レオン殿下のやつ、マジで勘弁してくれよ……」
パーティが始まって早々、レオン殿下はこう言い残して姿を消した。
「少し政治的な話をしてくる。すぐに戻る」
それから一時間以上経つのに、まだ戻ってこない。ちくしょう。
会場の周囲を見ると、数名の騎士たちが警備についている。彼らの鎧は普段の実用的なものとは違い、儀礼用の装飾が施されたもの。しかし、その姿勢は少し緩んでいて、中には退屈そうに壁にもたれかかっている者さえいる。彼らの視線は宴の華やかさに逸れがちで、警備というよりは飾りのような存在だ。
「あぁ、あんな連中が騎士とは……」
オレは少し苦い気持ちで彼らを見た。こういう重要な場での警護役は、基本的に上流貴族の出身者が選ばれる。鍛錬も実戦経験も足りないくせに、家柄だけで選ばれた連中だ。昔はあんな退屈な立ち仕事なんてごめんだと思っていたけど、今になってみれば……騎士の立場を失った今、あの立ち位置さえも少し羨ましく思えてくる。
「セリル・グランツ殿ですか?」
突然、後ろから声をかけられて振り向くと、中年の貴族紳士が立っていた。
「ミュラー男爵! お久しぶりです」
オレはすぐに相手を認識して、丁寧に会釈をした。昨年の北部国境視察の際に会った人物だ。
「覚えていただけましたか。北部国境視察の際、少しだけお会いしましたね」
「はい、あの時はお世話になりました」
オレは笑顔で返した。暗記は苦手だけど、実際に会った人の顔と名前を覚えるのは得意なんだ。視察団のメンバーの中でも、ミュラー男爵は騎士たちに丁寧に接してくれた数少ない貴族だったし。
「それにしても、このような場所でお会いするとは意外です。地方の貴族の方がこのような宮廷パーティに招かれるのは珍しいことですが……」
その言葉に、オレは一瞬言葉に詰まった。確かに、普通なら自分みたいな下級貴族は、第一王子の娘の誕生パーティなんて場所にお呼ばれされる身分ではない。でも、今のオレはレオン殿下の婚約者という立場。けど、それをここで明かしていいのか、レオン殿下の方から正式に紹介するのを待つべきなのか……。
「その……実は……」
どう答えるべきか迷っていると、不意に背後から冷たい声が聞こえた。
「やはり噂は本当だったようだな。地方の田舎騎士がこんなところにいるとは」
振り向くと、そこには第二王子カイル・エルクレスト殿下が立っていた。
金髪に鋭い碧眼、端正な顔立ち──レオン殿下と似た風貌だが、その目に宿る冷たさと口元の傲慢さのせいで、彼とは全く違う印象を受ける。完璧に整えられた服装に、常に周囲を見下すような表情。その威圧的な雰囲気は、思わず周囲の貴族たちが距離を取るほどだ。
「カイル殿下……」
オレは深々と頭を下げた。内心では「また厄介なのが来たな……」と思いつつ。
「ふん、お前……独特な匂いがするな」
カイル殿下はオレに近づくと、意味ありげに言った。その目には明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。
「下賤なオメガが、王宮の正装パーティに紛れ込むとはな。警備も甘いものだ」
そう言って、彼は冷笑を浮かべた。周囲の貴族たちが興味深そうな視線を向けてくるのが分かる。
「いえ、オレは……」
言い返そうとしたが、カイル殿下はオレの言葉を遮った。
「私の弟が気まぐれで拾った捨て犬だと聞いているが」
その言葉に、オレは思わず拳を握りしめた。でも、ここで反抗的な態度を取れば、レオン殿下の立場が悪くなる。グッと我慢した。
「王族の婚約者として認められたいなら、まずはその野卑な言葉遣いを何とかしたらどうだ? そんな言葉遣いで……ああ、そうか。グランツ家といえば、辺境の未開地を治める家だったな。農民同然の暮らしをしていたのだろう?」
オレは深呼吸をして、平静を装った。自分のことを言われても我慢できる。でも……。
「我が家は代々騎士を輩出してきた名誉ある家です。農民などではありません」
「名誉? 笑わせるな。辺境の地を治めるだけの力もなく、王都に子供を売りに出すような家が、名誉を語るとは」
カイル殿下の言葉は、まるで毒を含んだ刃のように鋭かった。
「オレの両親は──」
怒りが込み上げてきた。もう我慢できない。どんな罰を受けても、言い返してやろう──
その時だった。オレの背後から、よく知る声が聞こえてきた。
「──カイル兄上、そのような言葉遣いは不適切だと思いますが」
冷静で凛とした声。振り返ると、そこにはレオン殿下が立っていた。
「レオン」
カイル殿下は弟を見て、軽蔑的な笑みを浮かべた。
「弟よ、こんなオメガを拾って婚約者にするなんて、お前もつくづく趣味が悪いな」
レオン殿下の表情は変わらず冷静そのもの。でも、オレにはなんとなく感じ取れた。彼を取り巻く空気がピリピリと緊張している。今のレオン殿下は怒りを抑えているのだろう。たぶん、ものすごく。
「セリルは私の婚約者です。彼に対する侮辱は、私に対する侮辱と同じです」
レオン殿下の声は静かだが力強かった。周囲の貴族たちがざわめく。おそらく多くの人にとって、オレとレオン殿下の婚約は初耳なのだろう。
「ふん、好きにするがいい。だが忘れるな、レオン。王族としての品格は自分で守るものだ。こんな汚れた血と関わると、お前自身の立場も危うくなるぞ」
そう言い残して、カイル殿下は立ち去った。
しばらくの間、周囲には重い沈黙が流れた。それから徐々に、人々は興味深そうな視線をオレたちに向けながらも、元の会話に戻っていった。
「大丈夫か?」
レオン殿下がオレに近づき、小さな声で尋ねた。彼の眼には珍しく心配の色が見える。
「ああ、全然平気ですよ。あんなの気にしません」
オレは明るく答えたけど、正直、心に引っ掛かるものはあった。自分のことならどう言われても笑い飛ばせるが、離れた地で暮らす両親の名が汚されるのを聞くのは別問題だ。
レオン殿下はオレの表情を見つめ、何か察するものがあったのか、心配そうに眉を寄せた。
「すまない、こんなに遅くなるつもりはなかった」
レオン殿下は真剣な表情で謝った。
「別にいいですよ。オレなんかより、王子としての務めの方が大事に決まってますし」
「いや、そうではない。私は——」
レオン殿下は何か言いかけたが、言葉を飲み込んだ。そして少し考えるような表情をした後、話題を変えた。
「カイル兄上のことは気にするな」
「分かってますよ。昔から彼はああいう人でしたから」
オレは軽く肩をすくめた。
カイル殿下といえば、昔からオレたち騎士の間でも評判の悪い人物だった。表向きは紳士的で政治的手腕も高いとされているが、部下に対する扱いは酷いらしい。特にオメガに対しては公然と差別的な発言をする。アルファとしての優位性を妙なプライドにしている典型的な人物だった。
騎士仲間からも「あの人の護衛になると、よく怒鳴られる」「気に入らないことがあると、剣を抜いて騎士に襲いかかることもある」なんて噂を聞いたこともある。
「あれを相手にするより、オレは剣で敵と闘ってる方がよっぽど楽ですよ」
オレの軽口に、レオン殿下はかすかに笑みを浮かべた。
「そうだな」
そう言って、彼はオレの肩に軽く手を置いた。その温もりが妙に心地よくて、オレは少し落ち着いた気がした。
「第一王子と今日の主役にお前を紹介したい。いいだろうか?」
「え?」
オレは思わず声を上げた。
「つまり、フリードリヒ殿下とリディア王女のところに?」
「そうだ。婚約者として正式に紹介しておきたい」
「マジすか……第二王子に続いて第一王子にまで謁見するなんて」
なんだか現実感がない。オレみたいな下級貴族が、一夜のうちに二人の王子に面会するなんて、普通なら考えられないことだ。
「ちょっと心の準備できてないんですけど……」
レオン殿下は少し優しい表情を見せた。
「心配するな。フリードリヒ兄上は私の兄の中では一番理解のある人物だ。リディア姪も可愛い子だぞ」
そう言って、レオン殿下はオレの背中を軽く押した。
「行くぞ」
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