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第9話

「行くぞ」  レオン殿下の背中について、オレは大広間の中央へと歩き始めた。さすがは第三王子、華やかな衣装をまとった貴族たちが、俺たちが通るとさっとよけていく。まるで王族専用の道ができたみたいだ。 「なんだか、みんな見てるんですけど……」 「気にするな。今日はそういう日だ」  そう言うレオン殿下の表情は相変わらず冷静だ。そりゃレオン殿下は兄に挨拶にいくだけの話だが、こちとら雲の上の人に挨拶に行くんだ。緊張しないわけがない。  前方に見えてきたのは、玉座に近い特設の高座。そこにいるのは、紛れもなく第一王子フリードリヒ殿下とその家族だ。さすが主賓ってところだけあって、招待客のほとんどは近づけない様子。特別に選ばれた貴族だけが挨拶に行けるような雰囲気がある。 「大丈夫か?」  歩きながらレオン殿下が小声で尋ねた。 「全然平気ですよ。多分ね!」  冗談めかして答えたけど、正直、心臓はバクバクだ。カイル殿下との一件で、もう精神的に消耗してるのに、今度は第一王子様だなんて。でもここで弱音を吐くわけにはいかない。オレは元騎士。どんな状況でも胸を張って前に進むのが騎士の心意気だ!  ……って、自分に言い聞かせながら足を前に出す。  高座に近づくにつれ、フリードリヒ殿下の姿がはっきりと見えてきた。レオン殿下より茶色に近い暗い金髪に、深い緑色の瞳。王族特有の品のある顔立ちだけど、レオン殿下やカイル殿下の鋭さとは違って、どこか優しい雰囲気がある。 「兄上、ご機嫌いかがですか」  レオン殿下が丁寧に一礼した。オレも慌てて深々と頭を下げる。 「レオン、来てくれたか」  フリードリヒ殿下の声は落ち着いていて、言葉は少なめだけど、威圧感はない。むしろ、カイル殿下とは正反対の穏やかさを感じる。 「紹介したい者がいます」  レオン殿下がオレを前に出した。 「こちらが、私の婚約者となるセリル・グランツです」 「え、えっと……セリル・グランツと申します。どうぞよろしくお願いいたします」  オレは緊張のあまり、声が上ずりそうになるのを必死に抑えた。ちなみに「見せかけの」って言葉は入ってない。あれ? なんで? 「グランツ家の息子か」  フリードリヒ殿下はオレをじっと見つめた。その目には特に軽蔑の色はない。 「お父上は立派な騎士だったな。王都防衛戦での活躍は素晴らしかったと聞く」  その言葉にオレは顔を上げた。 「え? 父のこと、ご存知なんですか?」 「ああ。貴公の父上は名のある騎士だった。忠誠心が強く、武勇に秀でた方だったと」  驚いた。父さんの若い頃のことなんて、オレもあんまり知らないのに、第一王子が父さんのことを知っていてくれるなんて!  カイル殿下とは大違いで、内心でフリードリヒ殿下の好感度が爆上がりしていく。 「ありがとうございます! 父も喜ぶと思います!」  つい元気よく言ってしまった。後で「礼儀作法がなってない」ってエドガーに怒られそうだけど、そんなの今はどうでもいい。父さんを認めてくれる人の前では、素直に嬉しさを表現したかった。  フリードリヒ殿下は微かに笑ったように見えた。その表情はどことなくレオン殿下に似ている気がする。 「しかしレオン、急に婚約者を連れてくるとはさすがの私も驚いたぞ」  そう言って、彼はレオンを見た。弟に見せる表情はどこか優しげだ。 (あれ? この人、オレたちの婚約が「見せかけ」だって知らないのかな……?)  オレは内心でパニックになってきた。レオン殿下は兄たちに「見せかけ」だと説明してないのか? 自分から言うべき? でもこんな公の場で言い出したら失礼になるよな……? どうすれば…… 「グランツ殿、これからよろしく頼む」  フリードリヒ殿下の言葉に、オレの思考は中断された。彼はオレを見て、穏やかに頷いた。 「は、はい! こちらこそよろしくお願いします!」  オレは慌てて返事をした。なんだか変な空気を感じる。みんな本気で婚約だと思ってる? オレとレオン殿下以外、みんな「見せかけ」って知らないのか?  その時、フリードリヒ殿下の隣から声がした。 「あら、レオン殿下。こちらが噂の婚約者さんですか?」  振り向くと、優美なドレスを着た女性が立っていた。第一王子妃だろう。おっとりとした物腰で、王族の配偶者というよりは、どこか庶民的な親しみやすさを感じる。 「はい、リネット王妃。こちらがセリル・グランツです」  レオン殿下が改めて紹介した。 「初めまして、セリル様。レオン殿下を幸せしてあげてくださいね」  王妃の優しい微笑みに、オレは緊張しながらも頭を下げた。 「えっと、こちらこそよろしくお願いします」  そして、王妃の隣から小さな人影が現れた。 「おじさま!」  元気な声で呼びかけたのは、小さな女の子。淡い金色のドレスを着て、父親と同じく暗めの金髪に利発そうな青い瞳が印象的だ。8歳というと、まだまだ子供なのに、その立ち居振る舞いには既に王族らしい気品がある。 「リディア、元気にしていたか?」  レオン殿下の表情が、少しだけ柔らかくなった。姪に対する愛情が垣間見える。 「はい! 今日はみんなお祝いしてくれて、とっても嬉しいです!」  リディア王女は弾む声で答えた。その後、オレの方に好奇心いっぱいの視線を向ける。 「こちらが、おじさまの婚約者様ですか?」 「ああ。セリル・グランツだ」  レオン殿下がさらっと言うと、リディア王女はオレを上から下まで観察し始めた。まるで珍しい動物を見るような目だ。 (うわ、やっぱり子供から見たらオレって変な存在なのかな……)  そう思っていると、彼女の顔に明るい笑顔が広がった。 「素敵な方ね! おじさまにぴったりだわ!」  彼女の言葉に、オレは一瞬言葉を失った。嫌悪感どころか、むしろ好意的な反応だなんて。 「あ、ありがとう」  オレは知らず笑顔になった。なんだか、この子、可愛いな。 「その……リディア様、お誕生日おめでとうございます」 「ありがとうございます! セリル様とお呼びすればよろしいですか?」 「え、いや、セリルでいいよ」  ついつい砕けた言い方になってしまう。後でまたエドガーに怒られるんだろうなと思いつつも、子供相手に堅苦しくするのも変だしな。  リディア王女はくすくす笑った。 「セリルさんは面白い方ですね! わたし、貴方のような方とお話するのは初めてです」 「ああ、男のオメガってことか? 確かに珍しいよな」 「それもですが、貴方のような騎士みたいな方とお話するのは初めてで」  リディア王女の言葉は年齢の割に丁寧だけど、その瞳には年相応の無邪気さが輝いている。  その間、レオン殿下はフリードリヒ殿下と何やら真剣な表情で話し始めていた。政治的な話か何かだろうか。二人の間には、兄弟とは思えないほどの緊張感がある。 「あの、セリルさん」  リディア王女がオレに声をかけた。 「実は少し退屈なんです。一緒にパーティを巡りませんか?」 「え、オレと?」 「はい、セリルさんと少しお話をしたくって」  その無邪気な笑顔に断る理由が見つからない。でも、王女様と二人で歩き回るなんて、オレみたいな者に許されるのか? 「レオン殿下、どうしたらいいですか?」  オレが尋ねると、レオン殿下はちらりとこちらを見て言った。 「エスコートしてあげなさい。この宮殿の中ならば心配ないだろう」  そう言って、彼は再びフリードリヒ殿下との会話に戻った。 (まじか、王女様のエスコート役かよ……)  でも、リディア王女が期待に満ちた瞳でオレを見上げるのを見ると、断る選択肢はないようだ。 「じゃあ、行こうか、リディア様」 「はい!」  リディア王女は嬉しそうにオレの手を取った。その小さな手の温もりに、なんだか不思議な気持ちになる。 「あっちのテーブルにはおいしそうなお菓子がたくさんあるんです!」  彼女に引っ張られるようにして、オレたちはパーティの中を歩き始めた。  不思議なことに、さっきまで感じていた周囲の好奇と侮蔑の視線が変わった気がする。王女様と一緒にいることで、周りの人々は微笑ましく見守るような目になっている。  居心地の悪さが少し減ったことに気づき、オレはほっとした。 「リディア様、おめでとうございます」 「リディア王女、素敵なドレスですね」 「お誕生日おめでとうございます、ご成長が楽しみです」  会場のあちこちで貴族たちがリディア王女に声をかける。彼女はそのどれにも凛とした態度で応え、丁寧にお礼を言う。まるで小さな大人のようだ。  だけど、オレに向けられる彼女の言葉は子供らしい調子に戻る。 「セリルさん、このケーキ、とってもおいしいですよ!」 「あの花の飾り、とってもきれいですよね」  王族としての振る舞いと、8歳の少女としての素直な一面。その両方を持ち合わせている姿に、オレは感心した。相当しっかりと教育されているんだろうな。  でも、あちこちで人々に囲まれている状況を見ているうちに、オレは少しずつ不安を感じ始めた。いくらここに来られるのは身分のしっかりした貴族だけだからって、身分の確かな人間が良からぬことを考えないとは限らない。  パーティの周囲を見回すと、配置されている騎士たちは相変わらず注意力散漫な状態だ。華やかなドレスの女性に目を奪われている者、友人と小声で話し込んでいる者……警備というより、飾りみたいなもんじゃないか。 (大丈夫かよ、これ……)  リディア王女の小さな背中を見ながら、オレは元騎士としての警戒心が湧き上がるのを感じた。 「そういえば、セリル様はどうして男の方なのに婚約者になったんですか?」  突然のリディアの質問に、オレは食べかけていたケーキを喉に詰まらせそうになった。 「えっと、それは……」  どう答えればいいんだろう? 子供にどこまで説明するべき? 「実はオレ、最初はベータだったけど、オメガになっちゃったんだ。それで騎士団を辞めることになって……元々はレオン殿下直属の騎士だったんだ」 「セリルさんは本当に騎士だったんですか? すごい!」  リディアの目が輝いた。 「じゃあ、レオンおじさまの部下だったのに、婚約者になったんですね?」 「まあ、そういうことになるのかな」 「元上司と元部下との恋愛なんて……!」  リディアは頬を赤らめた。どうやら何か誤解しているようだ。 「いや、そういうわけじゃ……」 「わたし、貴方たちの恋を応援します!」  リディア王女の目はキラキラと輝いている。 (こりゃどうしようもないな……)  訂正しようとしても無駄なような気がして、オレは苦笑するしかなかった。  しばらく歩き回った後、リディアは少し疲れた様子で言った。 「なんだか疲れてしまいましたね。少し休憩しましょう」 「そうだな。あそこに椅子にでも座ろうか」  オレは会場の端に置かれた椅子を指さした。リディアは頷き、共に人ごみから離れた静かな一角へと向かう。  クッションの敷かれた椅子に腰を下ろすと、パーティの喧騒が少し遠のいていくのを感じた。 「……あの、セリルさん」  リディアは少し迷うような表情をした後、声を潜めて言った。 「実はわたし、相談があるんです」 「相談? オレに?」 「はい。セリルさんはオメガだと言いましたよね。実はわたし……アルファらしいんです」 「え?」  オレは驚いて声が大きくなりそうになり、慌てて抑えた。 「最近の調べで判ったんです。父も母もベータなのに、わたしだけアルファで生まれてしまって……」  彼女の表情には、子供らしからぬ悩みの色が見える。 「それがどうかしたのか?」 「アルファの王族って、大変な責任があるんですよね? 特にわたしは……王家の血を引くアルファとして、将来、何を期待されるのか不安で……」  その小さな肩に乗りかかる重圧が想像できて、オレは胸が痛んだ。8歳の子供がこんなことで悩まないといけないなんて。 「そんなに心配しなくていいよ」  オレは優しく言った。 「オレなんて、第二性が急に変わって人生設計めちゃくちゃ狂ったけど、それでもまあ、なんとか前向きにやってる。第二性がどうあろうと、自分は自分なんだ。リディア様は、まず『リディア』という人間で、それからたまたま『アルファ』なだけだよ」  リディア王女は大きな目でオレを見上げた。 「わたしは、わたし……」 「そうそう! それに、アルファになったからって、急に何かが変わるわけじゃない。リディア様のやりたいことをやればいいんだよ」  彼女の表情が明るくなるのを見て、オレはホッとした。でも内心では、別の不安が浮かんでいた。 (第一王子の娘がアルファか……これで王位継承争いはさらに複雑になるな。こんな小さな子が政治の駒にされるなんて、想像したくもない) 「セリルさん、ありがとうございます。わたし、少し元気が出てきました!」 「それは良かった」  オレは彼女の頭を優しく撫でた。それほど年齢は離れていないけど、なんだか弟のアーサーを見ているような気持ちになる。 「ふふっ、お話していたら喉が渇いてきちゃいましたね」 「そうだな。飲み物を持ってくるよ。ここで待っててくれるか?」 「はい!」  オレはリディア王女を椅子に座らせたまま、飲み物のテーブルへと向かった。  華やかに着飾った人々の間を縫って進む。ジュースやワイン、水などが並ぶテーブルに近づきながら、リディア王女のために何を持っていこうか考えていた。  その時だった。  視界の端に、何か違和感のある人影が映った。  貴族風の装いをした男だが、その歩き方に妙な緊張感がある。視線は落ち着きなく辺りを窺い、まるで何かを隠し持っているような仕草だ。 (あれは……?)  オレは騎士としての直感がピンときた。あの男、普通じゃない。服の下に何か──よくないものを隠しているんじゃないか?  周囲の騎士たちを見たが、誰も彼に注意を払っていない。みんな宴会を楽しむ貴族たちに気を取られている。 (まずい……)  男の視線の先を追うと──リディアのいる方向だった。 「しまった!」  オレは取った飲み物をテーブルに置き、慌てて男の方へ向かった。 「すみません! 通してください!」  人混みをかき分けようとするが、談笑している貴族たちが邪魔で思うように動けない。 「おい、気をつけろ!」 「何だ君は!」  貴族たちにぶつかって、嫌味を言われる。 「すみません、本当にすみません!」  謝りながらも前に進むしかない。でも人が多すぎて、なかなか進めない。  その時、人込みの向こうからリディアの悲鳴が聞こえた。

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