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第11話

 執務室の扉を開けるとき、なぜか少し緊張した。 「懐かしいな……」  レオン殿下の執務室。何度出入りしたか分からないこの場所。前に来たのは、オレがオメガだと告げ、騎士を辞めると言った日だ。たった数週間前のことなのに、もう遠い昔の出来事みたいに感じる。  今日は驚くような晴天で、執務室の窓からは朝日がたっぷりと差し込んでいる。いつものように整然と並べられた書類、きちんと角を合わせて並ぶインク瓶。すべてがレオン殿下らしい秩序に満ちていた。 「セリル、入れ」  部屋の奥からレオン殿下の声が聞こえてきて、オレは深呼吸して扉を閉める。  レオン殿下は机に向かって書類に目を通していた。窓から差し込む朝日が彼の金髪を照らして、キラキラと輝いている。オレが入ってくると、彼は顔を上げて、ペンを置いた。 「おはようございます、殿下」 「おはよう、セリル」  レオン殿下はいつものように穏やかに答えた。 「今日はどんなご用件でしょうか?」 「こちらへ」  レオン殿下が手招きをすると、オレは机の前に進み出た。 「今日はお前に正式に任命したいと思う」 「任命?」 「そうだ。お前を私の護衛騎士として」  そう言って、レオン殿下は机の引き出しから小さな箱を取り出した。そっと開けると、中から金と銀で作られた美しい記章が現れた。 「おぉ……」  ちょっと感動して声が漏れる。それは今までの騎士団の記章とは明らかに違う。王家の紋章と、不思議な形の剣が交わるデザイン。そして、記章の裏には何か文字が刻まれている。 「これは……」 「お前のために特別に作らせた」  レオン殿下の言葉に、オレは息を飲んだ。 「でもオレはオメガで、騎士には……」 「護衛騎士だ。通常の騎士とは違う」  レオン殿下は立ち上がり、オレの傍に歩み寄った。 「実はお前を護衛騎士にする件について、評議会の議員たちに根回しをしていた」 「えっ、いつから?」 「お前が退職届を出した日から」  驚きのあまり、言葉が出なかった。あの日から? そんなに前から? 「でも、先日の事件のせいで全てが台無しになった」 「え? 先日の事件って……リディア王女とのあの事件のことですか?」  オレは慌てて尋ねた。でも、あのとき王女様を助ける以外の選択肢はなかったし…… 「いや、逆だ」  レオン殿下が振り返った。彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。 「お前が王女を救ったことで、評議会の面々は驚くほどすんなりと承諾した。議論する前に、もはや結論は出ていたようなものだった」 「マジですか!?」  声が大きくなった。そんな理由で? 「お前はつくづく私の予想を超える男だな」  レオン殿下の口調には、非難というよりは……なんだろう、暖かいものが感じられる。 「それで……護衛騎士って、具体的にはどんな?」  オレは首を傾げた。護衛騎士という言葉自体は知っているけど、詳しいことは知らない。 「通常の騎士は、国の民全体を守る使命を持つ」  レオン殿下が説明を始めた。 「対して護衛騎士は、何よりも護衛対象を守ることを前提として動く。つまり、私を守るのがお前の最優先事項だ」 「あー、なるほど」  それって普通に言えば、ボディーガードってこと? 「本来なら王族しか立ち入れない場所や会議にも、私の護衛として同席が許される。そのため、高い忠誠心と機密保持能力が求められる」  オレは頷いた。王宮の奥深くまで立ち入れるってことか。それって結構すごいな。 「でも、殿下ほどの方に護衛って必要なんですか?」  オレは素直な疑問を口にした。 「殿下、剣の腕前も相当なものじゃないですか。騎士団時代、試合したこと何度かありましたけど、3回に2回は負けてたし」  レオン殿下は少し意外そうな顔をした。 「覚えていたのか」 「もちろんですよ! オレ、あのとき本気で悔しかったですから」  オレは力強く頷いた。実際、レオン殿下は剣の腕がすごくて、試合の時はいつも緊張したんだ。 「護衛対象のほうが強いって、なんか変な気もしますけど」  オレは照れくさそうに言った。 「まあ、この前みたいに身を呈して守ればいいってことですよね!」 「……またそんな真似をするつもりか?」  レオン殿下の表情が真剣になった。 「お前が毒矢を受けた時のことは今でも鮮明に覚えている。もう二度とそのような姿は見たくない」  その言葉にちょっと驚いた。レオン殿下、そんなに心配してくれてたんだ。なんかちょっと嬉しい。 「あー、あの時はちょっとやりすぎましたかね。でも、それが騎士の務めっていうか、それこそ間違いなく護衛騎士の仕事じゃないですか?」 「それはそうだが……」  レオン殿下の声が途切れた。なんか言いたそうだけど、言葉にならないみたい。珍しいな。 「……ところで」  レオン殿下は話題を変えた。 「次の任務だが、東部の国境要塞の視察に行きたい」 「東部の要塞!?」  オレの顔がパッと明るくなった。外出! しかも要塞視察! 「マジですか? いつ行きます?」  レオン殿下は少し笑みを浮かべた。 「そんなに嬉しいのか?」 「もちろんですよ! ここ数週間、ずっと宮殿の中にいて、正直窮屈で窮屈で……」  オレはつい本音を漏らしてしまった。宮殿は豪華だけど、外を自由に駆け回れないのは辛かった。 「あ、でも宮殿が悪いとか、そういうわけじゃなくて!」  慌てて訂正する。レオン殿下は軽く手を振った。 「気にするな。理解している。お前は自由に動き回ることが好きな性分だからな」  その言葉にホッとした。本当にレオン殿下はオレのことを分かってくれてる。 「ちなみに、あの要塞って1年前に一緒に行ったところですよね?」 「覚えているか」 「もちろんです。あの時は……」  言葉が途切れた。そう、まさしくその視察の時、オレはレオン殿下を狙った矢を受けて、毒で高熱を出したんだ。 「あの時のことを考えると、また行くのは……」  レオン殿下の表情が曇った。彼は今でもあの出来事を苦々しく思っているみたいだ。 「大丈夫ですって! オレはあのこと、特に気にしてませんよ」  オレは明るく言った。本当に気にしてないし。 「それより、出発はいつです?」 「3日後だ」  レオン殿下は少し考えている様子だった。そして、何か言いたそうに口を開いた。 「ところで、セリル……」 「はい?」 「最近、体調はどうだ?」  その質問に少し意外な気がした。 「体調? いたって元気ですよ!」 「そうではなく……」  レオン殿下は珍しく言葉に詰まる。 「……オメガとしての体調のことだ」 「あ……」  オレはようやく理解した。オメガになってからの体調のことを気にしてくれているんだ。 「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。抑制剤をきちんと飲んでますし」 「抑制剤?」  レオン殿下の眉が上がった。 「ああ……オレはまだオメガになったばかりでヒートが安定しないんで、しばらくは抑制剤を飲み続ける必要があるみたいなんです」  説明すると、レオン殿下の表情が一変した。 「抑制剤を常用しているのか?」 「ええ、まあ……」 「それは体に良くないと聞いている。副作用も懸念されると」  レオン殿下の声は、明らかにオレを心配する声色だった。 「いやいや、大丈夫ですって。オレ、副作用あんまり出ない体質みたいで」 「それでも継続的な使用は避けるべきだ。本来オメガは、ヒート期に合わせて必要な時だけ抑制剤を使用すべきと医師から聞いている」 「でも、突然のヒートとか心配だし……」 「──今すぐ知り合いの医者に診せる。立てるか?」 「え? いやいや、王族のかかりつけ医なんて、恐れ多いですよ!」  オレは慌てて拒否したけど、レオン殿下は聞く耳を持たなかった。 「紹介したいのは医者ではない。厳密には研究者だ」 「研究者?」 「そう。魔素と第二性の関係について深い知識を持つ人物だ」  レオン殿下はオレの腕を軽く掴み、ほぼ強制的に部屋の外へと促した。

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