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第12話

「こっちだ」  レオン殿下は王宮の東翼と呼ばれる一角へとオレを連れていく。緊張して歩くオレの横顔を、彼は時折チラリと見てくる。  オレは正直ちょっと不安だった。突然医者に連れていかれるなんて。しかも、魔素の研究者だって? なんだか凄そうな人に診てもらうんだよな。 「どんな人なんですか? その研究者って」 「いずれ分かる」  レオン殿下の答えはいつもの素っ気なさ。う~ん、もう少し情報欲しいなぁ。  王宮の中をどんどん進んでいくと、だんだん人が少なくなってきた。こんな場所があったとは。騎士時代も王宮内をうろうろしていたけど、ここまで奥深くに入ったことはなかった。 「到着だ」  レオン殿下が立ち止まったのは、古めかしい木製の扉の前。他の宮殿の扉と違って、装飾も特になく、むしろちょっと地味な感じ。それだけにここだけ浮いているようにも見える。 「失礼するぞ」  そう言ってノックもせずにレオン殿下が扉を開ける。いきなり入って大丈夫なのか?  扉の向こうに広がる光景に、オレは息を呑んだ。 「うわ……」  それは、まさに「カオス」としか表現できない空間だった。床から天井まで積み上げられた本の山。壁一面に貼られた図や記号だらけの紙。いくつもの机が不規則に配置され、その上には奇妙な形の瓶や器具がごちゃごちゃと乗っている。  この王宮の中で、唯一と言っていいほど整っていない場所だ。 「片づけろと何度も言ったのに……」  レオン殿下が呟く声には、どこか諦めの色が見える。  部屋の奥では、一人の人物が山のような書物に囲まれて何やら作業している。長い赤みがかった髪を無造作に束ねたその後ろ姿は、周囲の混沌とした風景と不思議と調和していた。 「あー、でもここの魔素濃度だと、安定しないよなぁ……いや、でも理論上は可能なはずだけど……うーん……」  男はブツブツと呟きながら、何冊もの本を同時に開いては、メモを取ったり消したりしている。その集中具合はすごい。オレたちが入ってきたことにも全く気づいていない。 「アドリアン」  レオン殿下が声をかけるけど、反応なし。 「アドリアン!」  今度はもう少し大きな声で。それでも男は振り向かない。 「アドリアン!!」  ようやく三度目の呼びかけで、男はハッとした様子で顔を上げた。 「え? あ、だれか来たの?」  振り向いた顔を見て、オレはつい見とれてしまった。  ……えっ、この人イケメンすぎない?  整った顔立ちに、澄んだ暗緑色の瞳。レオン殿下と同じ系統の貴族的な雰囲気を持ちながらも、その雰囲気は優しげだ。レオン殿下が氷だとしたら、この人は温かい炎のような印象だ。 「アドリー、いつまで夢中になってるつもりだ?」 「レオ!? え、いつの間に来たの?」  男──アドリアンと呼ばれた人物──は驚いた表情で立ち上がった。  ……アドリー? レオ?  なんだこの呼び方。まるで幼なじみみたいな親しさじゃないか。レオン殿下がこんな風に親しげに呼ばれているところなんて、見たことない。 「ノックしたのに反応がなかったから入った。相変わらずだな」  レオン殿下の口調は、いつもの厳格さはどこへやら。明らかに砕けた感じだ。 「ごめんごめん。ちょっと面白い資料見つけちゃってさ。それで……」  アドリアンは髪を軽く掻きながら申し訳なさそうに笑った。その仕草が妙に魅力的で、知らず見入ってしまう。 「あれ、誰? この人」  アドリアンの視線がオレに向けられた。その目は好奇心でキラキラと輝いている。 「紹介しよう。セリル・グランツだ。私の……」 「婚約者です」  オレが咄嗟に答えた。見せかけとはいえ、その立場でここに来ているのだから。 「え!? レオの婚約者!?」  アドリアンの目が丸くなった。彼は机を回り込むとオレに近づき、じっと顔を覗き込んでくる。近すぎる! 「レオが婚約!? いや、レオ、お前が婚約するなんて思ってもみなかったよ!」  アドリアンはにやにやしながらレオン殿下を見た。その表情はまるで弟が初めて恋人を連れてきたのを見た兄のようだ。 「……初めまして。セリル・グランツと申します」  オレは丁寧に挨拶した。礼儀作法はエドガーに叩き込まれたからね。 「アドリアン・ヴァルトハイムだ。よろしく、セリル!」  アドリアンは明るく笑いながら手を差し出した。その手を握ると、ほんのり温かい。 「しかし、ついにレオが誰かを連れてきたなんて! しかも男性! こんなにいい感じの!」 「うるさい。診察をお願いしたいと言っただろう」  レオン殿下は珍しくぶっきらぼうに言ったけど、うっすらと頬が赤くなっているような気がする。 「あれ、待って。婚約者なのに診察……?」 「正式に紹介しておく」  レオン殿下が少し咳払いをした。 「こちらはアドリアン・ヴァルトハイム。私の従兄にあたる。魔素と第二性の研究を専門としている」 「従兄……?」  つい二人の顔を見比べてしまう。確かに、雰囲気は似ている気がする。性格は正反対みたいだけど。 「レオン殿下のご親戚だったんですね」 「そうだよ。でも、血はつながってるけど、性格は似てないよね」  アドリアンは楽しそうに笑った。 「それで、診察ってどういう……」 「セリルには少し特殊な事情がある。かつてはベータだったが、ある事件をきっかけにオメガになった」  レオン殿下の説明に、アドリアンの表情が一変した。好奇心いっぱいの顔から、鋭い研究者の目へ。 「ベータからオメガに?」 「ああ。しかも現在、抑制剤を常用している」 「常用!?」  アドリアンが驚いた声を上げた。 「彼の体質を詳しく調べてほしい。適切な処方も含めて」  レオン殿下の要請に、アドリアンは真剣な表情で頷いた。 「なるほど、それは確かに調べる必要があるね」  アドリアンはオレを上から下まで観察するように見つめる。その目には科学者特有の鋭さがある。 「ねえ、セリル。レオはどうやってあなたと知り合ったの?」  突然そんなことを聞かれて、少し戸惑った。 「オレはレオン殿下の近衛騎士でした。元は」 「へぇ、君、騎士だったんだ」  アドリアンが驚いた様子で尋ねてくる。 「ええ、まあ。でもオメガになったから辞めることに……」 「そうか、だからレオのところに……あ、でも婚約って……」  アドリアンの言葉を、レオン殿下が遮った。 「余計な詮索はよせ。今は彼の体調が優先事項だ」 「あはは、ごめんごめん」  アドリアンは笑いながら、部屋の隅に向かって歩き出した。 「とりあえず診察しようか。こっちおいで」  アドリアンが指し示したのは、山のような物が乗った……ベッド? らしきものだった。 「あ、ちょっと待って!」  アドリアンは慌てて、ベッドの上のものを豪快に払い落とした。書物や瓶、奇妙な形の金属片などが無残に床に落ちる音がする。 「さあ、ここに座って」  オレは恐る恐るベッドに腰掛けた。 「まずは服を脱いでもらおうかな。触診するから」 「え、脱ぐんですか?」 「上半身だけでいいよ。魔素の流れを診たいから」  アドリアンは何かの道具を取りに行きながら言う。レオン殿下の方を見ると、彼は腕を組んで壁に寄りかかっていた。どうやら出て行く気配はない。 「あ、あの……」 「あれ? レオ、お前まだいたの?」  アドリアンが振り返って、ぶっきらぼうに言った。 「私に出て行けと?」 「そうだよ。診察室に余計な人はいらないよ。特に患者が診察を受けにくい状況は作りたくない」 「……だが」 「いいから外で待ってて。終わったら呼ぶから」  レオン殿下は明らかに不満そうな表情をしたけど、渋々と頷いて部屋を出て行った。その後ろ姿が妙に寂しそうで、何だか笑いそうになった。

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