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第13話

「じゃあ、服を脱いでね」  アドリアンは手慣れた様子で、オレに背を向けて何かの道具を調整し始めた。オレは仕方なく、上着を脱ぎ、シャツのボタンを外していく。 「あの、アドリアンさん」 「アドリアンでいいよ。レオの婚約者なんだし」 「あ、はい……アドリアン」  少し照れくさいけど、親しみやすい感じはありがたい。 「レオン殿下って、昔からあんな感じなんですか?」 「どんな感じ?」 「こう、几帳面で、堅苦しくて……」  アドリアンは笑いながら答えた。 「ああ、子供の頃からそうだよ。レオは幼い頃から王族としての責任を強く意識していてね。特に母親──あいつの母親からは、厳しく育てられたらしい」  オレは頷いた。なるほど、だからあんなに完璧主義なんだ。 「でも本当は、内面がすごく熱い子なんだよ。感情を表に出すのが苦手なだけで」  アドリアンはオレのところに来て、背中に何かの器具を当て始めた。冷たくて、思わず身震いする。 「じゃあ、始めるね。リラックスして」  アドリアンの手が背中を優しく触れていく。何やら呪文のようなものを呟きながら、オレの背中の各所を押さえていく。 「ベータからオメガになった経緯を教えてもらえる?」 「あー、それは……東の国境砦での戦いで、レオン殿下をかばって毒矢を受けたんです。その後、高熱を出して数日間寝込んじゃって。熱が下がったら、オメガになってました」 「毒矢……」  アドリアンの手が一瞬止まった。その表情が複雑に曇ったのが見えた。 「どんな毒だったか分かる?」 「いいえ。医者からは特に毒についての詳しい説明はなくて」 「そう……」  アドリアンは何かを考えるように少し黙り込んだ。オレには分からないけど、何か気になることでもあるのかな? 「ヒートの感覚はどう? ベータの時と比べて体質の変化は?」 「ヒートは……まだ2回しか経験してないんですけど、すごく辛かったです。体が熱くなって、胸が苦しくて。あと、その……恥ずかしいですけど、欲求不満になるというか……」  ヒートの時の自分の状態は、思い出すだけで顔に血がのぼる。 「あと、ベータの時と比べると、匂いに敏感になりました。特にアルファの匂いには反応しちゃって……」 「なるほど。典型的なオメガの症状だね」  アドリアンは頷きながら、オレの首筋や胸に触れていく。その手つきは完全に医者のそれで、全く下心は感じられない。 「それにしても、体はすごく健康そうだね。ベータからオメガへの転換って、普通はもっと体に負担がかかるものなんだけど」  アドリアンは驚いたように言った。 「ああ、オレ、健康には自信あるんですよ。騎士時代も病気知らずでした!」 「君の場合、環境変化による適応能力が高いんだろうね」  アドリアンは感心したように言った。オレはそんな彼にふと疑問を投げかける。 「あの、質問してもいいですか?」 「どうぞ」 「オレはどうしてベータからオメガになったんでしょうか。そんなこと本当にあるんですか?」  アドリアンは少し考えるような素振りをした後、答えた。 「非常に稀なケースだけど、あるにはあるよ。特に魔素の濃い地域で、強いストレスを受けたときに起こることがある。君の場合は毒の作用もあったんだろうね」  そう言いながらも、彼の表情には何か言いよどむものが見える気がした。 「もう一つ。抑制剤についてなんだけど……」  アドリアンは真剣な表情でオレの目を見た。 「常用は良くないよ。副作用が出にくい体質だとしても」 「でも、突然ヒートが来たら……」 「それはその通りだけど、抑制剤の作用には限界があるしね。本来のヒートサイクルを無視し続けると、将来的にもっと激しいヒートが来る可能性もある」  オレは不安になって、唇を噛んだ。 「じゃあ、どうすれば……」 「本来なら、ヒートが来た時に信頼できる人に助けてもらうのが一番いいんだけど」 「助けてもらう?」  アドリアンは軽く咳払いをした。 「つまり、誰かとその……行為をするんだよ。それが一番自然な対処法で、体への負担も最小限に抑えられる」  オレは思わず顔を真っ赤にした。それは、意味は分かるけど……。 「そんな……オレに頼める相手なんていませんよ……」  まさか近衛騎士の仲間に「ヒートになったから手伝って」なんて言えるわけないし、貴族社会じゃそんなこと言ったら命取りだ。  そのとき、扉が開いて、レオン殿下が入ってきた。 「終わったか?」 「あ、レオ。ちょうどいいところに来た。今、抑制剤の話をしていたところだよ」  アドリアンがニヤリと笑いながら言う。 「結果は?」 「健康状態は非常に良好。ただ、抑制剤の常用はあまり勧められないね」  アドリアンの言葉に、レオン殿下は頷いた。 「やはりか」 「ヒートが来た時は、できれば信頼できる人に助けてもらうことを勧めたよ。つまり、誰かと」 「そんな相手いないって言ってるじゃないですか……」  オレが困ったように言うと、レオン殿下が真顔で答えた。 「私がいる」 「え?」  オレは思わず声を上げた。レオン殿下が……オレと……? 「当然だろう。私の婚約者なのだから」 「い、いやそれは見せかけの婚約であって……」 「見せかけ?」  アドリアンが首を傾げた。 「ええ、これは見せかけの婚約なんです。レオン殿下は婚約者がいないことでいろいろ問題があるらしくて、それをかわすための方便というか……」  オレの説明に、アドリアンはレオン殿下の方をチラリと見た。その表情には「へぇ~」という揶揄が含まれているようにも見える。 「そう……見せかけの婚約なんだ……」  なぜかアドリアンの声には、どこか含みがあるような気がした。彼はレオン殿下の方を見て、何かを確かめるような視線を投げかけている。 「とにかく!」  オレは話題を変えたくて、大きな声を出した。 「抑制剤はあんまり飲まないほうがいいってことですね?」 「そうだね。緊急時用に少し処方するけど、できるだけ使わないようにしてほしい」  アドリアンは薬棚から小瓶を取り出した。 「これは緊急用。ヒートの兆候を感じたらすぐに飲むといいよ。でも、できれば自然な形で解消する方法を……」  その言葉に、オレの頭の中は大混乱だ。レオン殿下とそんな関係になるなんて……想像するだけで頭がパンクしそうだ。あの完璧主義の王子様と……オレが…… 「セリル、顔が赤いようだが」  レオン殿下の声が耳に届く。 「い、いや、なんでもないです!」 「ヒートの前兆かもしれないから、気をつけてね」  アドリアンが冗談めかして言うけど、オレはますます赤面するばかり。  そんな時、ふと思い出したようにレオン殿下は言った。 「それと、アドリアン」 「なに?」 「三日後から東部要塞の視察に行く。二週間ほど留守にする」 「分かった。その間に毒矢のことも調査しておくよ」  アドリアンは何やら意味ありげな表情をしている。彼が何か隠していることは明らかだけど、オレには詳細が分からない。 「では、お二人とも外にどうぞ。二人の時間を邪魔したくないからね」  アドリアンのからかうような声に、オレはどう答えていいかわからなかった。レオン殿下は無表情のまま、オレの腕を掴んで部屋から出ていこうとする。  扉が閉まる寸前、アドリアンの声が聞こえた。 「レオ、頑張れよ~」  何を頑張るんだ?  完全に閉じられた扉の前に立ち、オレとレオン殿下の間に沈黙が流れる。なんだか妙な空気だ。 「あの……レオン殿下」 「何だ?」 「さっきの、その……ヒートのときのことなんですけど」  レオン殿下はオレの目をまっすぐ見つめた。 「私は本気だが、お前が嫌なら強制はしない」  その言葉に、オレの心臓がバクバクと鳴り始めた。まずい、なんでこんなにドキドキしてるんだ……? 「し、親切にありがとうございます。でも大丈夫です! きっと抑制剤で何とかなりますから!」  慌てて答えているオレを、レオン殿下はじっと見つめていた。その目には何か言いたげだったけど、オレにはその意味までは読み取ることができなかった。

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