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第5話 立花京子

 立花京子は看護学校の帰り道、懐かしいシルエットを見かけ、思わず足を止めた。  コンビニから出てきたその影は、ビニール袋を下げていた。  やや猫背気味ながら、180㎝は超えるであろう高身長。髪は端的に言うと、もさい。彼が髪に気を使っている要素があるとすれば、顔を隠すという一点のみだろう。  服装は、白いTシャツと裾のすぼまったジャージ。たいぶ着こなし難易度が高いアイテムといえるが、なんというか、絶妙にダサい。  しかし、京子は知っていた。彼の猫背やもさっとした髪の毛、古の時代デザインの眼鏡は、彼のスペックを隠すために厳選されたアイテムだということを。  京子は、彼、佐藤桃慈(とうじ)とは小・中・高と一緒であり、高校から擬態を始めたことを知っていた。逆高校デビューだろうか。そんなことをする理由まではわからないが。  京子は彼を見ると、いつももどかしい気持ちに襲われる。  髪をセットし、姿勢を正せば一気に垢抜けるとわかるからだ。くせのない顔立ちに、恵まれた身長、密かに鍛えられた肉体は、どんなアイテムでも着こなすポテンシャルを持っている。  猫背!と言いながら、背中はたきたい衝動を必死に抑えつつ、コンビニから歩み去る桃慈(とうじ)へ向かって小走りに近づく。 「佐藤君!久しぶり!」  おどろいたように目を丸くする桃慈(とうじ)に、京子はにっこりと笑いかけた。京子は自分の笑顔が他人に与える影響をよく知っていた。  ただの自慢ではあるが、京子は抜群にモテた。それは、自身のスペックを最大限に活かす努力を怠らないからだ。  スタイル維持は身だしなみのうち、メイクや笑顔は京子の魅力を引き出す武器だ。  手間暇かかることは事実だが、これも美しく生れた者の宿命と思っている。  なので、桃慈(とうじ)のようにスペックを活かしきれていない者を見ると、落ち着かなくはなるのだが、自身の矜持を相手に押し付けるような愚は犯さない。  「立花さん!久しぶり。  今、学校の帰り?」  他の男であれば、京子に対し、とろけるような表情を浮かべるところだが、桃慈(とうじ)の表情はいたって平静だ。  久しぶりに会った同級生に対する、模範的な表情。偶然だなー、久しぶりに会えてうれしいよー、というような。  けど、決してフラグは立たない。好意も反感も受け取らない。といった絶妙な塩梅。  これは偶然だろうか?それとも狙ってる?  京子が桃慈(とうじ)について気になるのはそこだった。  わざわざ前髪で相手に対して、シャッターを作っているにもかかわらず、人当たりは決して悪くない。なんだかアンバランスだ。 「うん。看護学校通ってる  佐藤君は東京の大学だよね」  京子にとって桃慈(とうじ)は、非常に興味深い存在だった。猿山の中に一人だけオランウータンが混じっているような、でも、誰も気が付いていないような違和感。  桃慈はこの世界を見ているようで、まったく違う世界を見ているような、こちらからコンタクトしたときだけ、水面から顔を出すようにこちらの世界に帰ってくるというような不可思議さがあった。   見えないバリアを張られているみたい  高校時代、何度も京子は思った。  そのバリアは、柔らかく、あまりに周りに馴染んでいるので、存在を認識されづらいが、たしかにそこにあるのだ。  柔らかなバリアは、相手にそうと気づかせぬままそっと押し戻す。  桃慈(とうじ)との高校時代を思い出すとき、京子の胸にはほろ苦いものが去来した。  京子は、桃慈(とうじ)の持つ袋にアイスクリームが二つ、入っていることに気が付いた。  彼女できたのかな……? 「急に引き留めてごめんね。  こっちにいる間に、みんなで会おうよ」  みんなでの部分にわずかに力をいれた。気づかれないくらいに、ほんの少し。  返事を待たず、じゃあねーととびきりの笑顔で踵を返す。 「立花さん!」  追いついてきた桃慈(とうじ)が、両手に持ったアイスを一瞬見比べると、 「これ、よかったらどうぞ」  今日暑かったし、勉強したあとって、甘いものほしくなるよねー、とにこやかな表情で差し出してきた。  京子は差し出されたアイスクリームを前に、わずかに身をこわばらせたが、すぐに笑顔を浮かべ、 「ありがとー!  でも、彼女さんの分じゃないの?私がもらったら、悪いよ」  差し出されたのは、いちご味のアイスクリーム。 「いいんだ。春橙のために買ったけど、春橙は食べられないし」 「……そっか。だったら遠慮なく私がいただくね」 「そうしてくれたら、春橙も喜ぶよ」  儚げな笑顔を浮かべる桃慈(とうじ)に再度礼をいい、みんなと会わせたいからとすかさず連絡先を交換した。  のらりくらりかわされるかと思ったが、拍子抜けするほどあっさりと連絡先をゲットすることができた。  去っていく桃慈(とうじ)の背中を何とはなしに見送りながら、お行儀が悪いと思いつつもアイスクリームの袋を開けた。  甘酸っぱいいちごの香りがふわりと広がる。  溶けていくスピードに負けぬよう、アイスクリームをほおばりながら、京子は一人ぽつりとつぶやく。 「はると……、はると……?  そんな名前の同級生いたかな……?」  沈んでいく夕日を背に、京子は家路を急いだ。

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