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第6話 天使 

 世の中には、人知の及ばない不思議な力が存在する。  急にそんなことを言うと、スピリチュアルの世界の人なんだねーとか言われそうだけど、そう感じるんだから仕方ない。  別に減るもんじゃないし、妖精だって妖怪だって、見えないけどいるって信じた方がずっと楽しい。もちろん、天使もね。  立花京子は、自室で日課のストレッチをこなしながら、ぐるぐると思考を巡らせていた。  今日は予想外の再開で気持ちが揺れるだろうからと、お気に入りの入浴剤やお気に入りのパジャマを用意したが効果はないようだ。  ……仕方ないなぁ  正直気が進まないことではあるが、今夜の気持ちのざわめきは、とことんまで付き合わないと収まりそうになかった。  風呂上がりの日課を終えた京子は、窓に接するように配置された勉強机に座った。  机の引き出しを開け、天板の裏に貼り付けてあった小さな鍵を取り出す。  透明だったテープは1年ほどの間に、茶色く変色していた。  京子しばし銀色の小さな鍵を見つめ、覚悟を決めたように一番下の引き出しの鍵穴に鍵を差し込んだ。  引き出しの中には、お菓子箱が入っていた。  もちろん、中身はお菓子ではない。  京子は爆発物でも扱うように、慎重に箱を取り出すと、机の上にそっと置いた。  二度三度と深く呼吸を繰返すと、意を決し一思いにがばりと蓋を取り去った。  知らぬ間に閉じていた瞳を開き、おそるおそる中を覗き込む。  そこには分厚く膨らんだ大学ノートが入っていた。  うあぁ……  目に入った瞬間、一気に高校時代の記憶が甦る。まるで当時に戻ったかのように鮮明に。  京子はノートの表紙を開いた。 『佐藤君に関する考察日誌』  思わずノートを放り出したくなった。  きつい。これは想像以上にきつい。  1行目からすでに大ダメージを負った京子だったが、はがれかけたかさぶたをいじるような嗜虐的な気持ちがさらに先に進ませる。  桃慈(とうじ)に関する日常の細かな情報や、京子の感想などがつづられている。  淡々とした文章で綴られたそれは、あくまで研究のためといった風を装っている。  ところどころにちりばめられたメルヘンなシールやハートマークがなければ、の話だが。  だいぶ浮かれてんなー  京子は全身を巡るむずがゆさに耐えながら、ペラペラとページをめくる。  落書きが書かれたノートの切端や修学旅行の写真、謎のメモ用紙、桃慈(とうじ)に関係するという共通点で結ばれたモノたちが、ところどころにはさみこまれている。  一つ一つ、思い出を確かめていると、ノートからはらりとカードのようなものがすべり落ちた。  身をかがめて、落ちたものを拾い上げるとそれは1枚のタロットカードだった。 「うわ!懐かしい~。ここにあったんだ」  一人はしゃぎながらカードを裏返すと、それは『デビル』のカードだった。  京子は、デビルの絵柄をまじまじと見つめていると、ふと、すとんと腹落ちする感覚を味わった。  わざわざこのタイミングで『デビル』のカードだけがでてきた理由。 「大丈夫。私はもうあの頃に戻ったりしないよ」  教えてくれてありがとう、とカードを胸に押抱いた。  カードはかつて京子に教えてくれたのだ。 『あなたはあなたであるだけで素晴らしい』 『あなたは価値のある人間だ』 『わたしたちはあなたのすぐ、思ったよりもずっと近くであなたを見守っている』 『あなたも私たちと同じ天使だ』  彼らの言葉は京子を地獄から救い出してくれた。  もちろんすぐに信じられるわけはない。いや、天使て。  そりゃあ、私は天使級にかわいいし、『君は僕の天使だ』なんて口説かれたことだってあるけどさ。  それでも彼らは何度も何度も何度も、手を変え品を変え執拗に繰り返した。 『あなたは天使だ』  そんなに言うならと、違う違うと否定し続けるのも器が小さいような、という気がして、少しずつ彼らの言葉を受け入れるようになった。  そこから京子の人生は大きく転換した。  大げさではなく。  本当に。  まぁ、今の人生がしんどいなあって思うならさ。  少しくらい信じてみてもいいんじゃない?って思ったりするのよね。  京子はデビルのカードを通じて、天使たちに語り始めた。  高校時代、引き出しに封じられていた、あの頃の思い出を。    

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