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第17話 愛の存在証明

 桃慈はクローゼットから久方ぶりにジーンズを取り出した。  クリニックを受診するのに、スウェットというわけにはいかない。  春橙と再会してからというもの、桃慈はコンビニに行く以外は常に春橙と自室で過ごしていた。  ジーンズを履いて、桃慈は異変に気付いた。  ウエストがゆるい。  ベルトをしないとずり落ちてしまいそうだった。  ちらりと春橙へ目をむけると、ベットの上で何やら窓の外を熱心に見ていた。  桃慈は春橙に悟られないように、クローゼットの中をあさり、高校時代の制服で使用していたベルトを見つけ出した。  ジーンズにTシャツ、黒いボディバックを身に着け、外出の準備を整えると、春橙のいるベットへと近づいた。  朝の光を受け、春橙の明るい茶色の髪の毛が金色に光っている。 「何見てるの?」  春橙は窓の外から目を離し、桃慈を見ると、 「海」 と答えた。  桃慈も窓の外へ目を向けると、道路を挟んだその先に砂浜と海が広がっていた。    太陽の光が反射して、きらきらと輝いている。  古くて狭い団地ではあるが、眺めは良かった。桃慈は海が見えるこの部屋が気に入っていた。 「帰ってきたら、一緒に海に行こうか?」 「行く!」  勢いよく振り向き、キラキラした目で見上げてくる春橙を、桃慈は抱きしめたい衝動にかられた。自分の腕の中に閉じ込めておきたくても、春橙には閉じ込めておく実体がない。  桃慈は咳ばらいを一つして、 「じゃあ、いってくるね」 と、部屋を出ようとして、春橙の「え……」という声に引き留められた。  左肩を引き、顔を春橙に向けると、 「いつもの……は?」  ベットの上で体育座りをした春橙が、伏し目がちにしている姿が目に入った。  桃慈は崩れそうになる膝と理性を、筋力と気力で支え、二人の約束事となりつつある「行ってきますのキス」をし、今度こそ部屋を出た。  クリニックではひとまず血液検査をし、一週間後に再受診する流れとなった。  そわそわと会計で名前を呼ばれるのを待ち、会計を終えると靴を履くのももどかしく外へと飛び出した。  たちまちむっとする熱気が全身を包み、汗が噴き出してくる。  じわじわと激しく鳴く蝉の声に追い立てられるように、桃慈は家路を急いだ。  早く春橙に会いたい  たった数時間でも春橙と離れていることが、耐えがたい損失のように感じられた。  桃慈は滴る汗もそのままに、ひたすらに足を動かしていた。  右足、左足、右足……  陽光を受け青々と繁る木々も、風にたなびく夏草の美しさも、目の前をよぎるオニヤンマも目に入らなかった。    桃慈の目には、心には、春橙の金色に輝く虹彩や透けるような肌、自身に向けられる笑顔だけがあった。  なぜかそんな桃慈の足がピタリと止まった。  怪訝に思い、顔を上げると、そこは子どもの頃によく通ったスーパー……というより個人商店に近い小さな店だった。  パートのおばちゃんたちが作る総菜が美味しいと評判で、めぼしい総菜は夕方前には売り切れてしまうので、桃慈はときおりおつかいを頼まれていた。  春橙とラムネを買った思い出の店でもある。  桃慈はそのまま店内へと足を踏み入れた。  きんきんに冷えた店内の空気が、汗に濡れた桃慈の体温を奪う。桃慈は身をすくませながら、雑多に商品の置かれた狭い店内を移動した。  白い発泡トレーに大量に詰められ、ラップされた赤ウィンナーを見つけ、思わず顔がほころぶ。  なつかしー。これ母さんも好きなんだよな。ビールのつまみにいいとか言ってよく食べてたっけ。  量り売りの総菜コーナーはデパ地下のようなおしゃれさはないものの、何やら懐かしく、桃慈の心を安らがせた。  桃慈は飲料コーナーへと進み、瓶入りのラムネを一本手に取ると、レジへと向かった。  桃慈は自室のドアを2回ノックし、「はるとー、ただいまー」と声をかけてから、扉を開けた。  部屋に入った瞬間、ひんやりとした空気が桃慈を包む。  桃慈の首に腕をまわし顔を埋める春橙の、柔らかそうな髪に頬を寄せる。そっと、春橙の背中に腕を回し、彼を抱きとめる。手に持ったビニール袋ががさりと音をたてた。  もし、春橙が生きていたら、髪の毛からはどんな匂いがしたのか、桃慈は考えずにはいられなかった。甘いシャンプーの匂い?整髪料の匂い?それともすこし甘酸っぱい汗の匂い? 「……おかえり」 「ただいま、春橙」  顔を伏せたままの春橙の表情はうかがえない。抱きつく腕に込められた力もわからない。それでも桃慈には春橙の必死さがわかるような気がした。  もし、今君を強く抱きしめることができたなら、君の不安を消すことができたかな? 「春橙、愛してるよ」  せめて伝えさせてほしい。それが今のオレにできる精一杯だから。  

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