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第18話 思い出の味

「春橙。  ラムネ買ってきたからさ、海で一緒に飲もうよ」  春橙をなだめるように、努めて優しい声を出す。 「……ラムネ?」  ずっと顔を伏せていた春橙が少しだけ顔を上げた。目のふちが赤いのは泣いていたのかもしれないと思うと、桃慈の胸はずきりと痛んだ。  これからは外出を極力控えなければと密かに決意する。  桃慈は手に持ったビニール袋をガサガサと音をたててふってみせる。 「懐かしいだろ?よく二人で飲んだよな」 「「キリギリスおじさん!」」  春橙と桃慈の声が重なる。 「そうそう!キリギリスおじさんからもらった100円でさー」  目線を斜め上に向けながら、過去の奇妙な男性との思い出に思いを馳せる。  そんな桃慈を見つめ、春橙は少し表情をゆるめた。  桃慈は春橙に視線を戻し、 「海、行く?」 と柔らかなトーンで聞いた。 「……いい」 「……そっか……  じゃあ、ベット行こうか」 ………… 「違うから!!」  春橙から離れた勢いで部屋の外に飛び出した桃慈。両手をぶんぶん振りながら、「そういう意味じゃなくて」、「違うんだ」と顔を赤くしたり青くしたりしながらわめいている。  春橙はそんな桃慈をきょとんとした顔で見ていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。  桃慈も、バツの悪そうな顔で部屋に戻ると、後ろ手でドアを閉めた。 「慌てすぎだろ!桃慈の顔ったら……」  息も絶え絶えに笑う春橙を複雑そうな表情で見守る桃慈。 「……ベットから海見ようって言いたかったんだよ」  それでも笑いの発作が治まらない様子の春橙を、すねたように一瞥すると、ベットに座り 「春橙なんてほっておいて、ラムネのもーっと」 と、大きな独り言をもらす。  春橙はさすがに笑うのをやめ、ベットの桃慈へと這い寄った。 「悪かったよ」  と、上目遣いで謝り、桃慈の隣に寄り添うように座った。  桃慈は窓の桟にラムネの瓶を置くと、左手で瓶を固定し、右手で栓を押し込んだ。  コンっという軽い音がして、じゅわわと炭酸が立ち上る。ラムネがあふれ出ないように、栓をおさえたまま、炭酸がおさまるのを待つ。  春橙はそんな桃慈の真剣なまなざしを見ていた。 「できた」  桃慈は得意げにラムネをかざし、春橙を振り返る。  太陽の光を浴びてきらめくラムネの瓶と、逆光で表情の見えない桃慈に微笑み返した。  レースのカーテンが、風にあおられ大きくゆらぐ。  二人でなんとはなしに、窓の外を見る。海岸沿いに伸びる舗装された遊歩道を、老夫婦がゆったりと歩いている。 「オレたちもさ、あんなふうに手をつないで歩こうよ」 「……おれはこのままだよ」 「いいじゃん。若い子連れていいねって羨ましがられるよ」  桃慈の軽口にしょうもな、と顔をしかめて返す。  桃慈がぐびりと瓶を傾けてラムネを飲む。天井に向かってそらされた、汗ばんだ首筋に視線が吸い寄せられた。 「……どんな味?」 「え?」 「ラムネ……、どんな味か知りたいんだ」 「……飲んだことあるだろ?」  訝しげな桃慈の視線から逃れるように、視線をそらす春橙。 「……忘れちゃったのかな。ずいぶん飲んでないし」  その答えに一瞬顔を強張らせた桃慈だったが、すぐに明るい笑顔を浮かべた。 「そうだなぁ……  案外難しいな……、ラムネ……しゅわしゅわしてて、甘くて……はじける?」  眉間にしわをよせ、考えながら言葉を絞り出す。  春橙はそっと桃慈の左肩にもたれかかると、 「ねぇ、あれ見せてよ」 と言った。  桃慈は首から下げた小さな小袋をTシャツの下から引っ張り出した。  巾着型の袋から、二人の約束のびい玉をそっとつまみ出す。  桃慈はその緑とも青ともつかない不思議な色のそれを、窓から入る光にかざした。  日の光を受けたそれは、また色を変えた。曇りなく磨かれたびい玉の透明感のある美しさに、二人はしばし目をうばわれた。  耳をすませば、遠い波音すら聞こえそうな静寂をやぶったのは ぐうううううううううううぅぅぅぅぅぅぅ 桃慈の盛大な腹の虫の音だった。 「マジかよ」  顔を赤くする桃慈をちょっと身を引きながら揶揄する春橙。 「仕方ないだろ!生理現象なんだよ!」 「今日は本当にかっこつかないなー」  けたけたと楽しそうに笑いながら春橙が言う。  恥ずかしさに憮然としながらも、これでいい、桃慈はそう思った。  オレたちは、これでいい。仲のいい親友のように、この先ずっと時を重ねていけたら、そんな幸せはないのだから。

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