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第33話 きれいはきたない きたないはきれい

 シロは春橙(はると)にこれまでのことを話すように促した。春橙の言葉を桃慈(とうじ)が京子や大神にもわかるように通訳する。 「教えてください。おれが願ってしまったアレは何者なんですか……?」  春橙が恥じ入るような沈痛な表情でシロに尋ねる。 「あれは感情も知性もないただの化け物だ」  シロが汚いものを見たというように、顔を歪ませて答える。 「でも……姿は見えないけど、人間みたいだった。人格がある……」  シロは春橙の言葉に、心底嫌そうに説明を始めた。 「あれは生物の生み出す負の感情のごった煮、寄せ集めだ。  本能のままに動き、光るもの、輝かしいもの、お主のように美しく純粋な魂に引き寄せられる。  しかし、ふれること、近づくことができない。  だから、汚し、穢したい。自分たちの手の届くところまで引きずりおろそうとする。  質の悪いことに、人の弱さ、弱点、どこを責めればいいのかを熟知している」 「お前はアレに力の一部を与え、びい玉を渡したな」 「……はい」  消え入りそうな春橙の声。桃慈が気づかわし気に春橙を見つめ、弱弱しいながらも微笑み返す春橙。 「ならば、桃慈は死ぬ」  ひっと京子が短い悲鳴をもらす。口を押え、もれそうになる声を封じている。  シロの言葉が春橙の耳に届く。春橙の表情が微笑みの形のまま固まり、ゆっくりと表情が消えていく。 「おい」  大神がシロに非難を込めた眼差しを向ける。 「本当のことだ」 「お前……」  立ち上がり文句を言いかけた大神を、桃慈の穏やかな声がとどめる。 「オレは大丈夫です。それで春橙の元に逝けるのなら」  桃慈は春橙を見つめながら、顔をほころばせる。  シロは天井を仰ぎ、ため息をついた。 「話は最後まで聞け」  お前もだと、大神の作務衣の裾を引き座らせると、再び語り始めた。 「このままでは、桃慈は死ぬ。今は生命エネルギーが全てヤツに流れ込んでいる状態だ。  ……そのびい玉を通してな」  春橙と桃慈は同時に、桃慈の胸元を見る。二人の誓いのびい玉がある場所を。 「止める方法はないんですか?」 「ヤツらを散らしてしまえばいい」  我慢できないというように京子が口を挟み、シロが事もないというように返す。 「じゃあ!なんでこんなとこでのんびり……あ、できないんですか?」 「たわけ!私を誰だと思っている!」  煽りスキルの成長著しい京子。シロの雪のように白い肌に朱が差した。 「春橙はどうなるんですか?」  さざ波一つない湖のような静けさを感じさせる声で桃慈は聞いた。 「消える」  桃慈の視線を真っ向から受け止めて、シロは答えた。 「じゃあ、このままでいいです」  桃慈は軽い口調で言った。今日のお昼は冷やし中華がいいな、というような気軽さで。 「だから、最後まで聞けと言うに……」 「いい。聞きたくないです。  ……春橙が消えなきゃいけない?なんでそんなバカな話を聞かなきゃならないんだ!!」  抑えていた感情を爆発させるように、言葉を叩きつける。 「でも……、おれのせいでとーじが……」 「春橙は悪くない。何も知らなかったんだ。オレと一緒にいたかっただけ、そうだろう?  悪いのはオレだよ。春橙を一人にして……オレが……」  ぼたぼたと涙が床に落ちる。言葉たちは行き場をなくし、生まれることなく消えていく。 「桃慈くん、春橙くん。  ……辛いだろうが聞いてくれ。  このまま桃慈くんが……死ねば、春橙くんは正式にヤツらの仲間になる。  ……未来永劫、解放されることはない。君らのような魂を喰らい続ける……」 「それでも……  春橙が消えなきゃいけないなんて納得できない!  ……もう一度、春橙を失えっていうのか……」 「桃慈くん……  気持ちはわかるが……」 「じゃあほっといてよ!!  オレは春橙と一緒にいたいんだ!!この先なんて知らない!!  目の前に春橙がいる……それが全てだ……」  桃慈は目の前の春橙へすがりつくように両手を伸ばす。その腕を掴むことはできなくても、たとえ幻だとしてもかまわない。ここに春橙はいる。 「お前の見ているのは本当の春橙なのか?」  シロの言葉が、首筋に突き付けられた刃のように、桃慈の心から熱を奪った。 「……何……を言ってるんですか?」 「ちゃんと見ろ。お前の愛する者の姿を」  桃慈にはシロの言葉の意味が理解できなかった。京子にも大神にも見えない春橙を見ているのは、オレだけだ。そんな自負があった。  春橙に目を向ける。愛しい春橙。世界でいちばん愛している春橙。  春橙はシロの言葉に、桃慈の視線に、恐怖に身をよじる。逃げ出したい衝動に必死に抗う葛藤に満ちた表情。 「……見ないで」  小さく身を縮ませる春橙。ダンゴムシのように丸まり、桃慈の視線にさらされる部分を極限まで少なくしようと必死の抵抗をみせる。 「とーじ……お願い……。とーじの中のおれだけ見てて。とーじの好きだった頃のおれだけ見てて」 「は……ると……?」  春橙に這い寄ろうとした桃慈の鼻を強烈な悪臭が襲った。胸元から立ち上る強い腐臭に、手で口と鼻を覆い息を止め、こみ上げる吐き気に耐えた。 「びい玉をよこせ」  シロが厳しい顔で命令する。  桃慈は、小袋にしまったびい玉を引っ張り出す。辺りに漂う腐臭が強さを増し、京子が堪らず外へと飛び出すのが視界の端にうつった。  びい玉は形を保っておらず、袋の中でぬちゃりと音をたてた。  シロの手にびい玉が渡ると、腐臭が和らぎ、桃慈は止めていた息を吸った。  桃慈は春橙へと目を向ける。肉体は崩れかけ、柔らかく風に揺れていた髪はまばらに残るのみ。ほのかに香るどこか甘ったるい臭いが、桃慈の本能的な嫌悪を呼び覚ました。 「見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで見ないで……」  壊れたおもちゃのように同じ言葉を繰返す春橙。   こんな……こんな姿になってまで春橙は…… 「見ないで……とーじ……とージ……アイシテルヨ』  春橙の声が知らない誰かのものと混じり合う。背中を数千の虫が這いまわるようなおぞましさに桃慈はゾッとした。 「春橙の魂はいずれヤツに喰いつくされる  私にできるのは、ヤツを祓うことだ  ここまで浸食された魂は、ヤツを祓えば……同じ形を保てない」  淡々としたシロの言葉。  春橙が……春橙をこんな…… 「とーじ……とーじ……」 「春橙!春橙!いるよ!ここにいる!!」  呆然としていた桃慈は春橙の呼び声に応えて、春橙へと這い寄った。 「とーじ……ごめんなさい……  ぼくを嫌いにならないで……」 「バカだな、春橙は。  嫌いになんてならないよ、世界でいちばん春橙が好きだよ。大好きだ」  桃慈は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、笑った。

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