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第35話 負けないよ

 拝殿の中に、一陣の清風が吹き込む。その風は、拝殿に漂っていた臭気を連れ去り、大神たちを慰めるような優しさを残していった。  桃慈(とうじ)は目の前の春橙(はると)の感触を確かめるように手を動かし、ときおり耐えきれないようにうなだれ涙をこぼす。  大神には春橙の姿が見えない。それでも桃慈を見ていると、そこに春橙がいるのだと素直に信じられた。先ほどとは種類の異なる涙。この先の別れが避けれない未来だとしても、この瞬間の涙は、今後の彼の人生にとって救いとなる、そうなってほしいと大神は祈らずにはいられなかった。  それを為すのは彼自身であり、大神が神に祈ることも、神に期待することもお門違いだ。それでも、このまま時間を止めてやりたい、大神はそんな思いを抱えて彼らを見ていた。  大神は目元をかくふりをして、そっと滲んだ涙をぬぐった。シロに気づかれれば、また嫌味を言われるに決まっている。会ったばかりの人間によくそこまで情がわくなとかなんとか。  大神は大きめの咳ばらいをし、二人の注意をこちらに向けさせる。恋路を邪魔した俺は馬に蹴られるのかもしれないが、このままというわけにもいかないのだ、と誰にともなく言い訳をしながら、口を開いた。 「とりあえずおにぎり食え!  まずは体力の回復だ。体が弱ればそれだけヤツらにつけこむ隙を与えることになる。  お清めの塩を使った特別なおにぎりだからな、たくさん食え」  目に闘志の炎を燃やし、猛然とおにぎりに食らいつく桃慈に、シロが 「フサさんに感謝しろよ」 と一声かける。大神はどの口が言ってるんだとじろりとシロを横目で見た。 「誰かが誰かを想う力、その力はお前たち人間が思うよりずっと強力な護りとなる」  桃慈は考え込むように、しばし食べかけのおにぎりに目を落としていたが、またゆっくりとおにぎりを食べ始めた。  雨戸を開け放った、縁側の方から瑚々(ここ)がひょっこりと顔を出す。 「京子さん、少し落ち着いた」  大神は瑚々の言葉に、ポケットからスマホを取り出し、時刻を確認した。 「もう16時過ぎてんのか……、今日は万が一ってこともあるし、ここに泊まってもらえ」  瑚々はこくりとうなずくと、京子の元へと戻っていく。  外はまだ昼間のように明るい。だが、日が落ちる前に準備は整えてしまいたい。ヤツらがここに入って来られるとは思わないが、大神たちの介入を知っているならば、何かをしかけてくる可能性はある。大神は考えを巡らせ、口を開いた。 「お前たちも今夜はここに泊まれ」  桃慈は躊躇するように目を伏せると、決意を込めた目で大神とシロを見た。 「オレたちは家に帰ります」  桃慈の言葉に大神は大きく眉をひそめた。 「脅かすわけじゃないが、状況がいいとはいえない。このままヤツらが大人しくしてくれるとは限らない。  悪いがここで過ごすのがいちばん安全なんだ」 「それでも……オレは、春橙を母に紹介したい」  桃慈は慈しむような目で左側を向きながら、手を握るようなそぶりをしている。  大神は渋い顔で黙り込むと、隣でさわさわと衣擦れの音がした。シロが片肘をつくようにして、クツクツと忍び笑いを漏らしている。  笑ってる場合かと苛立つ大神をよそにシロはあっさりと許可を出した。 「かまわん。  なかなかに骨があるではないか。見直したぞ」 「いや、だけど……」 「お前がいる」  シロは有無を言わせぬ口調で大神の言葉を遮った。 「……」  シロの言葉に絶句する大神。こいつは何を言っている?俺に何をしろと?問い詰めたいことが多すぎて言葉にならない。目で訴えるも、シロはどこ吹く風ですましている。  大神は何やらきらきらとした期待の眼差しで大神を見ている桃慈に気づき、慌てて否定する。 「期待させて悪いけど!俺は完全裏方だから!」 「……頼りなさそうに見せて、実は影の実力者だったり……」 「ないね!そういう中二的な設定があったらかっこいいんだけどね!  っていうか、俺のこと頼りないって思ってたの?地味にショックなんだけど!」    大神は大きくため息をついた。桃慈の家を祓い清め、一晩の護りを施す。とりあえずそこまではいい。問題は桃慈の親になんと説明するかだ。 「どう考えても通報案件だろ……」  つぶやいて頭を抱える大神。うらめしそうにシロを見ると、犬の姿に戻り、お昼寝モードに移行している。ときおりぴくぴくと耳が動いているので、完全に寝たわけではないらしい。 「ご心配なく。母には自分で説明します」 「いや……しかしなぁ……」  ちらりと桃慈の隣へ視線をおくる。大神の目には春橙の姿は見えない。おそらく桃慈の親にも。 「母ならわかってくれるはずです。これがオレの選んだ道ですから」  桃慈のまっすぐな瞳にはゆるぎない決意が滲んでいた。 「……春橙くんはなんて?」 「オレの思う通りにしてくれてかまわないって」  大神は天を仰ぎ、無駄とは知りつつも神に祈った。 『どうかこれ以上ややこしくなりませんように』と……。

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