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第3話 まっすぐ恋一直線
八月のシフト表の掲示板を見た瞬間、そらは小さく拳を握った。
「……っしゃ!」
声は抑えたつもりだったけど、嬉しさがつい滲み出る。
日付が並ぶその紙の中で、自分の名前と“あの人”の名前が並んでいるだけで、胸がふわっと温かくなる。
今日も。明日も。あさっても。
それだけで、バイトに来る理由がひとつ増えた。
着替えを終えて、控室の鏡の前に立つ。
Tシャツの裾を直して、そっと前髪に手をやる。
ちゃんと整ってるかな。
ワックス、今日もつけすぎてへんかな。
くしゃっとさせたとこ、変じゃないやんな……?
鏡に映る自分の顔を、じっと見つめる。
何回見てもいつもの顔のはずなのに、
なんとなく、ちょっとだけ“マシ”に見える気がして。
──いや、気のせいか。
そう思って、顔をそらしながらも、内心ではちょっとだけ浮かれてる。
こういうとこ、自分でもアホだなって思う。
でも、“あの人”に見られるかもって思うと、少しでもよく見られたくて、どうしようもなくなる。
控室の端、少しだけ窓の光が差し込むあたり。
そらは、何気ない顔で啓太朗の横の席を選んだ。
ペットボトルの水をひと口。のどを鳴らす音すら、やけに静かに響いた。
斜め横のその姿を、そらはちらりと横目で盗み見る。
視線が合わないように、でも見逃さないように。
「啓太朗さんって、東京の大学って言ってましたよね?」
「うん。せやで」
「え〜すご。東京、住みやすいっすか?」
「人は多いけど、まあ……慣れたら平気」
会話はとくに弾んでいるわけでもないのに、不思議と沈黙が怖くなかった。
淡々と返される言葉の合間に、ちゃんと“こっちを向いてくれている”気がしたから。
「一人暮らしなんですか?」
「うん。こっち帰ってくると、母親がめっちゃごはん出してくる」
「わかる〜!俺、家でたことないのに“食え食え攻撃”やばいっす」
そのとき、啓太朗の口元がわずかに緩んだ。
それだけで、胸の奥がすっと熱を帯びていく。
──笑った。
それがなんでもないことじゃなくて、
“自分の言葉で笑ってくれた”ってだけで、息が止まりそうになる。
今までは、遠くから見てるだけだった。
かっこいいなぁ、ええなぁって、ただの憧れだと思っていた。
けど、こうして少しずつ言葉を交わすたびに、
心のどこかが確かに、変わっていってる気がした。
(やばい……もう、ほんまに好きなんかもしれん)
まだなにも始まってない。
でも、もう始まってる気がしてならなかった。
昼休憩の時間帯、お化け屋敷の前には、入れ替わりのスタッフたちが集まっていた。
そこにふらりと現れた三人組の女子たちは、どこか空気が違って見えた。
パステルカラーのワンピースに日傘、ゆるく巻いた髪。
田舎の遊園地に似合わないほど、上品で、垢抜けていた。
そして、その中のひとり──
ひときわ目を引く、透明感のある女の子が、にこっと笑ってこう言った。
「啓太朗くん、ひさしぶり」
その声に、そらは思わず振り返った。
遠くから見ても分かる。彼女の笑い方は、やわらかくて、話しかけ慣れていた。
啓太朗は、少しだけ驚いたような顔をしたあと、軽く頷いた。
「……麗華 」
その名前を聞いた瞬間、すぐに周りがざわつき始めた。
「え、あの子……黒川さんの元カノちゃうん?」
「やっば、めっちゃ美人やん……お嬢様感すご……」
「てか、今でも全然お似合いやんな……」
そらは少し離れた位置で作業しながら、聞きたくもないその声を、ぜんぶ拾ってしまっていた。
顔を上げれば、彼女が笑っている。
あの落ち着いた雰囲気。澄んだ声。自然に立っているだけなのに、視線を集める存在感。
たしかに──美しかった。
(……この人か。黒川さんの、元カノ)
並んで話してるふたりが、どこかしっくり見えてしまう。
肩の高さも、雰囲気も、言葉の距離感も。
ああ、こういうのを“お似合い”って言うんだ。
そう思った瞬間、胸の奥がずしんと重くなる。
そのまま帰ろうとする友人たちに手を振ったあと、
麗華は少しだけ顔を近づけて言った。
「そういえば、うちの大学の友達が今度合コンしたい言うてて。啓太朗くん、また連絡するわ。東京戻る前に、一回くらい?」
悪気も打算もない、さらっとした誘い方。
それがまた、大人っぽくて、余裕があって。
聞いてるだけのそらの胸を、じわじわと締めつけた。
(……なにこれ。ちょっとキツい)
何か言える立場じゃないのは、ちゃんと分かってる。
でも、こうして“本物の過去”を目の当たりにすると、自分の気持ちなんて、ただの子どもじみた片想いにしか思えなくなる。
そっと視線を落とし、そらはその場を離れた。
誰にも気づかれないように……
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