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第6話 まっすぐ恋一直線

 「どうぞ」  啓太朗が助手席のドアを開けてくれた。  その仕草がさりげなくて、けれど丁寧で……そらの胸が一瞬で熱くなる。  「ありがとうございます……!」  そう言って乗り込むと、すぐにドアが「バタン」と閉まる音が響く。  そらは、そっとシートベルトを締めながら、まだ少しドキドキしている自分に気づいていた。  車内には、ゆるやかなリズムの曲が流れていた。  英語の歌詞で、静かで、少しだけ切なさを含んだメロディ。  歌ってる人の名前も、曲のタイトルも知らなかったけど、どこか心にすっと染み込んでくる。  「……これ、誰の曲ですか?」  ふと気になって尋ねると、啓太朗は赤信号でブレーキを踏みながら、ちらりとそらの方を見た。  「HONNEってバンド。あと、これはDaniel Caesar。兄貴が流してたの、たまたま気に入って。……あんまうるさい曲、得意じゃなくて」  「へぇ……落ち着きますね、なんか」  「寝んなよ?」  冗談っぽく言ってくるその声が、曲よりもやさしくて、そらは思わず笑ってしまった。  (……HONNE、だっけ。Daniel、なんとか……)  ちゃんと覚えておこう。あとでこっそり検索する。  自分の知らない音楽なのに、こんなに心地よく感じたのは、きっと——  この人と一緒に聴いてるからだ。  窓の外では、夏の空がオレンジから紺に染まりかけていて、観覧車のライトがぽつりぽつりと灯り始めている。  「……あの、啓太朗さんって、免許持ってるんすね…なんか……かっこいいっすね」  そらが横目でチラッと見ながら言うと、運転席の啓太朗が「ん?」と穏やかに返した。  「いや、なんていうか……大人って感じ。俺まだ原チャの免許すら持ってへんし」  「ふふ、ありがとう。……でも、そんな大したもんやないよ。こんな田舎じゃ車ないと不便やろ?」  そう言って軽く笑ったあと、ハンドルに視線を落としながら、少しだけ表情をゆるめた。  「この車、兄貴のおさがりなんよな。ずっと実家に置いてあって、帰ってきたときだけ乗っとる」  「へぇ〜、お兄さんおるんや。これ、めっちゃ大きいですね……四駆?」  「うん。オフロード向けのやつ。兄貴がアウトドア好きで、無理やり“これ乗れ”って譲られた」  「啓太朗さん的には、もっとちっちゃい車のがよかったんですか?」  「正直、軽とかコンパクトカーのがよかったよな……街乗りとかしやすいし。俺、運転そんな好きってわけでもないし」  「え〜、でも、これ乗ってるだけでモテそうっすよ。普通にかっこええし!」  何気なく口にした言葉なのに、啓太朗が少し黙った。  そらが「……あ、ごめんなさい、変なこと言いました?」と焦って尋ねると、啓太朗は首を横に振って、ぽつりとつぶやいた。  「……いや。ただ俺、こう見えて人乗せて運転するの、家族以外でそらが初めてやねん」  「……えっ」  「ひさしぶりの運転やし、実はめっちゃ緊張しとる」  そう言った啓太朗は、いつもみたいに落ち着いてるようで、ほんの少しだけ表情にぎこちなさがあった。  そのことに気づいて、そらの胸が、キュッと音を立てた。  (うわ……なんか、めっちゃうれしい)  「……俺も、めっちゃ緊張してます」  そう返す声が、自然と笑ってた。  そして、ふと気になって、ぽそっと尋ねてみる。  「……てことは、あれですか? 元カノとか、友達とか、そういう人は……?」  啓太朗は前を向いたまま、少しだけ目を細めて答えた。  「乗せたことない。家族以外で、そらくんが初めて」  「……えっ」  そらは言葉を失ったあと、思わず小さくガッツポーズしそうになるのをこらえた。  (ちょ、ちょちょ、なにそれ! 家族以外で俺が初めて!?うわ、初めていただいちゃったやん!!)  頬がゆるむのを必死で隠しながら、心の中ではもう祭り状態だった。  「……じゃあ、ちゃんと大事に運ばれてるって思っときます」  そう冗談っぽく言うと、啓太朗がふっと笑った。  エンジン音が落ち着いた頃、車はゆっくりと道路に出ていった。  まだ完全に暗くはなっていないけれど、空の端はすっかり夜の気配をまとっている。  しばらく無言の時間が流れて、ふいに啓太朗が口を開いた。  「……そういえば、門限とか大丈夫なん?」  「え?」  「今からちょっと、夜景でも見に行こうかなって思ってるんやけど……あ、べつに、夜景とか……つまらん?」  ちらっと横目で見てきたその視線が、なんだかやけに優しくて、そらの心臓がまた跳ねる。  「全然! 親にはもう連絡しとるんで、大丈夫っす! てか、夜景……めっちゃ見に行きたい!」  即答しすぎたかと思ったけれど、啓太朗はふっと笑っただけだった。  「そっか。……じゃあ、雪響山って知ってる?」  「名前だけ聞いたことあります!」  「ここからそんな遠ないねん。昔、兄貴に連れてってもらったんよ。夜景、きれいやったから……気に入ってくれるかなって」  その言葉がうれしくて、そらは何も言えずに、ただ「はい」とうなずいた。  「……でもその前に……、腹ごしらえしよっか」  そう言って、啓太朗がウィンカーを出す。  「そろそろお腹すいたやろ?」  「はいっ!」  元気よく返事をするそらの声に、車内の空気がほんのり明るくなった。  「そういや、そらくんってさ、なんか苦手な食べもんある?」  「え?」  「いや、好き嫌いとか。なんでも食べれる?」  「うーん……とくにないっすね。基本、なんでもイケます!」  「お、それは助かるわ」  そう言って、ハンドルを軽く切る啓太朗の横顔に、そらはちらっと目を向ける。  静かな声なのに、どこか安心感のあるそのトーンが、車内にやさしく響いた。  「じゃあ、がっつりラーメンとか、どう?」  その言葉に、そらは一瞬だけ目を丸くした。  (……ラーメン?)  てっきり、もっとオシャレなカフェとか、夜景の見えるレストランとか、  そういうとこに連れて行ってくれるのかなって、勝手に想像してた。  けど、出てきたのは“ラーメン”。  その意外さが、なんだかすごく人間味があって、逆に親近感が湧いた。  (……そういうとこ、めっちゃ好きかも)  「いいすね! ラーメン、めっちゃ好きです!」  「よかった」  笑顔で答える声が、自然と少し明るくなる。    信号待ちの間、ウィンカーの音だけがリズムを刻んでいた。  助手席の窓の向こう、街の灯りがゆっくりと流れていく。  言葉が少なくても、確かに何かが通じ合った気がした。

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