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第10話 届いてほしい。だから、好きって伝えたいんや

 駐車場の奥、外灯の下に立つその姿は、  夜の空気に溶け込むように静かだった。    (啓太朗さん・・・)  その姿を見つけた瞬間、  そらの胸の奥が、きゅうっと音を立てて鳴った。  白い煙がふわっと立ちのぼる。  タバコの煙。  ゆっくりと空に向かって伸びていくその線が、夜の色に溶けていくのがはっきり見えた。  風がないから、煙はまっすぐ、まっすぐに昇っていく。  その姿を、そらは思わず見とれてしまっていた。  (……やっぱ、かっこええな)  (なんでこんなに目が離されへんのやろ)  いつもより少し距離がある気がして、だけど胸の奥は近づいてる気がして、  よくわからん感情が、ずっと鳴ってる。  そのとき、啓太朗が顔を上げた。  煙草を指先で軽く弾いて、そらの方を見て、  それから、ぽつりと口を開いた。  「ごめんな、遅い時間に。大丈夫?」  その声が、心の真ん中にすっと入ってきた。  「……全然、大丈夫です。今日、会えて……めっちゃ嬉しいです」  そらの声はほんの少し震えてたけど、ちゃんと届いてほしくて、はっきりと目を見て言った。  啓太朗はふっと笑って、煙草を携帯灰皿に落とす。  「……明日は? バイトどんな感じ?」  「明日はお化け屋敷だけで、昼からラストまでっす」  「そっか、じゃあ朝はゆっくりなんやね」  ふたりの会話は、他愛ない。  だけど、その一言一言が、大事なものみたいに感じた。  「宿題とか、大丈夫なん?」  その言葉に、そらは思わず「あっ」と声を漏らした。  「……あれ、なんか……すごい、デジャブ……今日、バイト中にも同じこと聞かれました」  「はは、それはフラグ立ってんな」  啓太朗がクスッと笑う。  その笑顔に、そらの胸がまたきゅうっと鳴る。  「……夏休みラストに、全力で頑張ります。たぶん」  そう言って笑った自分の声が、ちょっとだけ大人びて聞こえた気がした。  駐車場の片隅、虫の声と遠くの花火の残響だけが夜に混じる。  「じゃあ……今日はお腹、大丈夫そう?」  啓太朗が、ちらとそらの顔をのぞき込むように聞いた。  夜の外灯に照らされたその横顔は、少し心配そうで、でも優しくて。  「うん、休憩でちょっと食べたんで、腹は大丈夫です」  そらは照れたように笑いながら、お腹を軽くポンと叩いた。  「そっか、ならよかった」  啓太朗は、灰皿に目を落としながら、ほんの少しだけ間をあけて、ぽつりと続けた。  「変わり映えないけど……また、夜景見に行く?」  その言葉に、そらの顔がパッと明るくなる。  「行きます!」  間髪入れずに答えた自分に、啓太朗も思わず笑った。  「じゃあ、今日は“あかつき岬”行こか。ちょっとだけ、海も近いとこ」  “あかつき岬”——  サンサンパークから車で30分ほどの、小さな崖沿いの海辺。  地元の人しか知らないような穴場で、遠くの街の灯と、月明かりが重なる場所。  展望台には、小さな滑り台とブランコがある。  「……あそこ、好きです」  そらはそっとつぶやき、啓太朗のあとについて歩き出した。  心臓の音が、また少しずつ速くなっていく。  助手席のドアを閉めたとき、車内にやわらかい音楽が流れ始めた。  スピーカーから聴こえてきたのは、前にも聞いたことのあるメロディだった。  「あっ……この曲……」  そらが思わず顔を上げると、啓太朗がハンドルに片肘を乗せたまま、少しだけ笑って言った。  「これ、そらが“好き”って言ってたやろ。  前にかかってた時、反応してたから覚えてて」  その言葉に、そらの胸がまた、ぎゅうっと鳴る。  (……そんなの、キュンってするに決まってるやん……)  「……ありがとうございます」  声が少し震えたのが、自分でもわかった。  啓太朗は、それをからかうこともなく、ただ前を見つめてアクセルを踏んだ。  静かに夜の道を走る車。  音楽はずっと、そらの耳と心にやさしく流れていた。  そらがふいに口を開いた。  「俺、小学校の時、あかつき岬来たことあるんすよ」  「へえ、そうなんや」  啓太朗が目を細めて、チラッと横を見る。  「なんか、キャンプみたいなんして、  夜に波の音聞いて、みんなで肝試しして……  ちょっとだけ泣いた気がします」  「ふふ、それそらっぽいな」  笑われたけど、不思議といやじゃなかった。  この空気が、心地よかった。  音楽と夜風に包まれながら、車はゆっくりと海へ向かっていた。 あかつき岬に着いた頃には、空はすっかり真っ暗になっていた。  けれど、崖の上から見下ろす景色は、まるで星みたいにきらめいていた。  遠くの街の灯りが、海の向こうで揺れている。  波の音が、ゆっくりと足元から胸の奥へ染み込んでくる。  潮風がふたりの髪をなでるたび、夜の匂いが濃くなった。  「……めっちゃ、綺麗ですね」  そらがふっと目を細めてつぶやく。啓太朗も静かに頷いた。  「ここ、やっぱ好きやわ。  ああ、なんか見たらめっちゃ思い出してきました」  啓太朗がちらっと横を見ると、そらの顔がすこし懐かしそうにほころんでいた。  「小学校のとき、ここにキャンプ来たんです。地元の友達と」  「へえ、いいな」  「海も入って、バーベキューして。  妹も一緒に来てて、めっちゃはしゃいでたんですけど、  途中でテトラポットのとこでめっちゃ派手にこけて」  「えっ、大丈夫やったん?」  「うん、なんかアゴちょっと切って、親に病院連れてかれて。  俺も一緒に帰るって言われたんやけど、“おりたい!”ってごねて……」  「……らしいなあ」  「結局、涼んちの家族が一緒におってくれるって言ってくれて。  そのまま最後までおれることになって、  星見ながらみんなで“もうちょっと夏休み続けばええのに”って話してました」  そらの声は、どこかくすぐったそうで、でも本当にうれしそうだった。  啓太朗はその横顔をちらと見て、何も言わずに、小さく頷いた。  静かな海風がまたふたりの間を抜けていく。  ふたりは並んで柵に肘をつき、遠くの灯りをぼんやりと眺めていた。  啓太朗がふと、そらの横顔を見て言った。  「……そらはさ、地元、好き?」  唐突な問いだったけど、そらは少しも迷わずに答えた。  「もちろんっすよ。家族は、ちょっと鬱陶しいときもあるけど……ちゃんと尊敬しとるし、友達は、みんなおもろいやつばっかやし……全然都会やないけど、空気は綺麗で、自然いっぱいで、……いいとこやなぁって、ちゃんと思ってます」  言いながら、自分でもその言葉にあらためて気づく。  自分がこの場所を、ちゃんと“好き”だって思ってることに。  すると、啓太朗がゆっくりと小さく頷いた。  「……そっか」  そらは一瞬、違和感を覚える。    何かを飲み込んだような、どこか切なさの混じったようなその声。  だけど、次の言葉は返ってこない。   「啓太朗さんは違うんすか?」  そらの問いに、啓太朗はふっと口の端をゆるめて、少しだけ目線を落とした。  「……まあ、俺にとっては、ちょっと窮屈かな」  夜の海風が、ほんの少し強くなった。  「ふふっ」  小さく笑ってから、もう一度言い直す。  「……ちょっとだけね」  でもその笑顔は、どこかさみしげで、やさしかった。  言葉のあとに、短い沈黙が流れる。  波音だけが、ふたりの間に静かに響いていた。   啓太朗が、そらの方を見ずにぽつりと続けた。  「そらは、地元でも、地元じゃなくても、  どこでもうまくやっていけそうだよね」  そう言って、やわらかく笑う。  でも、その笑みの奥に、そらは小さな不安を感じていた。    

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