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第15話 ブランコとチョコパイとラムネ
お盆の連勤が終わって、少し休みが続いた。
久しぶりのお化け屋敷。
朝の空気は、まだ夏の名残を残しているのに、
そらの胸の中は、どこかそわそわして落ち着かなかった。
髪を軽く整えて、鏡をじっと見つめる。
——ほんまに、これで大丈夫かな。
14日、いつもの近所の床屋に行こうとしたら、
涼に真顔で止められた。
「それはあかん。お前な、どうせ行くなら駅前のサロンにしとけ。
ちょっと金かかってもええやん。初恋かかっとるんやろ?」
そう言われて、勇気を出して予約した駅前のサロン。
おしゃれな内装に飲み物サービス、やさしい美容師さんに、
なんかもう全部が緊張の連続で——
前髪とトップは、そらの希望で少し長めに残して、
後ろはすっきり刈り上げ。
センターで分けると、ぐっと大人っぽく見えるスタイルだった。
その髪型は、そらの明るく爽やかな雰囲気にぴったりで、
まるで別人みたいに垢抜けて見えた。
「似合ってると思いますよ」って言われたとき、
そらの胸の奥が、少しだけふわっと軽くなった。
そして、今日。
「おはようございます……」
控え室のドアを開けた瞬間、数人のバイト仲間がぱっとそらの方を向いた。
「えっ、そら!?」「めっちゃ雰囲気変わってない!?」「イケメンになっとるやん!」
わらわらと集まってくる仲間たちの声に、そらは思わず目をぱちくりさせた。
「え、あ、そう……?」
「なにその髪! めっちゃええ感じやん!」
「もしかしてサロン行ったん?」「やば、垢抜けたってやつ?」
一気に浴びせられる言葉に、そらの顔がみるみる赤くなる。
「う、うるさいって! そんなんちゃうし……たまたまやし!」
でもその耳まで真っ赤な表情と、
いつもよりちょっとだけ自信を持った背筋が、
そらの“変わろうとしてる気持ち”を、ちゃんと表していた。
控え室の一番奥、壁際のパイプ椅子に座っていたのは、啓太朗だった。
スマホを触っていた手を、ふと止める。
それから、そらの方をちらりと見て、ゆっくりと立ち上がった。
「……そら。おはよ。いいね、似合ってる」
それだけ言って、そらの頭を、軽くポンポンとふたつ叩いた。
そして、啓太朗は控え室を出ていった。
その瞬間、
また、あのシトラスの香りがふわっと漂ってくる。
優しく、でもちゃんとそこに触れるような手のひらだった。
香りと、ぬくもりと、たったひとこと。
——それだけで、胸の奥がぐわっと熱くなる。
さっきまで笑っていたのに、目の奥がじんとする。
涙が出そうになる。声が詰まりそうになる。
——好き。やっぱり、どうしようもなく好き。
何気ない日常の一場面で、
こんなにも簡単に想いがあふれてしまうなんて。
啓太朗が控室を出ていったあと、
そらはその場で完全にフリーズしていた。
頭、ポンポン。
——ぽんぽん。
いや、何あれ? ポンポンて。あの破壊力、異常やろ。
その場にふにゃ〜っと崩れ落ちる。
「……っっっ、ムリ……!!」
ガクン!と膝から崩れ落ちて、控え室の床にヘタり込むそら。
「え!? ソラ!? 大丈夫!?」「どうしたん!?」
心配そうに駆け寄ってくるバイトの仲間たち。
でも、そらの口から飛び出したのは、まさかの——
「うんこ!!!!」
「……え?」
控え室が一瞬で静まり返った。
「うんこやねん!!マジでうんこ!!!」
そのまま立ち上がって、ダッシュで控え室を飛び出す。
全力でトイレに駆け込み、個室に滑り込んで、
ガチャン!と鍵を閉めて、便座にドスンと座る。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
両手で顔を覆いながら、うめくように叫んだ。
「ちょ……え?今の何???マジで何????
え、頭ポンポン? いや、俺、振られてんねんけど???」
「え?あれ?あの人、俺のこと好きちゃうって言うたよな?
え、でもめっちゃ優しかったし、香水の匂いエグいし……」
「てかあのタイミングでポンポンってなに!?
乙女ゲームか!? 誰がヒロインやねん!! 俺か!!!」
そらの中の何かが、完全に爆発していた。
「無理無理無理……仕事どころやない……
誰か時間止めてくれへんかな……いやもう地球止まってくれへんかな……」
トイレの個室で、
そらは完全に感情がパニックになっていた。
感情の嵐に揉まれながらうめいていたそのとき——
そらのポケットで、携帯がブルッと震えた。
「……え?」
顔を真っ赤にしたまま取り出すと、LIMEの通知がひとつ。
『そろそろ朝礼始まるよ〜』
「……うわっ!?」
時刻を見て、飛び跳ねるように立ち上がる。
「やばいやばいやばい!現実戻ってきた!!」
急いで服を整えながら、心の中でつぶやいた。
「……俺はゾンビ、俺はゾンビ……死んでるから大丈夫、感情はない……ゾンビ……ゾンビ……」
完全に自分に言い聞かせながら、トイレから出て小走りでお化け屋敷エリアへ向かう。
「じゃあ、朝礼はじめまーす!」
スタッフリーダーが手元のボードを見ながら言う。
「えーっと、今日ひとりスタッフが来られなくなったので、配置を変更します」
全員がざわつくなか、スタッフが続けた。
「受付係は、春川くんと……黒川くん、二人でお願いしまーす」
「……っ!!」
その瞬間、そらの胸の中で、パーン!と何かが弾け飛んだ。
テンションが一気に上がる。
(え!?ケイ…………タロ……さんと二人!? うそ、うそ、まじ!?)
でも、同時にふと不安がよぎる。
(……いや、待って。俺、振られてるやんな?
そんなやつが受付の隣って、普通に嫌やん……めっちゃ気まずいやん……)
そらはちらりと、隣に立つ啓太朗の方をおそるおそる見た。
けど——
啓太朗は、いつもと変わらない、
いや、むしろちょっとやさしさのにじむような眼差しで、
そらの方に視線を向けた。
「……大丈夫だよ」
言葉はなかったけど、
その顔が、そう言ってくれてる気がした。
(あ、かんっっっっっぜんにまたキュンきた……)
そらの心の中で、ゾンビモードが一瞬で解除されていった。
園内に開園の音楽が流れはじめた。
テーマパークらしい、ちょっと浮かれたようなメロディーが、スピーカー越しに遠くから響いてくる。
お化け屋敷は一番奥にあるせいで、開園してもしばらくは客足がない。
だから受付の二人は、並んだパイプ椅子に腰かけて、のんびりと待機していた。
少しして、隣からふいに声がする。
「どうしたの? そんなにイケメンになっちゃって」
それは、どこか茶化すようでいて、どこか本気っぽい声だった。
そらは思わず横を見て、目をぱちくりさせる。
「……からかわないでくださいよ。
ちょっと気分転換です」
そう答えたあと、ふたりの間に、すっと沈黙が落ちる。
しばらくして、啓太朗がぽつりと聞いてくる。
「……俺のせい?」
「……え?」
「髪切ったの。……失恋したから?」
そらの肩がビクッと震えた。
一瞬で心臓が高鳴る。
どう答えていいか分からなくて、でも何か言わなきゃって気持ちが爆発して……
「ち、違う……いや、違わないんですけど……!」
そらはガタッと椅子から立ち上がった。
「でも! “失恋したから切った”んじゃなくて……
“俺のこと、まだ見てもらえるように頑張ろう”って思って切ったんです!」
少し声が大きくなって、慌てて少しトーンを落とす。
「だから……これは俺の決意っす。
まだ、諦めてませんから」
一気に言い切ると、そらはまた椅子に腰を下ろした。
ちょっと顔が熱い。心臓もドキドキしてる。
でも……
言えてよかった、って、どこか思っていた。
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