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第17話 恋の重さを知った日
「啓太朗さん、もしよかったらなんですけど次のシフト休みの日、一日お昼から遊びに行きませんか?」
送信ボタンを押す指が、少しだけ震えていた。
既読がつくまでの数秒が、やけに長く感じる。
「…だめかな」
ひとりごとのように呟いたとき、返事が返ってきた。
「ごめん、それはちょっと難しいかも」
たった一行。
なのに、胸の奥に、じんわりと重たいものが沈んだ。
でも、次のメッセージがすぐに届いた。
「でも、よかったら、いつもみたいにバイト終わりにご飯行かない?」
……え?
画面をじっと見つめる。何度も読み返す。
「23日、そらもシフト入ってたよな?その日、終わったらどっか行こう」
落ち込んでいた気持ちが、ふっと軽くなった。
「だめ」じゃなくて、「それなら」って言ってくれた。
断られたのに、なぜかちょっと嬉しい。
「うん!行きたいです!」
「23日、楽しみにしてます」
指が勝手に、元気な言葉を打ち込んでた。
また断られるかもって思ってたのに。
──会える。それだけで、今は十分。
画面越しの言葉に、
そらの心は少しずつ、浮き足立っていた。
啓太朗と会う前日の夜。
──どれ見ても、一緒やんけ。
部屋の床に広げた服の山の前で、そらはうなだれた。
ベッドの上には、コンビニで買ったばかりのメンズファッション誌。
「夏のデートコーデ特集」なんていう見出しに惹かれて、ついレジに持っていったものだ。
モデルが着こなす淡いブルーのシャツとか、ゆるいシルエットのパンツとか。
どれもかっこよくて、自分もこんなん着れたらなって思ったけど──
「……無いもんは、無い。」
ひとりごとのように呟きながら、床に突っ伏す。
何回クローゼット開けても、手持ちの服は増えない。
なのに何回も見てしまうあたり、自分の必死さがちょっと恥ずかしい。
「……はあ。なんでやねん俺……」
服の山の中で悶えていると、ノックもせんとドアが開いた。
「なにしてんの。戦ってんの?」
「あっ、涼。勝手に入ってくんなや!」
「うわ、めっちゃ服散らかしとるやん。てかそれ雑誌?お前が?まじで?」
「うっさい!今ちょっと……めっちゃ悩んどるねん」
呆れたような顔の涼が、ずかずかと部屋に入ってきて、床にしゃがみ込んだ。
「はいはい。何の服選びやの?」
「明日の。啓太朗さんと……一緒にご飯行くから」
そらが小声で言うと、涼の手がピタッと止まった。
「──え、デート?」
「ちゃうちゃう!そんなんちゃう!てか、最初は一日遊ぼって誘ってん。でもそれはちょっと無理って言われて……」
「そっかぁ……」
「でもな!」
そらの声が明るくなる。
「“バイト終わりにご飯行かへん?”って言ってくれて!しかも、“23日、そらもシフト入ってるよな”って!」
「……うん」
「それってさ、向こうから誘ってくれたってことやんな?すごない?!」
「………………」
ぱたん。
雑誌を閉じていた涼の手が、止まったまま動かない。
「え?涼?」
「……いや、なんかさ」
不意に、涼の声のトーンが少しだけ変わった。
「……うのみにすんなよ。いや、喜んでるとこ悪いけどさ」
そらの胸が、ひゅっと縮む。
なにか、嫌な予感がした。
「別に深い意味とか、そんなんじゃないかもやし……。ちょっと、お姉から聞いた話なんやけど──」
涼は一度息を吐いて、ぽりぽりと後頭部をかいた。
「……姉ちゃん?」
「うん。上のお姉な。実は黒川さんと同級生なんや」
「えっ、そうやっけ?」
そらがびっくりして目を見開くと、涼は小さく頷いた。
「中学、同じやってんて。黒川さん、小学校は違うらしいけど。おねぇが言うには──」
少し間を置いて、涼は真面目な顔になった。
「あの人、けっこう有名やったって」
「有名って……どんな?」
「……付き合ってた相手がさ。めっちゃ美人ばっかやってんて。中学のときも高校のときも。なんか、“え、あの子と?“ってレベルの子らしい」
「……へえ……」
そらの胸に、さっきまでのルンルンが、少しずつ沈んでいく感覚が広がる。
「でもな、お姉が言うには、全然長続きせえへんかったって」
「……そっか」
「でな、これもただの噂話なんやけど──」
涼は少し言いづらそうに言葉を探した。
「中学のときな、一瞬だけ、変な噂が立ったことがあったらしい。……黒川さんが、男と手つないどったって」
「──えっ」
そらが思わず声を漏らす。
「うん、ほんまに一瞬やったって。でもその直後にな、黒川さん、顔に怪我して学校来たことあったんやって。しかも結構ひどめの。何があったんかは誰も言わへんかったけど、周りはざわついとったらしい」
「……」
「その後はすぐに、また彼女作ってたらしいし、めっちゃ賢い高校受かって進学したから、噂なんてすぐ消えたみたいやけどな」
「……じゃあ、その手つないでたって人は……?」
「分からん。誰も名前も顔も知らん。ほんまに“見た人がいる”ってだけで。もしかしたら、ただの誤解かもしれん。でもおねぇは、“あの時だけ、ちょっとちゃう空気やった”って言ってた」
部屋の中が、少しだけ静かになる。
扇風機の風が、そらの髪をふわっと揺らした。
涼は、ふっと苦笑いを浮かべて言った。
「だからな。お前が“誘ってもらえた”って喜ぶ気持ちも分かるけど……黒川さんのこと、ほんまに好きやったら、ちゃんと考えたほうがええかもしれん」
「…………」
「……って、いらんこと言うたな、俺」
そう言って、涼は立ち上がりかけたが、
そらは、まだ目を伏せたまま、床のシャツをぎゅっと握っていた。
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