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第22話 約束を残して、夏は遠ざかる

控え室の空気が、一瞬で変わった。 涼の声は低くて、抑えてるはずなのに、 怒りがにじみ出てた。 啓太朗が静かに顔を向けると、 涼はまっすぐ睨むように目を合わせた。 「あの……俺、こいつとはずっと幼なじみなんすけど」 ……こんなこと言うのもアレですけど、めっちゃええヤツなんすよ」 「素直で、まっすぐで、一生懸命で── で、今、めっちゃ恋愛に突っ走ってて、 いろいろ努力してたんすよね。あんたに好かれるために」 「慣れへんおしゃれとか、髪型とか…… 俺、そういうの……ぜんぶ見とったんで」 啓太朗は何も言わずにじっと涼を見ていたが、 その目に微かな痛みが浮かぶのがわかった。 けれど、涼は止まらなかった。 「もしも…… 黒川さんが、この夏の“ちょっとした楽しみ”みたいな気持ちで そらのこと、もてあそんどったんやったら……」 「俺、マジで、あんたのこと絶対許さんからな」 その言葉には、怒り以上のものが込められていた。 「黒川さんにとっては、遊びかもしれへんけど、 こいつにとっては、人生かかっとるぐらい必死で頑張っとるんや」 「……そこんとこ、ちゃんとわかっとるんすかね」 最後の一言は、静かだった。 だからこそ、控え室の空気がピンと張りつめるほど、重く響いた。 その中で、啓太朗はほんの少しだけ間を置いて、 静かに口を開いた。 「……本当に、“遊び”やなんて、思ったこと、一回もない」 その声は、驚くほど冷静だった。 「ちゃんと、そらくんには……真剣に向き合ってるつもりやで。 ……まあ、涼くんの言いたいことも、分からんでもないけどな」 ぽつり、と息を吐くように言ったあと、 啓太朗は軽くため息をついた。 「……はぁ……ほんまに……」 「君らは……あれやな。 この地元で、みんなに大事に大事にしてもろて、 “ここ”で幸せに暮らしてきたんやなって、思うよ」 皮肉でも怒りでもなく、 それは、ただ遠くを見つめるような声音だった。 「まあ、それでええやん。……でもな……  俺はそうもいかへんねん。 “好きです、はい、付き合いましょう”── そんな簡単なことちゃうねん」 声が少しだけ低くなった。 「ここで、みんなから愛されて、ぬくぬく育ってきた君らには…… たぶん、わからんやろうけどな。 ……大人には、いろいろあるんや」 その言葉に、 そらの堪えていたものが、ついに爆発した。 「……また、そうやって……逃げるんすか」 啓太朗がふと目を向ける。 「……逃げてないで」 少しだけ語気を強めて、 でも冷静なまま、きっぱりと返す。 「俺は、ちゃんと真剣に向き合っとるだけ」 「──何も分かってへんのは、君たち2人の方や」 そのまま腕時計を見て、 静かに言った。 「……さあ、もう出勤や。行かんと。 ちゃんと切り替えて、仕事は頑張ろうね」 それだけを言い残して、 啓太朗は控え室を出ていった。 ドアが静かに閉まったあと、 そこに残された空気だけが、 まだ誰も飲み込めないまま、張り詰めていた。 誰も何も言わない。 ただ、空気が重くのしかかっている。 その中で、涼がゆっくりと口を開いた。 「……行こか。時間やん」 その言葉に、そらはうなずくしかなかった。 うつむいたまま、少しだけ口を結んで、 こぼれそうな涙を必死にこらえる。 泣いてる場合じゃない。 今は仕事や──そう自分に言い聞かせて、 二人は静かに、お化け屋敷へと向かって歩き出した。 途中、人気のない通路で、涼がぽつりと呟く。 「……もう、あんなヤツ、やめとけ」 その声に、そらは少しだけ顔を上げる。 「ええことないで。お前にはもっとええやつ、おるわ。 ほんま……悪いこと言わん。そうしろ」 真剣な声だった。 けど──そらは苦笑して、首を横に振った。 「……俺もな、そっちの方がええと思うよ。頭では。 ……でも……あんなこと言われて、 それでも……まだ、好きやって思ってもたんよな」 笑おうとして、けどうまく笑えなかった。 「……俺、重症やな。やばいわ……もうほんま、しんどい……」 言葉のひとつひとつが、胸に刺さった。 涼はそらの顔をちらりと見て、 少しだけ目を細めて、言った。 「……お前さぁ、昔は食べもんのこととサッカーのことしか 考えて生きてこんかったのにな。 変わりすぎやろ。俺、正直びっくりしとるわ」 そらは一瞬だけ目をそらし、 小さな声で言い返す。 「……もう、俺、17歳やから」 涼が鼻で笑った。 「いやいや、俺も17歳やし」 二人の間に、少しだけ笑いの空気が流れる。 「……青春って、つらいなぁ……」 そらがぽつりと漏らした。 「なんかな、前まで女子らがさ、 彼氏ができたーとか、好きとか、フラれたーとか、 LIME返ってこーへんねん……とか言うとるの、 アホちゃうか、そんなんで振り回されて……って思っとったのに」 「今の俺、あの子らの気持ち、痛いくらい分かるわ。 マジで、あのときの女子たちに謝りたい。 アホやなーって思って、ごめんなって。 そんでその言葉が……自分にそのままブーメラン返ってきて、 今、しんどさMAXです……」 言いながら、苦笑い。 けど、その顔は確かに泣きそうだった。 そのとき、涼がふっとため息まじりに言った。 「……まあ、男なんてクズばっかやからな。 だいたいイケメンはクズや。そういうもんやと思っとけ」 そらは一瞬、ぽかんとしてから、 顔をしかめるようにして、ぼそっと返した。 「……なあ、お前さ、時々なんなん? 急にさ、なんか悟ったみたいなこと言い出したり、 服とかも、基本ジャージのくせにやたらオシャレに仕上げてくるし…… しかも、めっちゃいいアドバイスくれるし。なに?何者なん?」 涼は鼻で笑って、肩をすくめる。 「そりゃ、俺は上ふたり、姉貴やからな。 失恋した〜って夜中に泣きながら愚痴きかされてみいな。 しかも、あの強烈なお姉らやで? そりゃ多少は達観もするっちゅーねん」 その言葉に、そらは「ああ〜……」と妙に納得した顔でうなずく。 「なるほどな……お前、姉ちゃんズに鍛えられとるわけか。 ……俺は、妹しかおらんからな。泣かせる側になったらあかんし、 そう思うと余計に……って、あーもう、やっぱしんどい〜……!」 また顔をゆがめながら、そらは天を仰いだ。 そんなやりとりの中でも、ほんの少しだけ、 空気がやわらいだ気がした。 痛みは残ったままだけど、 それでも、涼の存在がそらを一歩、前に進ませていた。 涼は何も言わず、 ただその横顔を見守りながら、一緒に歩いていく。 そうして、二人は、 それぞれに心の痛みを抱えたまま、 お化け屋敷の出勤場所へと向かっていった──

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