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第23話 約束を残して、夏は遠ざかる

 お化け屋敷の前に着くと、すでに先輩たちが集まっていた。配置を決める声が、夏の空気の中に響いている。 「じゃあ今日の受付は、涼と黒川さんなー」  そう言った先輩が、ちらっとそらの顔を見て、口元を歪めた。 「本当は、可愛い系のそらと、かっこいい系の黒川さんで並べて集客狙いたかったんやけど……今日のそら、ちょっと顔ブチャイクすぎやからな。目、パンッパンやん。寝不足か?」 「……すんません。昨日、めっちゃ感動する映画観てもたんで……」  苦し紛れに作った言い訳が、喉の奥でつかえそうになる。 「っちゅうわけで、そらは今日、出口のライト回収係。いけるか?」 「あ、はい。いけます」 「今日は暗闇で顔隠しとけ」 「あざまっす」  先輩の声に頷きながら、心の中では“本当にありがとうございます”と小さくつぶやいた。今の顔で受付に座るなんて、絶対無理だったから。  それでも——  並んで受付に、りょうと黒川さんのことが、どうしても気になった。  二人の間に流れる、妙な緊張感。  昨日までのような軽口も交わされず、互いに一歩引いたような、ぎこちない空気。  そらの胸が、きゅっと苦しくなる。 「さあ、配置つくでー!」  先輩の掛け声に、それぞれが散っていく中。   「……ちょっと話そうや」  そういって、啓太朗が涼と二人が並んで、受付横のパイプ椅子に腰を下ろす。  その光景を、そらは遠くから見つめながら、  胸の奥でなにかがざわつくのを感じていた。  (……涼……黒川さん、何言うんやろ)    止まりかけた足を、もう一度動かして。  ライト回収ブースのある出口に向かって、そらは静かに歩き出した。  閉園のアナウンスが流れはじめる頃には、日もすっかり傾いていた。  出口に集まったのライトを一本ずつ点検ながら、そらは少しずつ現実の世界へと引き戻されていた。  朝よりはマシになったまぶたも、まだほんのり腫れている。 けれど、今日は誰にも泣き顔を見られなかった。それだけで、ちょっとだけ自分を褒めてやりたい気分だった。 「ふぅ……終わった」  最後のライトを片づけて、腰を伸ばす。  その瞬間、後ろから誰かが走ってくる気配がした。 「そらー、お疲れー!」  それは涼だった。 「おお、目ぇだいぶマシになったやんけ。今朝のめっちゃブサイクが、ちょいブサイクぐらいには回復しとるわ」 「うっさい。だまれ」  そらがむすっとした顔で言い返すと、涼は笑って肩をすくめた。 「まあ、あれやな。……俺もう、お前にがんばれ、としか言えへんわ」  それだけ言うと、涼はパンッとそらの背中を軽く叩いて、 「俺、今日急ぐから、先行くで!」  そう言って、足早に控え室の方へ走っていった。 「……はぁ? なんや、あいつ」  ぽつんと立ち尽くすそら。  意味深な言い残し方に、胸の奥がむずがゆくなった。  でも、その余韻に浸る間もなく—— 「そら!」  後ろから、大きな声で自分の名前を呼ばれた。  その声だけで、心臓がひとつ跳ねた。  聞き間違えようもない、優しくて、でもどこか距離のある、あの声。  振り返らなくてもわかってしまう。  啓太朗だった。  ただ名前を呼ばれただけなのに、  また、あの胸の奥がぎゅうっと締めつけられる。 (……あかん、また、きゅんってなっとるやん、俺……)  せつなさと期待と、どうしようもない想いが、そらの胸の奥でぐるぐると混ざっていた。  「そら、今日ちょっと時間ある?」  声をかけられて、そらの胸がまたひとつ跳ねた。  啓太朗は、少しだけ遠慮がちに、でもまっすぐにこちらを見ていた。  「あの、ご飯とかまで行かんくてええんやけど、ちょっと……話したい」  「……え、あ、ありますけど」  思わず言葉がつっかえた。  でも断る理由なんて、ひとつもなかった。  「ごめん、五分……いや、十分でええから。時間くれる?」  「……はい。大丈夫っす。別に予定ないんで」  「……ありがとう。じゃあ、とりあえず終わったら、俺、今日も車で来とるから。車のとこ集合な」  「……わかりました」  自然と目線が合って、そらはうなずいた。    バイト終わり、着替えを済ませて、出口を出た頃には、  あたりはオレンジから群青へと、静かに色を変え始めていた。  駐車場の端にぽつんと停まった啓太朗の車のそばに、彼の姿があった。  助手席側に寄りかかるようにして立ち、煙草をくゆらせている。  口から吐かれた白い煙が、風に乗って空へ溶けていく。 (……ほんま、かっこええなぁ……ずるいぐらい)  そんなことを思いながら、そらはゆっくりと歩み寄った。  「……お邪魔します」  声をかけると、啓太朗が振り返って、煙草を消す。  「来てくれて、ありがとな」  少しだけ笑ったその表情は、いつもより柔らかかった。  「……もし大丈夫なら、一番初めに行った、雪響山……また行かへん?」  思いがけないその提案に、そらは一瞬だけまばたきをした。  でもすぐに、うなずいた。  「……はい。じゃあ、行きましょう」  その返事に、啓太朗が静かに笑った。

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