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第24話 約束を残して、夏は遠ざかる
車がゆっくりと夜道を登り始める。
車内には小さくラジオがかかっていて、タイヤがアスファルトを滑る音が静かに響いていた。
なんとなく、お互いに言葉を探しているような空気が流れる。
しばらくして、ハンドルを握る啓太朗がぽつりと口を開いた。
「……涼くん、めっちゃええ子やな……友達想いで」
唐突な言葉に、そらはちょっと驚いて啓太朗を見た。
けれど、その横顔は真剣で、少しだけ優しさをにじませていた。
「……まあ、そうっすね。あいつが幼なじみでよかったです」
そらは少し笑って、前を向いた。
「でも……そこ抜けにアホっすけどね」
「……ふふ……そこは否定できひんなぁ」
啓太朗が、ほんの少しだけ口元を緩める。
二人の間に、少しだけ和らいだ空気が流れる。
それは、ほんの小さな一歩かもしれないけど、
確かに、さっきまでよりも、近づいた気がした。
「……今日、涼くんにめっちゃ怒られたわ」
ハンドルの向こう、啓太朗がぽつりと言う。
「え? あいつ、またなんかやらかしたんすか?」
そらが思わず聞き返すと、啓太朗はちょっと笑って、首を横に振った。
「いやいや……ちゃうよ。まっすぐ正論ぶちかまされただけ」
「……はい?」
「いや〜、あれには参った。ほんまに」
啓太朗が苦笑いしながら肩をすくめる。
「でも……ちょっと、いろいろ考えさせられた」
言葉の端々からにじむのは、冗談とも本気ともつかない空気。
けれど、そらにはそれがどういう意味なのか、うまく理解できなかった。
(いろいろって……なに?俺のこと? それとも、別の話?)
思考をめぐらせても、答えに辿りつかない。
「……はあ」
結局、絞り出したのは気の抜けた相槌だけだった。
そうこうしているうちに、車がカーブを抜けて、見晴らしのいい場所へと出る。
「——着いたで」
啓太朗が車を停めると、そらも黙ってシートベルトを外す。
二人で並んで車を降りると、澄んだ空気がふわりと肌を撫でた。
目の前には、雪響山からの夜景が広がっていた。
静かな街の灯りが、まるで星空のように瞬いている。
風がやさしく、秋の匂いを連れてくる。
「……ああ、変わらず綺麗やなぁ」
啓太朗が、ぽつりと漏らすように呟いた。
その声に、そらも顔を上げて、景色を見つめる。
夜景の向こうには、初めてここに来たあの日の記憶。
他愛のない会話、あの時のドキドキ。
全部が、ふいに胸に蘇ってくる。
(……あかん)
(ほんまに俺、情緒不安定かもしれん)
込み上げてくるものを必死で堪えながら、そらは目をぎゅっと閉じた。
ふたり並んで夜景を見つめていると、啓太朗がふと口を開いた。
「そら。八月ラストの週と、九月のお化け屋敷とプール終了までのシフト出てたよ」
「……あ、そうなんすね」
そらがなんとか相槌を返すと、啓太朗が横目でちらりとそらを見ながら、静かに続ける。
「あと、一緒に入れるの……日日やった」
その声は、少しだけ申し訳なさそうだった。
、九月一日、一日一日から学校やもんな」
「……はい」
「……ちょっと、寂しいな」
その言葉を聞いた瞬間、また現実が胸に突き刺さった。
(ああ……またや)
あの夜、店を出たときの“帰る”って言葉。
車の中で聞いた“東京”の二文字。
何度も、何度も、頭では理解していたはずなのに、
今こうして言葉として聞かされると、またひとつ心が削られていくようだった。
けれど、もうフリーズはしなかった。
ただ、そらはまっすぐ前を向いて、静かに現実を受け止めた。
(うん、分かってた。最初から分かってた。分かってたのに……)
分かっていても、悲しさは薄れない。
現実は、やっぱり悲しい。
夜の空気が、やけに冷たく感じる。
沈黙がふたりのあいだに落ちる。
虫の音だけが、どこか遠くで響いていた。
「……そら」
啓太朗が、再び口を開いた。
「俺……九月十日に東京戻るよ」
その言葉に、そらの肩がほんの少しだけ揺れる。
「……だから、最後に一緒にシフト入るのは……六日が最後や」
そらは黙って、啓太朗の横顔を見つめた。
「そこで、バイバイやな」
その声は、優しかった。
優しいのに、残酷だった。
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