42 / 60

第42話 覚悟しといてな

 「家帰ったらさ、玄関に親父が立っとって……開けた瞬間、思いっきりどつかれた」  ぽつりとそう言って、啓太朗は苦笑をこぼした。 「『お前は何やってんだ、中学生のくせに』って。それに―― 『しかも相手が男やなんて、恥ずかしくないんか』って」  そこで、啓太朗は短く息を吐いた。 「『お前はたぶらかされたんやな、その相手の奴に。言うてみ!!  もうたぶらかさんように、俺が言うてくる』って言うんよ。やばくない?」  低く笑って見せたけど、その笑いには苦さが滲んでいた。 「……ほんま焦ったよな。『それだけはやめてくれ』って……  『相手は何も悪くない。むしろ俺が悪いんや』って。  『向こうは俺のことなんも思ってないのに、俺が付きまとっとるだけや』って、必死で言ったわ」  視線を落としたまま、ぽつぽつと言葉が続く。 「そんなん言いふらされたら、困るやろ?……それこそ世間体やばいんちゃう? 黒川の名に傷つくんちゃう?って」  そうして危機一髪で、相手の家に乗り込まれるのは免れた。 「……でも、それから先はもうあかんかった。別れるしかなかった」  その声は、どこか遠くを見つめるように低かった。 「なんも理由言わんと、『ごめん、飽きた。だから別れよ』って、一方的に告げた。 ……俺、ひどいやろ」  そらは、返す言葉が見つからず、視線を落とした。  胸の奥が少しざわつくような、気まずい空気が漂う。  うつむいたまま、ただ膝の上の手をぎゅっと握りしめた。  短い沈黙のあと、啓太朗はまたぽつりと口を開いた。 「……でな、そのとき思ったんよ。もうこの地元では誰も好きにならん。  好きになったら、自分も相手も傷つくだけやって」  啓太朗は、少し間を置いてから続けた。 「それから俺は、女の子に告白されたときだけ、たまに答えるようにした。 ……しかも、親父の事業に有利になりそうな家柄の子だけ」  乾いた笑いを浮かべる。 「ええとこの子とか、会社の社長の娘とか。……うちの地元、結構そういう人多いやろ。  だから、告白されても、その子のことは全然見んと、家柄や損得だけで決めとってん」  そこで、わずかに目を伏せた。 「……女の子らも、すぐに気づくんや。『ほんまは私のこと好きじゃないんやな』って。 途中で、気づいて。  で……俺が振られる」  息を吐きながら、苦笑い。 「でもな、その子らと付き合っとる間は、親父も何も言わへんねん。  ……ほんま、アイツ欲に忠実やん。あのくそ親父」  短く肩をすくめる。 「まあ……俺も俺で、相当やばいけどな。……幻滅した?」 「しない」  そらは即座にそう答えて、握っていた手をさらに強く握った。 「そんなこと言ったら、俺だって最低や」  真っ直ぐに啓太朗を見上げる。 「だって、この話聞いて……  中学生の啓太朗さん、めっちゃつらかったよな。  かわいそうやなって思う気持ちもちゃんとあるのに……  俺、一番に、その手つないだ男の子に嫉妬してる」  視線を伏せて、ぽつりと続ける。 「だって、啓太朗さんに思ってもらえて、手つないで下校して……  俺やって、中学生の啓太朗さんに想ってもらいたかった……  そのあと付き合ってた女の子たちも、めっちゃずるいって思ってる。  俺はそんないい家柄やないし、啓太朗さんのお父さんを満足させられるようなこと、  なんにもない。  だから……うわべだけでも選んでもらえた、  その子たちですら、うらやましい……」  自分で言いながら、そらは小さく息を吐いた。 「……やばいやろ、俺も。昔のことにこんなに嫉妬してまうんやで」  そう言って、そらが自分に呆れたように、ちょっと失笑した。 「いやいや、そらのそれと俺のとは……また全然違う気がするけど」  啓太朗は、ふっと口角を上げた。 「でも……もうなんか、そらが可愛いからどうでもよくなった。 もう、それでいいことにする」  そらもつられて笑い、二人で声を合わせて笑い合った。  やがて、笑いが収まると、短い沈黙が落ちる。  その静けさの中で、啓太朗がぽつりと口を開いた。 「だからな。ほんまにそらが俺のこと好きって言ってくれたとき、 めっちゃ嬉しかったんやけど……  それと同時に、玄関で怒り狂った親父の顔が浮かんできた」  視線を落としながら続ける。 「……訳もわからず振られた、あの子の顔も。 悲しみにくれた顔も、一緒に浮かんできて。  ――これは、あかんなって思った」  少し息を整えてから、真っ直ぐそらを見る。 「……でも、あの夏ずっと一緒におるうちに……どんどん、そらのこと好きになっていって。  諦めきれんくなって……」  そこで、苦笑をこぼす。 「だから……俺はさっさと就職決めて、地元から離れて、しがらみから解放されて、  自分でちゃんと生きていく力をつけてから、そらを迎えに来ようと思ってた。  ……まあ、こんなに早くなってもたけどな」  そう言って、啓太朗は少し照れたように笑った。 「まあね、なんやかんや一年待ってくれって言われたけど……九月にバイバイしてから、まだ八ヶ月しか経ってへんからな。だいぶ早なりましたね」  そらは笑いながら続ける。 「でも正直、この八ヶ月……体感十年ぐらいあった気します。それぐらい、早く会いたかった」  その言葉に、啓太朗は即答した。 「……間違いない」  ふっと笑みを交わしたあと、ケイ太朗が少し真面目な声で切り出す。 「なぁ、そら。ちょっと重い話していい?」

ともだちにシェアしよう!