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第56話  Forever, You【SS】side~keitarou

数日後、家に帰ると、玄関で父が待ち構えていた。 何事だと思った瞬間、視界が激しく揺れる。 気がつけば床に倒れていた。――叩かれたのか? そう思った途端、父の怒声が飛んできた。 「何をやってんねや、お前は!  あれだけ“みっともないことはするな”って言ったやろが!今日、誰と帰ってきた! 三日前、誰と一緒に帰ってきたんだや!」 父はぎらついた目を細め、口元を引きつらせる。 軽蔑と怒りを混ぜたような表情が、薄暗い玄関に浮かんでいた。 「近所で噂になってんねやぞ。  お前が――男同士で手ぇ繋いどったことが」 啓太朗の中で、すべての辻褄が合った。 ――あぁ……あの時、誰かに見られてたんや。 分かっていたはずなのに。 父の性格も、この家の空気も。 それでも、舞い上がって忘れていた。 好きな子と一緒に帰れる喜びに溺れて、 我を忘れていた。 不覚だった。 そんな自分に、腹が立った。 啓太朗は、床に倒れ、 うつむいたまま身動きできなかった。 父の怒声は絶え間なく浴びせられ、母は何も言えず、ただ後ろから見ているだけ。 「相手は誰やねん。お前をたぶらかしたんやろ。  これ以上近づくなんて、俺が許すと思うな。  そいつの名前を言え」 父は、当然のようにそう言い放った。 啓太朗の腹の奥底から、逃げ場のない怒りが湧き上がった。 けれど、ここで感情的になったら ――俺も父と同じだ。 俯瞰しろ、と自分に言い聞かせ、 頭を必死に回転させる。 そして、言い放った。 「俺や。俺がたぶらかしたんや。  相手は何も悪くない。俺が一方的に好きになって、俺がつきまとった」 啓太朗は顔を上げ、口元だけで冷たく笑った。 「ええんか? 世間的にやばいんちゃう? それこそ噂が流れて、黒川の名前に傷がつくんちゃうんか。相手の家に乗り込んで恥をかくのは、こっちの方やで」 声は冷たく、静かだった。 ――たった一人、彼氏になってくれたあの子を守るために。 父は大きな足音を響かせながら、リビングへと戻っていった。 啓太朗は、土壇場で相手の家に乗り込まれることだけは避けることができた。 けれど、それでも――これ以上、付き合いを続けることはできなかった。 翌日、「飽きた」と一方的に告げ、距離を置いた。 父に殴られたことよりも、 罵声を浴びせられたことよりも。 何よりも啓太朗の心を深くえぐったのは―― その瞬間、相手が浮かべた表情だった。 涙をこらえきれずに揺れる瞳。 「なんで」「どうして」と言葉にできない思いが、全部その顔に刻まれていた。 問いかけも拒絶もない。ただ、ひたすらに傷ついたその顔。 その記憶が、今も胸の奥を抉り続けている。 (……そんなこともあったな……) あの時はさすがに凹んで、仮病を使って保健室で布団を被って、声を殺して号泣したっけ。 今でこそ懐かしい思い出として振り返れるが、しばらくは深いトラウマになっていた。 地元ではもう二度と好きな人は作らない。 誰も幸せになれないと決めつけて、家柄のいい女の子と適当に遊んでいた。 (……それが、今ではこれだもんな) 啓太朗は、すうすうと寝息を立てるそらの頬を、指先で軽くつついた。 この子が可愛い。愛しい。 そして――守りたい。 自分とは違って、そらは地元が好きだ。 そら自身の魅力と、周囲の温かさに恵まれて、楽しく暮らしている。 地元を愛せない自分とは、まるで対照的に。 けれど、もし男と付き合っていると知られたら……どうだろう。 閉鎖的で、古い価値観の残る場所で、今までと同じように、周りは接してくれるのか。 それとも、好奇や偏見の目で見られ、辛い思いをするのか。 そらに降り注ぐ不幸の矢は、全部この手で払い落としてやりたい。 できることなら、このまま地元を愛したままで。 ……いや、いっそ攫ってしまいたい。 どこか遠くへ連れ出して、ずっと二人で穏やかに過ごしたい。 そんなことを考えていたら、ますます離れたくなくなった。 それでも時計の針は平等に進む。 囲い込みたい衝動を押し込み、そっとそらの肩を揺する。 「そら、そら……おはよう。そろそろ起きや。終電、間に合わんくなるで」 寝ぼけ眼のそらの可愛さは、破壊力抜群だった。 起き抜けに事後の痕跡が残る部屋を見て、顔を真っ赤に染めている。 あぁ……帰したくない。 今すぐ押し倒して、もう一度抱きたい。 そう思いながらも、啓太朗は帰り支度を促した。

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