8 / 26

第6話  君の中身も好きだから

教室の窓の向こうで、桜の木から花びらが舞っていた。 もう、四月も後半だ。 ぽかぽか暖かくて少し眠い、そして花粉から少しずつ解放されるこの時期が、俺は一年の中で一番好きだ。 ただそれだけのことで、心が少し浮かれる。 何かいいことが起きそうな気がしてくる。   ……そういえば、あの悪夢のような係決めからもう数日が経った。 パンフレット係と清掃係。 俺はまさかの二足のわらじを履かされることになってしまった。 パンフ係は、聞いたところによると、尋常じゃない仕事量らしい。 正直、想像すらしたくない。 玲央は、何の係になったんだろう。 今さらだけど──連絡先を交換しておけばよかった。 あのとき、自動車科まで来てくれたことへのお返しも兼ねて、 今度は俺が玲央のクラスに顔を出してみようかな。 文化祭の話もしたいし…… なんて、そんなことをぼんやり考えていた。   そして迎えた、文化祭係会の初日。 うちのクラスは、──明確に誰がとは言わないが、ある実行委員の仕事が遅れに遅れていたせいで、 最初の段階から、締切りギリギリだった。 その余波をくらって、俺はまさかの係の兼任。 パンフレット係と清掃係を掛け持ちすることになった。 ……とはいえ、清掃係の先輩が 「パンフ制作が落ち着くまでは、こっちは来なくていいよ」と言ってくれて、 正直、めちゃくちゃ助かった。 ──俺の責任じゃないけど。 ちょっとだけホッとしたのも事実。   そんなわけで今、俺は第二パソコン室の一番後ろの席に座っている。 ここでパンフ係の会議が行われるらしい。 何人いるのかは正確にはわからないけど、 パソコンの向こうに見える人数から察するに、もうほとんどのメンバーが集まっている。 そのときだった。 俺のすぐ横の扉が、そっと音を立てて開いた。 控えめに入ってきたその姿に、自然と目が吸い寄せられる。 春の風と一緒に流れ込み、柔らかい黒髪がふわりと揺れた。 ──俺の心臓が、一拍だけ跳ねた。 「玲央!」 久しぶりに見る彼の姿に、思わずちょっと大きめの声が出てしまった。 玲央は俺を見て、一瞬だけ驚いた。 けれどすぐに──あの、いつもの優しい笑顔を向けてきた。 「芦沢くんもパンフ係だったんだね」 ──人前だからか、今日は“こっち”の玲央らしい。 「隣、いいかな?」 玲央が俺の隣の空いている席を指さす。 「もちろん」 俺はキャスター付きの椅子を引いて、玲央を迎える。 隣に座った玲央は、すっと体を寄せてきて── 「……お前がいて良かった」 俺の耳元で、そっと囁いた。   バッと耳に手を当て、思わず玲央を振り返る。 ──なんだか、耳がくすぐったい。 「楽しくなりそうだな」 そう言って、玲央は俺だけにわかるように、ニヤリと笑った。   そのまま会議が始まり、役割分担の説明が進んでいく。 俺たち2年生は、学校案内のページを作ることになった。 地図、写真、説明文。 クラスの連中は、係りを俺に押し付けるために、「絵がうまい」とか、「字がきれい」とか持ち上げてきたが、 ……正直、この手の作業はあまり得意じゃない。 でも、玲央は違ったようで── 「僕、目印になる場所の写真、撮ってきます。加工もできるので、やらせてもらっていいですか?」 玲央の控えめな声が、周囲の空気をふわりと変えた。 2年のメンバーが一様に手を止めて、優しく微笑む『滝沢玲央』の声に耳を傾けている。 「はぁ……」と、うっとりと溜め息を漏らす女子までいる。 みんな、次の玲央の声を待っているようだ。 俺が意見を言おうと口を開こうとしたときだった。 「そうだなぁ。一緒に誰か来てほしいな……」 玲央は周囲の反応を気にすることなく、自分の話を続けた。 そして彼は俺の袖を、ちょんっとつまむように引っ張って言った。 「芦沢くん、僕と写真の担当になってくれないかな?」   ──えっ。 ちょ、袖……は?? なんか、かわいすぎんかそれ……? 思考が止まりかけた俺は、反射的にこう言っていた。 「……俺で良ければ、なんでもします。 荷物持ちでも買い出しでも、任せてください。」 俺は玲央の殺傷能力高めのかわいさにコロッとやられ、一瞬で玲央の下僕と化した。 その後の役割分担も、案外すんなりと決まっていき、10分後には役割ごとに仕事に移っていた。 俺と玲央はパンフに載せる写真を撮るため、校内の目印になるような場所を探し始めた。 階段の踊り場、職員室前の掲示板、購買の自販機横── 文化祭に来た人が迷わず移動できるように、わかりやすいポイントを押さえていく。 「おい、もっと上から撮れよ」 体育館の2階から、見下ろす形で体育館を撮りたいと玲央が言うから、俺は高めの身長をもっと伸ばして上から写真を撮ろうとしている。 「ぐぐぅ……、監督……これ以上は伸びませんっ…」 「おい、やる気出せよ。その無駄に高い身長やっと活かせるんだぞ」 「俺は無駄だとは……思ってませんが……」 そんなやり取りをしつつ、俺たちはポイントになりそうな場所の写真を撮ってまわった。 最後に自動販売機のある渡り廊下の写真を撮って、とりあえず休憩することにした。 ーープシュッ、と玲央が炭酸ジュースの蓋を開けた。 校舎とつながる場所に数段の階段があり、そこに並んで座る。 玲央が炭酸ジュースを飲む姿を見たときに、俺は玲央に初めて会ったときのことを思い出した。 ──あのときも、炭酸飲んでたな そして、ずっと頭の隅にあったけど、自信がなくて聞けなかったことを、玲央に聞いてみることにした。 「ねえ、今更なんだけど、どうしてみんなの前で本当の姿隠してるの?」 玲央は両手でジュースを持ったまま、膝の上にぽんと置き、校舎の向こうをぼんやり見つめていた。 答えが返ってくるまで、少し間があった。 ──踏み込みすぎたかも。 俺が口を挟むべきじゃなかったかもしれない、と思いかけたそのときだった。 「……俺さ、顔だけは褒められるんだよ」 ぽつりと、玲央が言った。 「でも、中身が“これ”だと知ったら──勝手に幻滅されるんだよね」 「え?」 「小学生の頃、あったんだ。『そんな子だと思わなかった』って言われてさ。そっから、クラスの輪から外されて」 玲央は笑ってるような口調だけど、目は笑っていなかった。 「だから、“見た目どおりの良い子”でいた方が、みんな優しいし、楽だし。……ま、演じてるってほどじゃないけどな」 そう言って、ジュースを一口だけ飲んだ。 炭酸の音が、乾いた空気の中に小さく弾ける。 俺は、彼の核心に触れた気がした。 こんな軽い話のように話して入るけど、きっと長い間悩んでいるんだろうな。 そういえば俺が出会う前は、同級生に意見も言えなかったもんな…… 勇気を持って俺に話してくれたんだ。 俺も自分が思っていることを、大切な友達に伝えたかった。 「俺は玲央の中身も好きだから」 俺は玲央の瞳を見つめて、気持ちいっぱいに伝えた。 すると玲央が久しぶりに俺の顔を見た。 「おまえなぁ………」 眉間のシワがすごく深いが、やっぱりかわいい。 「はぁ……まじで、そういうとこだぞ」 玲央が顔を抑えて下を向いてしまった。 よく見ると、玲央の形のいい耳がほんのりと赤くなっている。 「えー、なになに?照れちゃった?」 俺は嬉しくなって、玲央を茶化したら、案の定俺の肩に強めの一撃が飛んできた。

ともだちにシェアしよう!