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第10話 冷たさは、蓋を閉じたあと

夕方、蓮と歩きながら話している最中だった。 俺は急に胸が苦しくなって、蓮に保健室まで連れて行ってもらった。 先生曰く、どうやら過呼吸らしい。 命に別状はないし、俺たちの年頃にはよくあることなんだと。 ただ、ストレスとかが原因になることもあるんだとか。 文化祭の準備、ちょっとやりすぎたのかもしれない。 今日は早めに風呂に入って、さっさと寝ようと思っていた。 ──その日の夜。 湯上がりで部屋に戻り、漫画をめくっていたとき、スマホが震えた。 画面には「滝沢玲央」の文字。 俺は飛びつくようにスマホを握り、LINEを開いた。 ──本当に、玲央だ。 見間違いじゃなかった。 トーク画面の一番上。 玲央の名前が目に入り、嬉しいような緊張するような……手がこわばった。 ひと呼吸おいてから、内容を確認した。 開くと、メッセージはたった一行。 『お前、明日昼ヒマ?』 簡単な文面なのに、玲央の顔と声が、そのまま頭の中に浮かんでくる。 ──トトト 俺は指を動かして、すぐに返す。 『ヒマだよ』 送って数秒後、また通知音。 『屋上集合』 アハッ。 ひとり部屋で、思わず声が出た。 本当に玲央らしい。 いつものぶっきらぼうな言葉。 こんな、心臓をくすぐられるように、嬉しくなることってあるんだな。 ──そういえば、最後に会ったとき、玲央の様子がおかしかった気がするけど…… 玲央から連絡くれたってことは、あれは、俺の気のせいだったのかな。 こんなことなら、悩んでないで俺から連絡すれば良かった。 俺はすぐに、『OK』を掲げてるペンギンのスタンプを送った。 また十秒も経たないうちに、返ってきたのは──やたら筋肉質なおじいさんが仁王立ちしているスタンプ。 「ブハッ! どういう意味だよ」 声に出して笑ってしまう。 俺は玲央とのトーク画面を、何度も上から読み返した。 たった数回のやりとりなのに、胸の奥がじんわり温かい。 今日は早く寝るつもりだったのに、結局、画面を何度も見返してから布団に潜り込む。 ──明日が待ち遠しいな 次の日、4時間目終了のチャイムと同時に、俺はあらかじめ買っておいたパンを持って、席を立った。 「俺、今日は玲央と食べてくる」 一応、尚弥に伝えておく。 「おー、係がんばれよー」 尚弥の予想は違っていたが、俺は訂正しないで教室を出た。 その一瞬、蓮をチラリと確認した。 顔は後ろ姿で見えなかったけど、なんとなく気になった。 そういえば、昨日のお礼もちゃんと言えてないな…… 俺は蓮から意識を無理やり外し、集合場所の屋上に急いだ。 ──ギィ。 屋上の鉄製の扉を開けると、ムワッと湿った空気が流れ込んできた。 周囲を覆う独特の匂いが、これからの天気を知らせてる。 そういえば、今日の午後は雨が降るらしい。 足元のコンクリートはうっすらと曇った空を映していて、遠くのフェンスが風にかすかに揺れている。 俺は、以前、玲央と並んで座ったあの場所に腰を下ろし、スマホを手にしたまま待った。 画面を眺めたり、ふと顔を上げて扉のほうを見たり。 まだ来ないのに、心臓は落ち着かない。 さっきからスマホの時計を見てるけど、ずっと同じ時間を示してる。 この空間だけ、1秒が長くなった気がした。 ──ギィ。 扉を気にしていたから、すぐに誰が来たのかわかった。 「おまたせ」 久しぶりに聞いたはずの玲央の声。 でも聞いた瞬間、──ストン、と耳に馴染んだ。 「遅かったね」 俺が早すぎただけなのに、茶化したような言葉が出た。 玲央は迷いのない足取りで、俺の横に来て腰を下ろした。 玲央の視線が俺の手元を見つめてる。 「お前、毎日パンかよ」 普通の会話に、なんだかホッとした。 「うん。毎日パン。こちらがメロンパン、こちらが焼きそばパンと言います。」 俺は袋からパンを出して紹介を始めた。 「知ってるわ」 呆れたようなツッコミ。 俺は玲央のお弁当袋を見た。 「玲央は今日もお弁当なんだね。」 すると、玲央の動きが一瞬止まった。 「…………食う?」 こっちの様子を伺いながら、ボソッと聞いてきた。 「いいの?食べたい」 俺の遠慮のない返事に対して、玲央の動きは早かった。 まるで恥ずかしさを隠すように、俺の前に弁当箱をカチャカチャと乱暴に置いた。 「玲央の弁当なくなっちゃうじゃん」 まるまる一個の弁当を渡されて、心配になり玲央を見ると、玲央の手元にも弁当箱があった。 「俺のは、ちゃんとある。……お前のも、持ってきただけだから」 俺のために、お母さんに頼んでくれたのか? そのことに驚いて俺の動きが止まった。 「早く食えよ」 玲央の声で我に返った俺は、お弁当箱を手に取った。 丁寧に蓋を開けて、中を確認する。 白ご飯、巻いてある卵焼き、ほうれん草とベーコンの炒め物、ミニトマト、冷凍食品の唐揚げと、3つも入ってるタコさんウィンナー。 「タコさんウィンナーだ」 そういえば、前に食べてた玲央のお弁当にもタコさんウィンナーが入ってたな。 あのときは足が千切れていた気がするけど、このタコさんウィンナーの足は、ちゃんとくっついていた。 俺は箸でウィンナーをつまんで、口に放り込んだ。 続いて、バクバクと他のおかずも食べていく。 「ん!……美味しい!」 このだし巻き卵、形は歪だけど、優しい味で一瞬で食べてしまった。 「玲央のお母さんのだし巻き卵、美味しいよ!」 俺が伝えると、玲央が困ったように俺を見つめてきた。 「……が、作った」 小さな声は風にさらわれて、よく聞こえなかった。 「なんて言ったの?」 玲央は顔を真っ赤にして、俺を勢いよく見返してきた。 「だからっ!俺が作ったの!!」 それは、恥ずかしいのか、怒っているのかわからないほどの勢いだった。 「……え?これを?」 俺は、玲央の言葉をようやく聞き取って、意味を理解した。 手元のお弁当を見つめる。 形の歪なだし巻き卵…、タコさんウィンナー…… さっきまでも十分嬉しかったけど、今はおかずたちが愛おしく見えてくる。 玲央が作ってくれたんだ。 ──俺のために? 嬉しすぎて信じられない。 俺は、ゆっくりと玲央に視線を戻した。 玲央はもはや首を無理矢理に捻って、どこか遠くを見ている。 相変わらず顔は真っ赤だ。 「玲央、まじでありがとう」 伝えたい気持ちはたくさんあるはずなのに、俺の口から出る言葉は少し軽く感じる。 でも、玲央はそれを、聞いてやっとこっちを見てくれた。 「美味かったなら……よかった。お前、前に食いたいって言ってたからさ」 俺の弁当のついでだ。と言って、玲央は残りのお弁当をまた食べ始めた。 その姿をしばらく見ていたけど、俺も玲央が作ってくれたお弁当をゆっくりと噛み締めながら平らげた。 ──嬉しいな。 あのとき俺が食べたいって言ったから、朝早く起きて作ってくれたのかな。 俺のお弁当には、形のきれいなタコさんウィンナーを入れてくれたのかな。 俺にお弁当を渡したくて、昨日は連絡をくれたのかな。 玲央が頑張ってくれたであろう、たくさんのことを思い浮かべながら、俺はお弁当箱に蓋をした。 「ごちそうさまでした」 俺は玲央にありがとうと言って、空のお弁当箱を返した。 「それと、お昼誘ってくれてありがとう。連絡くれて、嬉しかったよ」 俺は昨日のLINEのこともお礼を言った。 「お前、なかなか連絡よこさねーから……、仕方なくだよ」 照れ隠しなのがバレバレだ。 そんな玲央の優しさに、俺は「ごめん」と、笑って返した。 LINEの話でふいに思い出したことを、何故か玲央に伝えたくなった。 気持ちが舞い上がっていたのか、いつもより口の栓が緩くなってしまって……。 今言わなくても良かったのに、俺はつい言ってしまった。 「そういえば、蓮が玲央の連絡先知りたいって言ってるんだ」 ほんの軽い気持ちで言ったはずなのに、言葉が空気の中で妙に重く沈んでいった。 玲央は一瞬だけ瞬きを止めた。 その間に、頬の赤みがすっと引いていく。 「……なんで、お前にそんなこと言われなきゃいけねーんだよ」 低く冷たい玲央の声が俺の耳を刺してくる。 ──怒らせた。 何故かははっきりわからないけど、俺の言葉で玲央は怒った。 さっきまでの幸せな気持ちが、一気に凍りついたようだった。 手のひらから汗が滲む。 「ご、ごめん……」 この空気に耐えられなくて、理由もわからないまま思わず謝ってしまった。 そんな俺の態度を見て、玲央が……チッ、と舌打ちした。 それから数秒のうちに、玲央はお弁当箱を片付けて、その場にすっと立ち上がった。 そのまま、屋上の扉に向かって一歩、足を出したところで動きが止まった。 俺はその間、息をするのも忘れていたかもしれない。 ハッ、ハッ……と浅い息を吐く。 胸が痛く、苦しい。 後悔と混乱と、わけがわからない感情で頭がいっぱいになっていく。 俺は静かに玲央を見上げた。 「連絡、しなきゃよかった」 玲央がボソッと、でもはっきり俺に言葉を投げつけた。 空には重たい雲が広がり、屋上には時折、強い風が吹いてきた。 さっきとは違う、少し冷たい空気が、筋になって通り抜けていく。 風が玲央の髪をなびかせて、表情を隠した。 それでも、震えている握った拳が、玲央の感情を表していた。 そのあと、扉に向かって歩き出した玲央は、一度も俺を振り返ることはなかった。 ──バン! 風の勢いとともに、屋上の扉が激しく閉まった。 その音が耳鳴りのように、いつまでも耳に残リ続ける。 残された俺は、玲央が消えた扉をしばらく見つめていることしかできなかった。 屋上のコンクリートに雨粒が落ちてきた。 強めの雨になりそうだ──

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