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玲央side 第12話(2) 残響の雨音

ざわめく人混みの中に現れたのは、まさに今話題に上がっていた人物だった。 「柊斗……?」 驚きのあまり、初めてあいつの名前を呼んでしまった。 今まで恥ずかしくて呼べてなかった名前が、勢いで出てしまった。 顔を見て名前を呼んだ瞬間、胸に愛おしさが溢れてきた。 名前を呼んでしまったらこうなるってわかってた。 もう後戻りできない気がした。 やっぱり、俺は── 心を奪われいた、その瞬間──柊斗が俺の左手首を掴んできた。 痛みを感じるほど力が強くて、少し怖さを感じた。 柊斗の顔を見るけど、視線が合うことはない。 ──なんだよ、何考えてんだ? その時だった。 「はっ?柊斗?……おわっ!!」 考える暇もなかった。 俺と柊斗は、蓮をその場に置き去りにして、廊下を駆け抜けていった。 一瞬、蓮を振り返ったけど、人が多くて顔はよく見えなかった。 ──蓮、ごめん すぐに俺は前を向いて、柊斗に手を引かれて走り続けた。 「おい、柊斗!どうしたんだよ!」 何度も声をかけたけど、俺の声なんて届いてないみたいに、ただ前だけを見て足を動かしていた。 ──ハァ、ハァ 人混みを縫うように走る俺たち。 賑やかなはずの後夜祭前の廊下なのに、二人の苦しい息遣いだけが耳に響いていた。 胸が苦しくてもう走れないのに、やけに熱くなった体が俺を動かしていた。 掴まれている手首が痛い。 でも、絶対に離さないで欲しいと願いながら、俺は柊斗の後ろをついて行った。 ──バンッ! 柊斗は、鉄製の扉を壊れそうなほど乱暴に開けた。 屋上には誰もいないみたいだ。 雨上がりの空には、まだ薄く雲が残っていた。 文化祭の賑やかさが、遠くから聞こえるせいか、二人だけの世界に来たようだった。 「……玲央」 俺は肩で息をしながら柊斗を見つめた。 久しぶりに目があった気がする。 俺は、柊斗の考えてることがわからなくて、少し恐怖を感じていた。 「玲央」 柊斗が繰り返し俺の名前を呼ぶ。 「何度も……呼ぶな……」 息が苦しいけど、なんとか答えた。 「なんなんだよ、お前……」 俺は自分の足元を見ながら、半分叫ぶように声を上げた。 「いったい……俺をどうしたいんだよ」 それは、今だけのことじゃなかった。 あのお弁当を渡した日から、俺は柊斗に振り回されている。 蓮との仲を取り持とうとしたのはお前だろ? それなのに、今日は蓮から俺を奪うように連れ去った。 頭の中が、混乱と恐怖と愛おしさでごちゃごちゃになっていく。 何も言わない柊斗が、余計に俺の気持ちをかき乱す。 徐々に、この場にいるのが辛くなってきたときだった。 突然、頬を手で優しく挟まれた。 そして、ゆっくりと上を向かされた。 優しい目をした柊斗と視線が交わる。 「……し、しゅうと?」 さっきまでと雰囲気が違う柊斗に、俺は戸惑った。 目があってから俺の心臓はバクバクとうるさくなり続けている。 顔を背けようとしたけど、柊斗の手がそれを拒んだ。 「玲央……」 柊斗の優しい声。 ほんの一瞬、言葉を探す沈黙があった。 胸の奥が熱くなり、吐く息さえも熱を帯びてこぼれる。 俺は、柊斗の声に耳を研ぎ澄ませた。 「玲央の一番は、俺だけにして」 聞いた瞬間、一気に体が熱を持った。 呼吸が止まって、目眩がしそうだった。 繋がる視線を、もはや外すことなんてできない。 ずっと願っていたことだった。 俺の方こそ、柊斗の一番になりたかったんだ。 柊斗の手が冷たいせいで、俺の頬が余計に熱い…… 柊斗からの告白を聞いて、俺の感情が胸の奥からあふれ出しそうになる。 ──あ、涙出そう そのとき、柊斗が突然俺を抱きしめた。 えっ、と思った瞬間には、もう柊斗の腕の中にいた。 無駄に大きい柊斗の体は、俺をすっぽりと包み込んでしまった。 「柊斗……」 俺は驚いて、柊斗の耳元で声を上げた。 ──ギュッ、と腕の力を込められる。 柊斗の腕の力が、俺を離さないと言ってるみたいだった。 強く抱きしめられて胸が苦しくなる。 それでも嬉しくて、幸せで、俺も──キュッ、と優しく柊斗の背中に腕を回した。 もう離れたくない。 これが、俺からの返事だった。 屋上に柔らかい風が吹いた。 ツバメが高く飛んでいる。 雲の切れ間から夕日が差して、祝福の光の筋みたいに見えた。 俺たちはしばらく抱きしめ合ってから、名残惜しむように体を離した。 その後、特に話すことはなかったけど、愛おしそうに俺を見る柊斗と手を繋いで、屋上から後夜祭を眺めた。 数発の花火が、まるで俺たちのこれからを応援するようだった。 今、この時だけは──この二人きりの屋上が、世界のすべてだと信じたかった。 夢のような文化祭が無事に終わり、俺たちは日常に戻っていった。 俺は初めてできた恋人に浮かれて、何をしていてもそわそわとしていた。 柊斗のバイトが休みの日は必ず一緒に帰ったし、毎日連絡も取り合った。 廊下ですれ違ったときお互いに手を振り合うだけで、その日はいい日になった。 俺は隣を歩く柊斗を見つめるだけで、心が踊るように幸せを感じていた。 そうして、2週間ほどたった頃だった。 俺は、柊斗の反応に違和感を覚えていた。 それは何か、というとはっきりわからなかったけど、とにかく──何もなかった。 毎日連絡はしているものの、他愛のないばかり。 手を繋ごうとすると「具合悪い?」と言って、体調を心配される始末。 そういえば、柊斗に「好き」って言われたこともない。 文化祭以前の友だち関係よりは親しくなってるはずなのに、恋人というとなんだか物足りない気がしていた。 そんな違和感を抱えながらも、俺は恋人として柊斗に接していた。 でもある日、俺たちの関係はなんの前触れもなく終わりを迎えた。 ──いや、始まってもいなかったんだ。 いつもの帰り道、他愛のない話の途中だった。 本当にただ、何気なく話をしてる途中で、心構えもできなかった。 それは、たった一言…… 「俺と玲央は親友だろ?」 柊斗の嬉しそうな笑顔が、俺の心臓にナイフを突き刺して、息の根を止めるようだった。 あまりに突然で、頭が真っ白になった。 傘に落ちる雨粒の音だけがやけに大きく響いて、柊斗の声が遠のいていく。 俺は返事をしようと口を開いたのに、喉がひどく乾いて、声が出なかった。 親友──その言葉を、どんな顔をして聞けばよかったんだろう。 笑えばよかった? 冗談みたいに返せばよかった? でも、もう俺の心臓は…… あの日の抱きしめられた温もりも、耳元で聞いた声も──すべて俺の勘違い。 あんなにも鮮やかだった時間が、一瞬で灰色に変わっていく。 雨はやむ気配を見せず、傘の内側は息苦しいほどに湿っていた。 隣にいるはずの柊斗の存在が、もう届かない場所にあるように感じる。 俺はなんて勘違いしてたんだろう…… 心の中で繰り返すほど、胸がズキズキと痛む。 浮かれて、舞い上がって、幸せだと信じ込んで。 結局俺は、一人で勝手に夢を見ていただけだったんだ。 もう、本当に諦めよう。 柊斗の言うとおり、親友になろう。 ……なれるのか? 頑張ったら、なれるのかな。 傘に打ちつける雨音が、残響のように無慈悲に現実を刻んでいた。 希望なんて、もうどこにも残っていない。 家までの距離がやたらと遠く感じる。 早く一人になりたいのに…… 俺たちは恋人なんかじゃない。 ──始まってもいなかったんだ。

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