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第15話 きぼうの月

俺は、スーパーの品出しのバイトを終えて原付きにまたがった。 今は一番日が長い季節だから、19時を過ぎても空はまだ夕日が残っていた。 空の高いところにある雲がオレンジ色に伸びている。 「あ、ガソリン入れなきゃ……」 燃料計のメモリが底をつきそうだった。 この老いぼれは、いつも急にガソリンの減りを知らせてくる。 俺はヘルメットをかぶり、アクセルを回した。 ガソリンスタンドに向かいながら、今日のバイトのことを思い出していた。 野菜を並べているとき、一緒に働いてるおばちゃんに声をかけられたんだ。 「柊斗くん、これ持ってってくれたの?」 「……あ、はい」 「いつも早いわね。ありがとう」 それだけのやりとり。いつもなら気にも留めないはずだった。 でも、胸の奥に小さな余韻が残った。 ──“ありがとう”。 その声に重なるように、蓮の言葉がよみがえる。 『俺も柊斗みたいに気を回せるようになれたら……なんて、思ってんだよ?』 ……蓮がそう言ってくれたからだろうか。 おばちゃんの、いつもの言葉が、特別に俺の心に響いてきた。 俺は俺が思ってるより、誰かの役に立ってるのかもしれない。 もしかしたら、本当に俺は必要な人間なのかもしれない。 原付きは夜に様変わりする道を走っている。 車のヘッドライトが眩しく感じてきた。 我ながら単純だな、とも思う。 蓮に認められたとわかった途端、自分の価値を高く見積もってしまってる。 でも──それでいいのかも 俺のことを見てくれる人がいる。 俺がやったことで、感謝してくれる人がいる。 それだけで……俺がいることに意味がある気がしてきた。 蓮が言ったとおり、全然“なんか”じゃないのかもしれない。 玲央だって、俺に『ありがとう』って、言ってくれてた。 俺は、いつもの隣にいたはずの“親友”の顔を思い浮かべた。 みんなが見惚れる綺麗な顔を、俺の前だけはクシャと歯を見せて笑ってくれてた。 それが見たくて、玲央が喜びそうなことをいつも考えてた……。 「玲央……」 久々に呼んだ彼の名前は、俺の胸をギュッと締め付けてくる。 いろんな感情が湧いてきて、俺の息を苦しくさせる。 やっとスタンドに着いて、原付きを停めた。 帰宅ラッシュが過ぎた時間帯で、あまり人はいなかった。 走っていたら気が付かなかったけど、光の下で空を見ると、もうすっかり夜になっている。 薄く雲が残った空は、たまに星を覗かせている。 俺はガソリンを満タンにして、スタンドを後にした。 このまま帰ろうと思ったけど、少し走りたくなった俺は、左にウィンカーを出し遠回りの道を進んだ。 さっきから玲央の顔が頭から離れなかった。 笑った顔、怒った顔、拗ねた顔……感情がわからない顔。 最後に見たのは、その顔だった。 玲央には、ずっと笑っててほしいと思う。 できることなら──俺の隣で。 「はぁ……俺はバカだな」 俺のため息は夜の風を切り、後ろに流れていく。 バカだ。 今更気が付いたんだ。 一番が“親友”な訳あるかよ…… 坂道になり、老いぼれバイクのアクセルを吹かす。 坂の上に来ると、下に見える街の灯が目に染みた。 俺は──玲央が、好きなんだ。 やっと、自分の気持ちが腑に落ちた。 その答えに辿り着いた瞬間、もう迷ってなんかいられなかった。 アクセルをさらに吹かす。 老いぼれの原付きがうなるような音を上げて、坂を下っていく。 夜風が顔に叩きつけられる。 それでも、今の俺には心地よかった。 ──玲央に会いたい。 この気持ちを伝えたい。 気づいたら、俺の進む道は決まっていた。 左にハンドルを切る。 そこは、玲央の家へ続く道だ。 玲央は、最初に会ったときから、すごいインパクトがあった。 あんなに、心を奪われた出会いは初めてだった。 そして、玲央の新しい一面を知るたびに嬉しくなったんだ。 それが、俺だけが知ってる姿だと思うと特別なもののように感じて、優越感すらあった。 いつも玲央は──俺の宝物だった。 この気持ちの正体に気づけたからには、すぐにでも玲央に伝えたい。 今すぐに、伝えたいんだ……! 見慣れた道に着いて、路肩でエンジンを切った。 スーツの人がまばらに歩いている住宅街だ。 学校近くの玲央の家。 ここまで迷わず走ってきた。 玲央の家の窓を見ると、明かりがついていた。 部屋のカーテンに人影が見えた気がした。 「玲央……」 すぐそこにいる愛おしい人の名前を呼ぶ。 呼んだら出てくるかな、なんて少し考えたけど、そんなことはなかった。 スマホを取り出して、玲央に連絡しようとLINEを開いた。 夜風が優しく俺の頬を撫でていく。 虫の声が静けさを助長する。 俺はさっきまでの威勢はなくなって、ただその場に立ち尽くしていた。 玲央の存在を近くに感じた瞬間、会うのを尻込みしてしまった。 本当はすぐにでも、会いたいのに。 でも今会うのは、少し怖い。 ──もし、拒絶されたらどうしよう 俺はここまで来て、弱気になっていた。 そこからしばらく、指の先もすらも動かせず、石像のように一点を見つめていた。 帰宅途中の男性とすれ違って、やっと我に返った。 俺はまた原付きに跨り、エンジンをかけた。 最後に玲央の部屋の窓を見て、ゆっくりとUターンした。 「はああぁ…………」 盛大なため息が、緊張を少しだけ解してくれた。 今日は伝えられなかった。 玲央への気持ちに気づけた喜びで、衝動的に動きすぎてしまった。 でも俺は──絶対に、この気持ちを伝える。 決意を固めて、俺はエンジンを吹かせた。 稲が風に揺れて、東の空には満月になりかけの月が輝いている。 俺はその光に向かって走り続けた。

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