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第2話-3 松永と春

ステージからは他のメンバーのソロ曲が聞こえてくる。 この曲の後、1人のメンバーが次にソロをやり、その次に春のソロ曲を披露することになっていた。 時間は多く見積もって5〜6分というところか。 浅く息を繰り返し倒れ込む春が、そんな短時間で持ち直す想像を、松永は全く出来なかった。 「こんな姿を見せる気なの?」 松永は春を静止するため、強くそう言う。 すると春が言った。 「…ステージに立ったら出来る」 松永は言葉を詰まらせた。 春なら出来てしまうだろう、と思ってしまったからだ。 壱川春は、そういう人間だった。 多くの人間の理想や期待、 それらに全て、完璧に応えるのだ。 誰もが期待をかけて春に目線をやるステージで、春は一切の隙を見せなかった。 実際、過去に同じように高熱で現場に現れた日も、送迎車以外では一瞬も表情を崩さず、誰にもそれを気づかれることなく完璧にやり遂げた。 この9年、春はそうして一度も仕事に穴を開けたことがなかった。 多くの人間が春に大きな期待をかけて今日のデビュー公演を見に来ている。 松永が黙っていると、春が言った。 「松永さん、説得して みんなを説得して」 松永は言った。 「本当に出来るのね?」 春が小さく微笑んで言った。 「松永さんも出来るって…そう思うでしょ」 松永は立ち上がり、無線で「変更無しで進めてください」と言った。 その瞬間、周りにいたスタッフたちが不安げに目線をやる。 松永はそんなスタッフたちに、次々に指示を飛ばした。 そして春を抱え、春の着替えスペースのカーテンを閉めた。 春の着替えを手伝う。 ふと触れた肌が、あり得ないほどの熱を帯びていた。 しかし春の表情を見て、松永も覚悟を決めた。 春が深く深呼吸をした。 その背中を松永は優しく叩いた。 「大丈夫」 そう言った松永に、春は黙って頷いた。

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