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第11話-1 その夜

その日、春と秋はそれぞれ向井の自宅へ向かっていた。 電話口に松山が声を荒げたあの日から数日後、秋の元に松山から連絡が来た。 静かな話ぶりでお願いがある、と言い、続けて言ったのは「春と一緒に向井さんの家に来て欲しい」だった。 秋はその松山の願いに一度は戸惑ったが、松山が小さく縋るような声でお願い、と何度も言うから、ついに断れなかった。 そうして春が仕事のため一時帰国するその日、同じように松山にそう頼まれた春は、仕事終わりに向井の自宅へ向かっていた。 向井のマンションの下で、春と秋は落ち合った。 なんだかんだと忙しく、春は帰国しても自宅に帰ることが出来ず、この日約1ヶ月ぶりに二人は顔を合わせた。 秋は久々に見る春に何だか落ち着かず、緊張した様子を見せ、そんな秋に春は小さく微笑み「毎日電話してるよ?」と言った。 そう言った春の言葉に秋はまた照れ、秋が何だかもじもじとしていたら、エントランスから松山が出てきた。 「何いちゃついてんだよ」 「いちゃついて…ないし!」 そう咄嗟に言い返す秋に、松山は軽く笑い、そしてすぐに少し俯いて言った。 「…ごめん、時間作ってもらって」 そして、ふっと顔を上げて春を見て、言った。 「俺ね、ずっと前から、向井さんが好きだったんだ」 「でも…向井さんは…春が好きで、それで…春が…向井さんと…会ってたって言うのも…知ってて」 「でも」 「もう…そういう風に会わないで欲しい」 「…って、まあ、会わないんだろうけど」 そう言って松山はチラリと秋に目線をやる。 秋は松山と目が合った後、ふっと春を見た。 春はじっと、松山を見ていた。 「…俺…面倒臭いからさ…それ、目の前で…約束して欲しくて 春にっていうか…向井さんに、だけど」 「…巻き込んでごめん」 そう言って頭を下げた松山に、春は静かに言った。 「分かった」 松山はその声に顔を上げ、うん、と言った後、背を向けて歩き出した。 春と秋もそれに続いて歩き出した。

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