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第11話-5 その夜

―― ―― ―― 向井のマンションを出て、春と秋は付かず離れずの距離を保ち、横並びで歩いていた。 すでに春は変装無しでは外を歩くこともままならず、人通りの少ない夜だが、春はキャップを深く被っていた。 秋はずっと黙りこくったままだ。 ふと、春を見るが、キャップのつばのせいでその表情は見えない。 すると、春が口を開いた。 「机、買う?」 「え?」 「秋の部屋 ずっと床で作業してるでしょ」 きっと、先ほど向井から受け取った封筒の金銭で買おうか、と言っているのだ、と秋は顔を顰めた。 「…嫌だ」 秋がそう返すと、春は静かにそっか、と言った。 「…自分で買う 自分のものだし… …それは春のお金でしょ」 その言葉に、春は黙って小さく頷いた。 二人はしばらく黙って歩き、川沿いに差し掛かった。 秋がふと立ち止まった。 それに気付き、春も足を止める。 秋は足元に転がる小石を拾って、それを水面に向かって投げた。 とん、とん、とん、と小さな音を立てて跳ねた後、石はやがて沈んでいった。 昔こういう遊びした?と空気を変えるように明るく春に問う。 すると春も小さく微笑み、うん、でも下手だよ、と言った。 やってみて、と秋が言い、春が石を拾って投げる。 しかし、跳ねることなく、石はすぐに沈んでしまった。 はは、と秋は笑う。 「春にも出来ないことあるんだ」 「あるよ、…たくさん」 秋はすっと目を伏せ、また石を拾って静かに尋ねた。 「向井さんのこと、好きだった?」 春は何も言わない。 秋はその石をまた投げ、石が沈むのを見た後、言った。 「…別れ話みたいだった」 「向井さんにとっても春にとっても…お互いが…必要だったんだなって」 「…俺は…春の救いになれるのかな」 春はそう言った秋をじっと見つめた。 そうして推し黙った後、ふと先ほどの封筒を取り出した。 そしてそれを投げるように腕を上げた。 秋はそれに反応して大声でその腕を止める。 「ちょちょちょ!な、何してんの??!」 春は無表情のまま、つぶやくように小さな声で言った。 「…受け取るつもりなかったし どうしていいか分かんないし」 秋は春の手から封筒を取った。 それはかなりの分厚さで、きっと200万は下らないだろう。秋は、春が向井と会っていた回数をその重みで感じた。 秋は息を呑み、そして言った。 「…レンジとか」 「トースターとか…フライパンとか…ケトルとか…ほら、あとは鍋とか…そういう、二人で…使うもの、これで買おう」 「…春の家、何もないし」 そう言って秋は小さく無理やり笑った。 「…嫌なんじゃない?」 「お金は…お金だし お金に罪はないし」 そう言ってから、秋は焦って訂正する。 「あ…いや、その…罪とか…そう思ってるわけじゃないけど」 そうして二人はしばらく黙り込んだ。

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