200 / 236

第26話-2 選んで

そうして現場につき、ヘアメイクを終えてスタジオに向かうと、秋のレギュラー出演しているバラエティ番組の司会を務めるお笑い芸人が声をかけてきた。 「なになに、秋くん、あれ本当なの?」 秋はそれに、いやぁ、と肯定も否定もせず愛想笑いを返した。 「えー、なにその笑い?マジってこと?」 愛想笑いを続けて黙り込んでいると、芸人が言った。 「どっちなの?」 「え…どっちって…?」 「や、ほら、男同士ってさ、あれでしょ?アナルに入れんでしょ?どっちが入れる側なの?」 「………え?」 「いやいや、気になるでしょぉ〜!」 思わぬ下世話な質問に、秋は顔を引き攣らせた。 「…でもあれか?壱川くんが女側か!壱川くんって女の子みたいに綺麗だもんねぇ〜?今瀬くんは壱川くんに毎晩おっ勃てちゃってるワケだ?」 顔を引き攣らせたまま、秋は拳を握りしめる。 だが芸人はそれに気づかず、茶化すように続けた。 「何、今瀬くんってもともとそうだったの?俺とかどう?イケる?」 秋は必死に笑みを作り、反す。 「…イケないですよ〜」 芸人はあははと笑い、さらに言った。 「良かった〜!安心した!いやさぁ、ずっとそういう目で見られてたのかなって俺朝から心配でさぁ!あははは!」 秋が引き攣った笑いを浮かべたまま黙り込んでいると、芸人は続けて言った。 「でも勿体無いよねぇ、2人ともイケメンだしさあ〜。女食い放題でしょ?俺なら男は選ばないなぁ〜…」 それにさ、と嬉々として言葉を重ねる。 「親御さん悲しむんじゃない? せっかく芸能界入ってどんな美人な彼女連れてくるかと思ったら…びっくりよ! 美人な男、連れてこられてもねぇ! あははは!参るよね!」 「ままま、今流行ってるもんね!BLだっけ!ボーイズラブ!」 そうして芸人は「じゃあ今日もよろしくね!」と明るく言い残し、去って行った。 ――芸人に悪意がないのは分かっている。 分かっているのに、それでも秋は心底、不快だった。 春がこれまで誰にも明かさなかった理由。 たった3分の会話で、それを思い知った気がした。 「勘違いだと思うよ」 「秋はそうじゃないでしょ」 そうやって秋の気持ちを拒み、寄せつけなかったこと。 気持ちを受け取るとき、春が言った「ごめん」。 日記に書かれた「こわい」という文字。 酒に酔った春が涙を流しながら漏らした言葉――「いつか気付くよ、気持ち悪いって」。 姉に吐露した「普通じゃない」という呟き。 付き合ってからも固く閉ざされた春の心の中。 「好き?」と尋ねても困ったように笑い、なかなか言葉を返してくれなかったこと。 春から触れてくることなんて滅多になかったこと。 それらが一気に走馬灯のように蘇る。 ――何が怖いの?どうしてそんなに怖いの? 分からなかった。 必死に理解しようとしても、ずっと分からなかった。 でも今なら分かる。 自分がいま感じた不快感の何十倍も、何百倍も。 春は同じものを、いやもっと酷い言葉を浴び続けてきたのかもしれない。 何度も、何度も、傷ついてきたのかもしれない。 女の子を好きになれる秋が、わざわざ男を――春を選ぶ意味が、春にはどうしても理解できなかったのだろう。 霧峰は昨夜言っていた。 「秋が何か言われるかを気にしていた」と。 「俺のことそういう目で見てた?」 「勿体無いよねぇ」 「親御さん悲しむんじゃない?」 「流行ってるもんね、ボーイズラブ!」 さっき芸人から投げかけられた言葉が、頭の中でこだました。 春も仕事のはずだ。 同じように誰かから、同じようなことを言われているかもしれない。 そう思うと、やり切れない気持ちで秋はさらに強く拳を握りしめた。 その時、秋の携帯が鳴った。 画面には「母」の文字が光っている。 きっと騒動を知って、掛けてきたのだろう。 だが秋の頭には、さきほど芸人に言われた言葉がよぎった。 ――「親御さん、悲しむんじゃない?」   秋の母親・今瀬美代子は、何度も口にしていた。 「あんた、音楽もええけど…はよ孫の顔見せて親孝行してや?」 この先、春と一緒にいれば、美代子の言うような親孝行は叶わない。 分かりきった現実が、鈍い痛みとなって胸に突き刺さる。 ふと、友人の松山淳が高校時代に語った言葉を思い出した。 秋が春に拒まれ、弱音を漏らした夜だった。 ――「ゲイは子供を産めない」 ――「俺は資源を無駄にするだけの有機物だ」 ――「何も生み出せない自分の恋愛に意味を見出すなんて贅沢なことは出来ない」 ――「恋愛に意味なんてない」 その言葉は、あのときはただ重すぎて、冗談のように受け流すしかなかった。 けれど今、突きつけられている現実と重なり合って、秋の胸をえぐる。 人を好きになっただけだ。 好きな人と一緒にいたいと、そう願っているだけ。 ただそれが、同性だった。 それだけのこと。ほんの些細なこと。 ――そのはずなのに。  鳴り続ける着信音が、妙に長く、耳の奥を刺し続ける。 秋はじっと画面を見つめたまま、指一本動かさなかった。 胸の奥で何かが軋む音を感じながら、ただ携帯を強く握りしめる。 やがて着信は途切れ、画面は暗くなった。 残されたのは静寂と、握りしめた手のひらに残る熱だけだった。 ―― ―― ――

ともだちにシェアしよう!