214 / 236

第27話-8 それぞれの翌日

SNSでは、この曲は、"高校時代に今瀬秋が壱川春に送った曲"と様々な憶測がなされている。 事実、その通りであるのだが、報道が出てから、秋の口からそれが語られた事はない。 その沈黙が、さらに憶測を呼んだ。 ――誰かを好きになるのに、性別や年齢、その他何もかも関係ない、ただ好き、ただそばにいたい。 そんなふうにまっすぐな歌詞を優しいメロディに乗せて、秋は優しい笑顔でまっすぐに歌い上げる。 秋の歌声は聴き馴染みが良く、歌詞の一節一節が伝わるよう、丁寧に歌い上げる。 まるで目の前にいる誰かに語りかけるような、そんな優しさがある。 控え室にいるメンバーは一言も話さず、ただじっと、秋の歌に聴き入っていた。 そうして落ちサビに差し掛かり、それまで優しく笑っていた秋の目が突然、きらりと光った。 そして少し眉を顰め、秋はそれまでよりもしっかりと、一言一言を確かめるように声を発した。 きゅっと喉を締めたように搾り出すその声は、どこか切ないような、温かいような、なんとも言えない温度で、じんわりと胸をくすぐるようなものだった。 画面の前のメンバーでさえ、その様に強く心を掴まれる。 息をすることも忘れるくらいだ。 その歌にとてつもない想いがこもっているのが分かる。 ただ、たった1人に向けて、 その歌が歌われている。 誰が見ても、それは明らかだった。 歌い終わり、最後のギターの音が止み、ふっと秋がまた優しく笑って、その目から一粒、雫が落ちて頬を伝った。 それを照れくさそうに秋は手のひらで拭い、深々とお辞儀をした。 そうして歌い終わってしばらくしてやっと、テレビの中の観客の拍手の音が聞こえてくる。 きっと、誰もが皆、同じように秋の声に聞き入り、拍手をすることを忘れるほど、その表情に見入ってしまっていたのだろう。 長く秋の表情を捉えていた画面がやっと移り変わり、音楽番組のMCが映し出された。 そうしてはっと思い出したように、渡邊は春に目線をやった。 春は先ほどと変わらない同じ表情をして、ただ画面を眺めていた。 いつもの"壱川春"の表情だ。 あれほどの騒ぎが起き、それを受けて恋人である今瀬秋がこれほどのパフォーマンスをしてもなお、春には届かないのか。それほどの苦難の中にいるのか。 渡邊は小さくため息をついた。 が、ふと視線を落とした先にあった春の手を見て、渡邊は目を見開いた。 その拳は指先が赤く染まるほど強く固く握られ、そして、小さくほんのわずかに震えていたのだ。 ――届いている。 届けたいと願った人に、 この歌はしっかり届いていたんだ。 渡邊はそう強く実感して、思わずふっと微笑んだ。 春とは10年来の仲だ。 出会ってからずっと、春は孤独だったように思う。 それは、春が望んでそうしているように見えていた。 誰とも深入りせず、心のうちを話さない。 容姿、才能、その全てが周りとは違って特別だ。 誰からも特別だと思われている春の、特別。 それが今瀬秋だったのだ。 人が惹かれ合い、そうして心を通わせる。 それは何も特別なことでは無い、どこまでもありふれていて、普通のことだ。 ただ恋をした。 ただ好きで、そばにいたい、一緒に、生きていたい。 ただそんな当たり前のことを、秋は歌った。 何もおかしいことじゃない。 今瀬秋は、きっと、それを1番に春に伝えたかったんだろう。 それが渡邊にも強く、伝わった。 きっと、テレビの前の視聴者にも、伝わっただろう。

ともだちにシェアしよう!