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第27話-8 それぞれの翌日
SNSでは、この曲は、"高校時代に今瀬秋が壱川春に送った曲"と様々な憶測がなされている。
事実、その通りであるのだが、報道が出てから、秋の口からそれが語られた事はない。
その沈黙が、さらに憶測を呼んだ。
――誰かを好きになるのに、性別や年齢、その他何もかも関係ない、ただ好き、ただそばにいたい。
そんなふうにまっすぐな歌詞を優しいメロディに乗せて、秋は優しい笑顔でまっすぐに歌い上げる。
秋の歌声は聴き馴染みが良く、歌詞の一節一節が伝わるよう、丁寧に歌い上げる。
まるで目の前にいる誰かに語りかけるような、そんな優しさがある。
控え室にいるメンバーは一言も話さず、ただじっと、秋の歌に聴き入っていた。
そうして落ちサビに差し掛かり、それまで優しく笑っていた秋の目が突然、きらりと光った。
そして少し眉を顰め、秋はそれまでよりもしっかりと、一言一言を確かめるように声を発した。
きゅっと喉を締めたように搾り出すその声は、どこか切ないような、温かいような、なんとも言えない温度で、じんわりと胸をくすぐるようなものだった。
画面の前のメンバーでさえ、その様に強く心を掴まれる。
息をすることも忘れるくらいだ。
その歌にとてつもない想いがこもっているのが分かる。
ただ、たった1人に向けて、
その歌が歌われている。
誰が見ても、それは明らかだった。
歌い終わり、最後のギターの音が止み、ふっと秋がまた優しく笑って、その目から一粒、雫が落ちて頬を伝った。
それを照れくさそうに秋は手のひらで拭い、深々とお辞儀をした。
そうして歌い終わってしばらくしてやっと、テレビの中の観客の拍手の音が聞こえてくる。
きっと、誰もが皆、同じように秋の声に聞き入り、拍手をすることを忘れるほど、その表情に見入ってしまっていたのだろう。
長く秋の表情を捉えていた画面がやっと移り変わり、音楽番組のMCが映し出された。
そうしてはっと思い出したように、渡邊は春に目線をやった。
春は先ほどと変わらない同じ表情をして、ただ画面を眺めていた。
いつもの"壱川春"の表情だ。
あれほどの騒ぎが起き、それを受けて恋人である今瀬秋がこれほどのパフォーマンスをしてもなお、春には届かないのか。それほどの苦難の中にいるのか。
渡邊は小さくため息をついた。
が、ふと視線を落とした先にあった春の手を見て、渡邊は目を見開いた。
その拳は指先が赤く染まるほど強く固く握られ、そして、小さくほんのわずかに震えていたのだ。
――届いている。
届けたいと願った人に、
この歌はしっかり届いていたんだ。
渡邊はそう強く実感して、思わずふっと微笑んだ。
春とは10年来の仲だ。
出会ってからずっと、春は孤独だったように思う。
それは、春が望んでそうしているように見えていた。
誰とも深入りせず、心のうちを話さない。
容姿、才能、その全てが周りとは違って特別だ。
誰からも特別だと思われている春の、特別。
それが今瀬秋だったのだ。
人が惹かれ合い、そうして心を通わせる。
それは何も特別なことでは無い、どこまでもありふれていて、普通のことだ。
ただ恋をした。
ただ好きで、そばにいたい、一緒に、生きていたい。
ただそんな当たり前のことを、秋は歌った。
何もおかしいことじゃない。
今瀬秋は、きっと、それを1番に春に伝えたかったんだろう。
それが渡邊にも強く、伝わった。
きっと、テレビの前の視聴者にも、伝わっただろう。
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