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第30話-8 初めての相手
「…春は…俺じゃなくてもさ、
男だったら誰でも良かったんじゃない?」
目を伏せていた春が、パッと視線を上げて秋を見た。
その目は先ほどの不安で揺れていた瞳とは違い、その奥に強く鋭い感情があるのが分かった。
春が口を開いた。
「…それ本気で言ってる?」
春のその声は聞いたことがないほど冷たく尖って、重苦しい空気が漂う部屋に低く鋭く響いた。
秋はそれに思わず背筋がこわばる。
大きな自分の感情の波にのまれ、もはや自分の考えてることすら分からなくなって来ていた秋を、初めて見る春の明確な怒りが途端に冷静にさせた。
もうだめだ、これ以上何も言うべきじゃない。
じゃないと、取り返しがつかなくなる。
そう分かっているのに、なのに、秋はもう自分で自分を制御できない。
「俺が女だったら、
俺のこと好きになってないでしょ」
強い光を宿した瞳が、再び強く揺れるのが分かった。
それに秋は吐き捨てるような笑いを吐き出し、言った。
「…ほら」
「……何も言ってない」
「…そうだ、って顔したよ」
「…勝手に決めつけないで」
「だったらそんな分かりやすい反応しなければいいじゃん」
「…」
「なんか言いたいことあるなら言えば?決めつけられたくないんでしょ?」
早くなる鼓動と大きな感情で、自然と息が荒くなる。
ただ2人の息を吐く音だけが部屋に響いて、その後、春が再び口を開いた。
「……どうしたら秋は満足なの?」
「…何それ?」
「僕になんて言って欲しいの?」
「……なんでそうやって逃げんの?」
「逃げるって何?」
「今思ってること言えばいいじゃん 昔のこと終わったことわーわー言われてだるいでしょ?うざいでしょ?それ言えばいいじゃん 言って欲しいこと探って言おうとして…そうやって楽しないで」
「…してないよ」
「してるよ いっつもそうじゃん "春はそういう人だから"って俺何回も理解しようとしてきたよ、言わないでも春が思ってること分かるようになろうって俺必死に察するようにしてきた
けどさ…思ったこと言うだけでしょ?なんで言わないの?なんで俺が…努力しないといけないの?
"好きだから"って…俺ずっとこの先もそれしないとダメ?」
「……」
「………またそうやってだま…」
秋がそう言葉を紡いでいる途中、春がその言葉を遮って静かに、しかし鋭く言葉を吐いた。
「秋だって僕が初めてじゃないでしょ」
春は続ける。
「…秋だってそうなのになんで言われなきゃならないの?」
秋はつい押し黙る。
春は続けて言った。
「由緒とのことも…秋は何も知らないよね?知らないのに…」
「だから聞いたんじゃん」
「…あれだけで全部理解できた気になってる?」
「全部分かったなんて思ってない」
「思ってるように感じたよ」
「それこそ決めつけでしょ?」
「決めつけてない 感じたって感想言ってるだけだよ」
再び訪れた沈黙に、春が続けて言葉を紡ぐ。
「…思ったことを言ってって言うけど、秋だってそれしてなかったんだよね 僕がすぐ言葉で表せないことをずっと嫌だとか面倒だとか思って努力してくれてたんでしょ?」
「…嫌とか言ってない」
「でもいつまで続けないといけないの、って言ったよね」
「それは………はぁ…やめよ、もう」
「……秋が始めたんでしょ」
「………だからもうやめようって」
再び沈黙が訪れ、2人は揃って目を伏せ、じっと息を殺すようにしてやり過ごす。
そうしてボソリと、秋が言葉を発した。
「……別に男の恋人なんだったら何も思わなかったよ
そりゃあ好きになった人くらいいるでしょって思えたよ
…けど中野さんは女でしょ?
俺はそれが……それが嫌だった
…したいって自然と思わないこと、2人でしたんでしょ?
中野さんならいいかなって…思ったりしたのかな、とか……決めつけたいわけじゃなくて、想像しちゃったってだけ……」
そうして震える声で、秋は言った。
「…勝てないじゃん、そんなの」
そうして秋は春をすり抜けるようにリビングの先、廊下に続く自分の部屋へ歩きだした。
が、その途中、立ち止まり、振り返ることなく、小さな声でつぶやいた。
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