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第20話 恵まれた環境
エリペールの悩みは解決しないままだった。
その日以降も一緒に寝ているが、お互い発症する傾向はない。
僕は内心喜び、エリペールは落ち込んだ。
ブリューノの結婚式に出席したから余計に悩んでいるのだろう。素晴らしいパーティーだった。きっとエリペールは主役のブリューノに自分を重ね合わせ、自分もアルファ性を発症していればと悔恨の情が沸いたと思われる。
対抗意識ではないにしろ、エリペールの性的な悩みが発動する時は概ねブリューノが絡んでいる。
周りがどうであれ自分は自分を貫いてきた彼が、バース性に関してそこまで気にするのは余程の悩みだと捉えられる。貴族社会ではより強いアルファ性が求められるのかもしれない。
僕のような幼少期を送っていれば、バース性に問題があっても仕方ないと諦めもつく。しかしエリペールは違う。
子供の頃から清潔な場所で育ち、栄養のあるものを食べ、成長期にはぐんとアルファの威厳が表れるような急成長を見せた。
密かにエリペールのバース性発症は早いだろうなと考えていたのも事実としてあり、僕にとってはこれまで一緒にいられたことの方が奇跡な気もする。
結局、気の利いた言葉もかけられないまま、日常へと戻ってしまった。
学校を卒業して以来、僕はブランディーヌに誘われ仕事を手伝うようになっていた。
忙しそうにしているのは日頃から目にしていたが、こうして働くまでは、実際彼女がどんな仕事をしているのかはっきりとは知らなかった。
元々、ハーブや花を育てるのは趣味だったのだと言う。
それがいつしか自分で茶葉にしたり、花の汁で糸を染めたりと、趣味の幅を広げていった。
すると従者の中に刺繍ができるものがいたり、調香が趣味だと言うものが現れれると、ゴーティエが仕事にすればいいと後押しをしてくれたのだそうだ。
僕は今、調香や刺繍を少しずつ練習している。
「これなら、もしもあなたのバース性が現れたとしても、隔離した棟で仕事ができるでしょ」
「はい。何もかも準備していただき、ありがとうございます。年々、オメガ性を発症しない可能性の方が高くなっているように感じますが、その方が何かと都合はいいです」
「そんなに悲観しなくても良いじゃない。どんな貴方だったとしても優秀なのには変わりないわ。期待しているのよ」
こうしてブランディーヌと共に仕事に明け暮れている。
毎日が充実していて、大人になっても新しい経験が積める環境には感謝しかない。
エリペールもゴーティエの仕事を学びながら、日々奮闘している。
あの日からアルファ性について話さなくなっているのは、逆に気がかりでもある。しかし僕から切り出したところで解決できるわけではないので、見守ることしかできないのが現状だ。
日中は基本、別行動で寂しさは感じるが、それぞれ意欲的に仕事と向き合っている間は気を紛らわせることができた。
「大丈夫、僕は一人でも頑張れる。もう学生じゃない。エリペール様に助けられてばかりではいけないんだ」
学生時代はエリペールとブリューノがいたから虐めにも遭わずに過ごせた。
これからは守ってくれる人はいない。
僕のようなオメガでもラングロワ公爵家の役に立てるなら、それを精一杯取り組みたい。
自分を励まし、目まぐるしく走り回る。今日は糸を染める工場へ見学に連れて行ってくれた。
ブランディーヌはその華やかな印象そのままの商品を作り上げる。
職人からの信頼も厚い。
その職人たちに紹介してもらえるのも誇らしい事だった。
ブランディーヌが学校へ通いなさい、もっと沢山の人の中に入りなさいと言っていた理由は今になってようやく理解できた。
仕事をするに、とても重要な事だった。
ブランディーヌは僕を買った時から、将来は自分が雇うつもりだったのだと、最近になって教えてくれた。
それで一から教育を受けさせたのだと。
「もし発情期が始まれば、その間は部屋でこもっていても出来る仕事、それ以外は同行してもらう機会も増えるから、そのつもりでいて頂戴」
「ありがとうございます。世間知らずな僕に、こんな素晴らしい仕事まで与えていただけるなんて、幸せです」
花やハーブの香りに包まれて仕事ができるなんて、本当に願ったり叶ったりだった。
あの日、エリペールに導かれてからの僕の人生は恵まれすぎていると思うほど恵まれている。
将来はそばではいられなくとも、こうして公爵邸で馴染みの従者と一緒に仕事が出来る。この感謝の気持ちを忘れないでいるためには、あの辛かった奴隷時代を振り返るのも大切かもしれないと思った。
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