29 / 61
第29話 思わぬ再会
人に恵まれていると思う。
ラングロワ公爵家に救われ、今度はパトリスに救われた。
パトリスは学校から程近い別邸に住まわせてくれた上、婿養子に入った先の伯爵邸から従者を二人宛てがってくれた。
着替えはパトリスの物を数着持ってきてくれたが、どれも僕には少し大きい。
スラックスもシャツの袖も長すぎて裾を何重かに折った。
「すまない、とりあえず私の服しか代用するものがなくて。近日中に仕立て屋を呼ぼう」
「充分です。これなら動きやすいし、気に入りました」
パトリスの前で、ラングロワの話題を出さないよう努めた。
そうしなければ一日中エリペールのことを考えてしまう。
あの場所には戻らないと決めて来たのに……。
「勝手に好きなのは、許してくださいね。エリペール様」
眠れない夜は、星に祈りを捧げる。
自分がいなくなった後のことを考えなくはない。
リリアンは置き手紙を見てどう思っただろうか。
医師は体調を心配してくれただろうか。
ブランディーヌは仕事を放り出して怒ってないだろうか。
エリペールは……彼は、忽然と姿を消した僕を忘れるだろうか。
いや、忘れた方がいいんだ。自分に言い聞かせる。
自分は忘れなくてもいい。エリペールとの日々を思い出に生きていければいい。
けれどもエリペールがこちらの生活を伺う
考え始めるとキリがない、
こんな風に悩むのもきっと僕だけで、公爵家では話題にもされないのだ。
寝不足の翌日は、午後まで体力が続かない。
そんな時、パトリスは休んでいなさいと言ってソファーに座らせる。
「横になれる大きさのソファーを誂えよう」思い立ったように言い出したので「しっかり睡眠を取りますから」と必死に止めた。
助手の仕事は想像以上に忙しかった。
資料作成に携わる時もあれば、街まで買い出しに行くこともある。図書館の直ぐ近くに研究所を構えているのも納得するくらい、毎日のように本を探しに通った。
毎日が目まぐるしく過ぎていく。
満月一周が過ぎ、三周が過ぎ、二回目の発情期を迎えた。また満月一周するほどヒートに苦しんだ。そんな僕を見たパトリスが、やはりエリペールに連絡をしようかと言い出したので丁重に断った。もう貴族でもなくなった者を、構っていられる暇などないのだ。初めての発情期の時もこうだったと説明し、一人で乗り切った。
半年が過ぎる頃にはすっかりパトリスの助手として生徒の間でも認識されるようになった。
僕が学生の頃は、怖い先生だと囁かれていたパトリスであったが、最近では温厚な先生に変わっているのだから驚きである。
そうしてまた月日は流れ、一年近くが経った頃、懐かしい声に呼び止められる。
パトリスに頼まれた歴史書を借りに、図書館へ向かっている時だった。
「マリユスくん?」
振り向くと、そこにいたのはブリューノだった。
「ブリューノ様!? お久しぶりです。結婚パーティー以来ですね。最近はいかがですか?」
「あぁ、楽しく過ごしているよ」
ブリューノは現在、妹がこの学校に通っているので、今日は迎えに来たと話した。
「仲がよろしいのですね」
「頼られるのは悪い気はしないが、これから買い物に付き合う約束なんだ」
これが時間がかかっていけないと、苦笑する。
「ところで、君はどこからどう見ても働いているようにしか見えないが、何をしているんだい?」
「実は一年ほど前から、パトリス先生の助手をしているんです」
「パトリス先生の? 一体、何故? ラングロワ公爵夫人の元で働くと言っていなかったか?」
「状況が変わり、今は公爵邸を出ています。詳しくは話せませんが……しかし、公爵様は一切悪くありません。全て、僕の独断でとった行動なんです」
「エリペールがとても許可をしたとは思えないが?」
ふるふると頭を左右に振った。
「まさか、エリペールにも無断で?」
ブリューノは喫驚し、詳しく聞きたい様子であったが彼にも時間の都合はある。
妹がブリューノを探しているのが見えたようだ。
「助手をしているということは、いつ来ても会えるんだね?」
「はい、街に買い出しに行くこともありますが、基本的にはパトリス先生の研究室か図書館にいることが多いです」
「承知した。近いうちに必ず話を聞きにくる」
ブリューノはそう言い残し、立ち去ろうとした。
「あの、ブリューノ様。一つお願いがあるのですが」
急いで呼び止めた。
置き手紙に行き先などは書き記していない。誰も僕が学校にいるなんて思っていないはずだ。
ブリューノ伝いに連絡されても、今更である。
「あの、僕が学校にいることはエリペール様には秘密にしてください」
この一言で、エリペールとの間に何か問題があったとは確信しただろう。
ブリューノは両肩に手を置き、深く息を吐く。
質問攻めにしたいのをなんとか耐えているのだ。
「今日のところは承知した」
踵を返し、妹の方へ立ち去った。
今でもエリペールと交流があるのかさえ知らない。
どちらも誠実な性格故、手紙くらいは送り合っているかもしれない。
リリアンにさえ言わずに出てきた、あの日の覚悟を今になって覆すようなことは出来ない。
理由を深掘りされなかったのには安堵した。
そしてブリューノは五日ほど経った頃、再び研究室を訪ねて来た。
僕がここで働くようになってから少しずつ環境が整い始め、今では来客用のテーブルとソファーまである。
エリペールと一緒に訪れた時からは比べものにならない。
パトリスは気を利かせて図書館へ行き、二人きりにしてくれた。
「あの人は、君を甥かもしれないと言っていたんじゃなかったかな?」
「そうです。でも今はその件については何も話しません。あの後どうなったのかは聞く勇気もないですし、先生も話そうとはしません。多分、僕が嫌がると思っているのだと思います」
ブリューノは終始呆気に取られている様子であった。
パトリスだって、失踪したままの姉の捜索を諦めているわけはない。きっと今でも些細な情報でも追っているに違いない。
そんな中、いくら僕を助けようと善意で対応してくれたにしても、住まいや侍従の手配をし、生活用品を買い揃え、仕事まで自分の元でやらせている。
話を聞くだけでは、まだ姉と僕の結びつきを信じていると思われても不思議ではない。
「それに、君はオメガなのにアルファとの生活はリスクが高いのでは? 何かあっても以前のように助けてくれるエリペールはいない。もしも先生と二人きりの時にヒートでも起こせば、君は……」
「それは大丈夫です。心配いりません」
「断言するだけの理由を聞かせてくれ」
「それは……」
先生が実はベータというのは誰も知らない。二人だけの秘密だ。
それをこの状況で隠し通すのはあまりにも困難だ。
もし先生がこの場にいれば、どう答えただろう。
ブリューノはじっと答えを待っている。きっと僕が嘘偽りのない返事をするまで離してはもらえなさそうだ。
「実は、先生はアルファではありません。本当はベータです。婿養子に入ったルブラン伯爵と学園長が親しいらしく、協力してくれているそうです」
極秘です、と付け加える。
「とりわけ疑う要素はないと思って良さそうだな」
なんとか納得してくれて胸を撫で下ろした。
ともだちにシェアしよう!

