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第3話

 シフト表がメールで届いたのは、あの面接から3日が過ぎた頃だった。初出勤の日、太賀は店がオープンする二時間前に出社した。まず、ホール担当の衣装に着替えるため、快斗と一緒にロッカールームに向かった。そこで2人で着替えながら、快斗はこのクラブで働くための心構えを太賀に説き始める。  基本、クラブ内のホール担当は、快斗と太賀ともう一人の従業員の3人で行う。客から注文を取り、それを運ぶという、基本的な給仕の仕事をするだけの、いたってシンプルな仕事内容だ。快斗が言うには、心を無にし、ロボットにでもなったような気持ちで仕事をすれば良いと言われた。余計なことは考えず、誰にも興味を示さず、ただ淡々と仕事を熟していけばよいと。客たちも、自分たちのことをそれこそロボットのようにしか見ていないからと。確かにそんな対応で良ければ本当にロボットのようだと太賀は笑った。更に快斗が言うには、今まで一度も、客たちとトラブルになったことはないとのことだった。ここに来る客層は、常に余裕のある態度を取り、一般人とは隔された品格に包まれているかららしい。  そんなことで良ければ容易いことだと太賀は思った。むしろ、今までしてきたバイトの方がもっと大変だった。変な客に絡まれ嫌な思いを何度してきたことか。それに比べたら、この給料で、ロボットのように仕事を熟せばいいだけなんて、こんなありがたい話はない。  ただ、快斗が気になることを言った。このクラブの目的は、『マッチング』みたいなもののためにあるらしいと。それはどういう意味だと尋ねると、快斗は僅かに視線を斜め上に向けながら、何かに思いを巡らすような仕草を取った。快斗が言うには、このクラブの会員たちは、明らかに品格の違う客層と、そうではない客層の二つに分かれているらしい。そうではない客層も、もうひとつの方のオーラが別格な客層と変わらず、それなりに品格のある態度は取ってはいるが、この二つを比べると、やはり言葉では上手く説明できない差を感じると快斗は言った。そして、その二つがまるでお見合いでもするように、お互いを品定めしながら、意気投合する相手を見つけているような気がすると。  その話を聞いても太賀は別段気にもしなかった。ここまで秘密にされているクラブなのだから、何か目的があって作られたのは当たり前だろうし、ゲイの出会いの場として使われなければ何の意味もないだろう。 「でもさ、お互い顔隠してるのに、品定めもできない気がするんだよな」  快斗は眉間に皺を寄せながら不思議そうにそう言った。その言葉を聞いて、太賀も不思議に思う。 「確かにそうだね。でも、会話とか雰囲気とかで判断して、この人がいいと思ったけど、顔見たら全然タイプじゃないってことなんて絶対にあるだろうし……効率悪すぎる」 「だよな。意味分かんないよ」  快斗は思い切り頷きながら太賀にそう言った。 「お互いの仮面はどの時点で外すの? 意気投合したら店を出て行くの?」  太賀は段々とこの話に興味が沸いてきてしまい、先に着替えを終わらせ、手持ち無沙汰になっている快斗に問いかけた。 「いや、実はさ、このクラブのひとつ上の階に、『意気投合部屋』みたいな部屋が何部屋かあるらしいぜ」  太賀は苦笑いと共に頭を掻きながらそう言った。 「なるほどね……本当にここは超が10個ぐらい付くほどの高級クラブなんだ……」  そんな高級クラブに何故自分が働くことになったのか。それは快斗に誘われたからに他ならない。じゃあ、何故快斗は今この店で働いているのだろう。太賀はそれが気になった。 「……快斗はどうしてこのクラブで働いてるの?」 「俺? 俺も太賀と同じだよ。この店で働いてた奴から誘われたの。信頼できる人間が、信頼できる人間を探すっていう、『信頼の連鎖』で従業員を探すのが、この店のルールなんだよ。ちなみに、辞めたい時は、このルールに則って後釜を見つけなきゃ辞められないぜ。全く、どんだけだよ」 「はあ、確かに、どんだけなんだよ……」  太賀は呆れたようにため息を吐いたが、ふと、誰かに信頼されるのも悪くないと思った。快斗は自分のどこに信頼できると感じてくれたのだろう。そう思うと、自分の胸が少しだけくすぐったくなった。  太賀は快斗と同じホール担当の衣装に着替え終わると、それを見た快斗が驚いたように言った。 「うわっ、めっちゃ似合ってる。太賀ってさ、そんな格好すると色気半端ないな」  快斗はまじまじと太賀を見つめながら、感心したように頷いた。  「やめろよ。からかうな」  太賀は快斗から目を逸らすと、少しきつめにそう言った。『色気』とかいう言葉は苦手だ。自分がオメガだからかもしれないが、そんな風に言われると、自分の意思に反して、誰かを惑わす匂いを放ってしまっているようで怖くなる。 「ごめん。からかってないよ。太賀ってさ、もったいないよ。すごく魅力的なのに、なんか、自分を抑えてるような気がして……」  快斗はすまなそうに苦笑いをすると、『まあいいや。じゃあ、今から具体的なホールの仕事を説明するから、よく聞けよ』と、少し偉そうにそう言って、気合を入れるように太賀の背中を思い切り叩いた。  一通り快斗から自分が担当する仕事を教わると、時刻は店がオープンする10分前を刺していた。 「これ……」  太賀は快斗から仮面を渡されると、それを繫々と見つめた。 「絶対外さないこと。分かったな?」  快斗は念を押すようにそう言うと、自分も器用に仮面を付けた。 「これ、どうやって付けるの?」  太賀は目と鼻だけを隠す、シンプルな白い仮面を快斗に手渡した。快斗はそれを受け取ると、太賀の背後に素早く回る。 「このピンを髪に掛けて固定した後、この紐を使って後ろできつく結ぶんだよ……慣れるまで俺が付けてやるよ……」  快斗はそう言うと、慣れた手つきで太賀に仮面を装着する。太賀は快斗に髪を触られ少しだけ胸がドキドキした。こんな風に男と至近距離で触れ合うのは、それこそ、マッチングアプリで知り合った時の快斗以来かもしれない。 「よし。これなら絶対外れない」  快斗は自信満々にそう言うと、仮面を付けた太賀をまじまじと見つめた。 「うーん。仮面付けたら余計色気度が上がったなあ……大丈夫かなあ」  快斗は凝りもせずそんなことを言うから、太賀は思い切り快斗の脇腹を抓った。 「やめろ」 「いって、あはは、ごめーん」  快斗が楽しそうに笑った時、腕時計を見ると、クラブの開店時刻は既に3分を過ぎていた。さすがにまだ客は来ていない。恐ろしいほど豪華なクラブのホール内は、シンと静まり返っている。 「全然客が来ないなんて日もあるの?」  太賀はそれが気になって快斗に尋ねた。 「いやあ、まずないな。だから、今のうちに心の準備しといた方がいいぜ。今から続々と客が来て、忙しくなるからな」 「そうなんだ……」  太賀は、仮面を付けた途端に視界が一気に狭まったことに、さっきからずっと戸惑っていた。この仮面を付けたままホールの仕事をするのは、思った以上に難儀かもしれない。  その時、扉の方から数人の男たちが店に入ってきた。客の一番近くにいた、太賀と快斗以外のもう一人のホール担当が、すかさずその客たちに近づき接客を始める。 「あの人のことは俺も良く分からないんだ。話したこともないし、実は顔も見たことない」  快斗は、もう一人のホール担当を見つめながら、太賀にそう素早く耳打ちした。  「控室でも、ロッカールームでも、あの人仮面外さないんだよ。まあ、別にいいけどさ」  快斗がそんなことを言っている間に、また数人の男性客が入って来た。皆一様に個性的な仮面を付けているその異様な様は、この空間と恐ろしいほどマッチしている。まるで、ベネチアの仮面舞踏会さながらの雰囲気に、太賀は夢と現実の狭間に立たされているような気分にさせられる。 「おい、太賀、ボーっとしてないで、あっちのお客さんお願い」  突然快斗に肩を叩かれ、太賀は我に返ったようにハッと目を見開いた。 「あ、ああ、ごめん」  太賀は慌ててそう言うと、快斗が指し示した客の方へ、足早に向かった。客は二人組で、太賀は空いている席に二人を案内する。見るからに高級そうなスーツに身を包む男たちを、太賀はこっそり観察する。二人はこの店が初めてなのか、少し落ち着かない様子で、太賀が案内した席に座った。  太賀は二人の客の前で片膝を付いて注文を取った。二人はウイスキーの水割りを太賀に注文すると、太賀はそれをバーカウンターにいるバーテンダーに伝えた。 (ロボットのように、心を無にする)  太賀は呪文のようにその言葉を心の中で唱えながら、ホールの仕事に没頭していった。

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