19 / 24

第19話

 陶子が九条家を出ていってから、太賀はまた抑制剤を飲むのをやめた。そして、その後訪れた二度目の発情期に、太賀は今ひどく翻弄されている。  一度目の発情期の時は何も考えることができず、ただ自分の発情を抑えることしか頭になかった。本能のままに誰でもいいから自分の欲望を鎮めてくれる相手を必死に求めた。それが不本意ながら九条でも構わなかった。お互いに体に触れないという約束をしたことなど、あの時一瞬でどうでも良くなった。だから九条のそこが本当に何も反応しなかったことに、太賀はひどく絶望した。あの時太賀は、九条をただ自分の欲望を満たしてくれる相手としか思っていなかったからだ。そこに感情など何もなかった。九条の不能が治れば、それが自分を激しく貫いてくれるという単純な方程式に縋っていた。  自分は発情というものを見くびっていた。あの時自分は、恐ろしいことに発情というものが、自分から理性を完全に奪い取るものだということを知らなかった。本当に愚かだった。   太賀は今、自分の想像を遥かに凌駕していたそれに、再び向き合うことに怯えている。でもそれ以上に、今はあの時とは違うということに、自分の心が不安で溶けてしまいそうになる。猶予は3か月しかない。その間に九条の性器が蘇らなければ、九条は陶子との間に子どもを作らなければならない。今の医療なら不能のままでも精子は採取できる。九条の父親は九条の気持ちも体のことも何も考えてはない。ただ九条家の栄華を永続させることしか考えていない。  今、九条家の大手通信電気会社は、社会に色濃く貢献しようと考えているらしい。最近では通信インフラを更に強化しようとする計画を立てていると聞いたことがある。それに、たくさんの従業員が九条の会社で働いている。九条家の発展が彼らの生活に大きく影響していることも十分理解できる。でもそれが、アルファという選ばれた特別な種だけの王国のように君臨すべきではない。  一度目の時から考えて、発情期のピークは明日だと太賀は確信する。今も体が芯から熱くてしょうがない。止めどなく湧き出る性的な衝動と戦うことは体力を消耗させる。その度に自分の手で精を放つ行為を繰り返さなければならないからだ。  明日、明日もし九条と繋がることができたら、繋がったまま九条に自分のうなじを噛んでもらい、番になる儀式をする。もし自分たちが運命の番であれば、太賀のオメガとしての体質は、九条にだけしか反応しなくなる。だからまず、九条の不能が治らなければ何も始まらない……。 (もし、治らなかったら……)  二度目の発情期が来るまでに、ネガティブな想像を太賀は何度してしまっただろう。その度に自分の頭からその不安を必死にかき消してきた。でも、不安なのは九条も同じはずだ。多分自分以上に。自分と同じ運命を自分の子に歩ませたくない、愛のない家族を作りたくないというその思いが、父親が与えた3か月のという猶予期間中に、強く九条の体に響くことを太賀は願う。それに、九条の不能が治るということは、イコール自分への強い思いだと太賀は考えてしまう。だからもしそれが叶わなかった時の絶望を想像すると、太賀は、火照ってしょうがない自分の体に、一滴の氷水を落とされたみたいにぞくりと体を震わせる。 (大丈夫……絶対に大丈夫……)  太賀はベッドに横になりながら、猫みたいにぎゅっと体を丸めた。  次の日太賀は、ベッドから起き上がれないほどの強いだるさに苛まれた。発情は既にピークに達している。ただ、九条はあいにく夜になるまで帰らない。どうしても抜けられない会議あるからだと有川から聞いている。  今、自分から出ているフェロモンの量はどのくらいなのだろう。太賀はベッドの上で悶えながらそんなことを考える。自分は今オメガ以外の人間すべてを誘惑するフェロモンを放っている。そう思うと、太賀は早く九条と番になって、この自分の体質が九条にだけしか反応しないようになりたいと強く願った。  その時、机の上に置いてあったスマホが鳴った。太賀は石のように重たい体を無理やり起こすと、おぼつかない足取りで机まで歩き、机上のスマホを手に取った。 「もしもし……」  声を振り絞って太賀はそう言うと、電話の相手が僅かに息を飲むのが分かった。 「会議が予定よりも早く終わった。いますぐそっちに向かう」  太賀は九条の声を聞いただけで全身がわなわなと震えた。 「ああ……く、九条さん、俺もう、我慢の限界です……」  太賀は息絶え絶えにそう言うと、九条の返事を待てずにベッドに倒れこんだ。もうずっと太賀の性器は勃ちっぱなしで、こうやってうつ伏せで寝ている間もちょっとの刺激で精が溢れ出てしまう。その度に、オメガの身体的特徴である両性具有の場所が熱く疼き、気が狂いそうになる。  意識が遠のくような状態でどのくらい待っただろう。太賀は急に誰かに横抱きに抱きかかえられた。でも、体に力が入らなくて、その誰かの顔を見上げることができない。太賀は脱力したままその誰かによって別な場所に運ばれていく。  運ばれながら気づいたのは、その誰かから、以前、自分が嗅いだことのある香りが漂っていることだった。その香りを嗅いだ瞬間、太賀は胸の奥が焦がれるように切なくなった。太賀はそれが九条だと気づくと、安堵と嬉しさで胸がいっぱいになる。 「く、九条さん……」  太賀は九条の首に腕を回し必死にしがみついた。九条は太賀を抱えたまましばらく歩くと、立ち止まりドアを開けて部屋に入った。自分の目に写るのはあの大きな本棚で、ここは九条の部屋だと気づく。部屋の中は初めて九条の部屋に訪れた時と同じように、オレンジ色の間接照明が幻想的に浮かんでいてとてもロマンチックだった。  太賀はうっとりとその灯りを見つめながら、堪らず九条の首筋にキスをすると、そこから香る九条の香りが、また太賀の鼻腔を掠め、脳内を薔薇色に染め上げる。 (ああ、何て良い香りなんだ……)   太賀は、フェロモンはオメガだけの特徴だと思っていたが、もしかすると運命の番となる者は、お互いにお互いを魅了する香りを放つのかもしれない。もしそうなのだとしたら、自分たちはやはり運命の番だという可能性が大きいと、太賀の胸は密かに躍る。  九条は少し擽ったそうに首を竦めると、太賀を自分のベッドの前でそっと下した。  太賀は九条の顔を食い入るように見つめた。本当に非の打ちどころのない美しい顔をしている。まるで神様に選ばれ愛されてしまったせいで、その代償として両親からの愛を奪われてしまったと言われれば、納得してしまうくらいの完璧な容姿をしている。 (九条さん……あなたは自分が怖くないですか? こんなに美しく、完璧で……)  太賀は九条の立場に自分を置き換えようと思っても上手くできなかった。でも、九条が今まで歩んできた孤独だけは分かりたいと思った。この完璧な男でも手に入らなかった愛情というものへの執着を、自分が埋めてあげたいとそう心から願う。  自分は少女漫画の主人公のように純粋に、誰かを心から好きだと思い、その誰かと一生心を通わせ合う人生を歩むことを夢見ていた。ゲイである自分が、ましてやオメガである自分が、そんな相手を見つけることなんて多分一生ないのだと諦めていた。でも今、自分の目の前にその相手となるかもしれない男がいる。こんな幸せが自分に訪れたことに、太賀は今泣きたいほど感動している。  太賀と九条はお互いをしばらく見つめ合った。太賀は我慢できず、九条の腰に腕を回し強く抱きついた。 「太賀……」  九条は熱のこもった声で太賀の名を呼んだ。 太賀はその声にハッとし、九条の胸に埋めていた顔を上げた。 「……太賀のフェロモンがひどく充満している。とても良い香りで眩暈がしそうだ。俺は今、心臓が破裂しそうなほど興奮している……」  確かに、自分の耳にも九条の胸の音が伝わる。ドキドキと心臓を心配になるくらい鳴らしている。太賀は九条のそんな状態に沸き立つように期待してしまう。 「く、九条さん……それって、その……」  太賀はその先の言葉に詰まり何も言えなくなった。太賀の心は火傷しそうなほど熱く滾り、口から漏れ出る吐息にも熱を持つのが分かる。  太賀はもう一度九条の体にしがみ付くように抱きついた。 「九条さん……俺もう」  太賀は九条の頬を両手で挟み引っ張ると、自分から歯がぶつかりそうな勢いでキスをした。イヤらしく舌を絡ませながらキスをして、九条をもっともっと興奮させるように刺激する。 「ふんっ……んん、九条さん……」  九条は太賀のキスに応えるように、至極濃厚なキスを太賀に与えた。あっという間に主導権を握られてしまった太賀は、九条のキスに全く太刀打ちできなくなる。 「はあ……ああ、ふっ、んん」  太賀は意識が飛んでしまいそうなそのキスに、頭が真っ白になった。そのせいで思考が斑になり、確実に本能の方が優勢になり始める。  太賀は興奮しながら九条の中心に手を持っていくと、九条のそれをズボンの上から触った。でも、そこは太賀のそれとは対照的に存在していることに気づく。太賀は焦ってしゃがみ込むと、九条のズボンと下着を勢い良く下した。でも、露わになった九条のそれは、またしても静寂の霧に包まれたみたいに、ひっそりとそこに存在している。  太賀は一瞬我が目を疑ったが、まだ刺激が足りないからだと思い、九条のだらりとした中心を掴んで持ち上げると、躊躇いなく口に含んだ。 「……ふんっ、お願い……九条さん、もっと、感じて……」  太賀は九条を上目遣いに見つめながら、心を込めて太賀の性器を口腔内で包み込むように愛撫する。 「太賀……すまない」  九条は苦しげに眉根を寄せて太賀を見下ろすと、重たい声でそう言った。  太賀は構わず九条の性器を愛撫し続ける。でも、九条のそれは太賀の口腔内で何の変化もなく、悲しいことに温度すらも変えることなく、冷ややかに太賀の口腔を凍らせている。  九条はそっと太賀から体を離すと、自ら服を脱ぎ裸になった。九条の肢体は程よい筋肉に覆われていて、顔だけでなく体すらも全く無駄な要素はなかった。  太賀は全裸になった九条を呆然と見つめると、この現実を受け入れるのが怖くて、慌てて九条から目を反らした。  九条は太賀に近づくと、そっとベッドへ座らせた。そして太賀のシャツの裾を掴み引き上げると、シャツを器用に脱がせる。 「もの凄く、体が熱いな……」  九条は、太賀の首を両掌で覆うように掴むとそう言った。 「太賀は奇麗だ……はじめて素顔を見た時、俺の胸が高鳴った……」  九条はまるで首を絞めるような仕草で、太賀を熱く見つめながらそう言った。 「ありがとうございます。嬉しいです……」  太賀は素直に礼を言ったが、九条からのその言葉に胸がときめいてしまい、自分の発情のピークは、今この瞬間だと自信を持って言えるくらい、体が燃えるように熱くなる。 「あの、九条さん。俺今、体が熱くて、おかしくなりそうなんです……俺、本当に辛いんです……」  九条からキスを求めるように、太賀はわざと口を半開きにしながら舌を出した。九条はそんな太賀を切なげに見つめると、太賀の首から手を離し、今度はズボンと下着を脱がせながら、太賀の舌をねっとりと絡め取るようにキスをする。 「ああ、ふ、んっ……はあ……んっ」  太賀の中心は鋼のように硬質を極め、永遠に萎えることがないかのように存在している。でも九条はまるで違う。その真逆なコントラストはもはやどんなコメディ映画よりも滑稽ではないかと太賀は思う。でも、太賀の欲望は自分の理性を増々奪おうと、太賀の気持ちを考えもせず止めどなく溢れ出て来る。  太賀はその欲望に強い怒りを感じつつも、抗えない自分に泣きそうになる。 「お願いです! 俺を今すぐ抱いてください! だって俺たち運命の番ですよね? 九条さんはお父さんから、今までのしがらみから抜け出せるチャンスを貰えたんですよね? だったら早く! 俺をそれで貫いてください!!」  太賀は九条の両腕を強く掴むと、我慢しきれずそう叫んだ。でも、叫んだ後、後悔がどっと押し寄せて来て、太賀は、溢れそうになる涙を必死に堪えると、九条を見上げ、気丈にも無理やり笑顔を作った。 「ごめんなさい……辛いのは、九条さんの方ですよね……」 「太賀……」  九条は太賀の名を呼ぶと、太賀を自分のベッドに勢いを付けて押し倒す。  太賀は涙を堪えるように下唇を噛むと、九条に向かい、天井に届きそうな勢いで両手を突き上げた。 「……九条さん。大丈夫です。あと二回チャンスがあります……俺は九条さんを、信じています」  九条は太賀の言葉を聞くと、崩れるように太賀に覆い被さった。 「……すまない、太賀……」  その悲痛な声を聞いても、九条の欲望は全く引く気配がない。そのことがどれほど自分を悲しく惨めにさせるかを解らない自分の体を、太賀は粉々に潰してしまいたいほど嫌悪する。  九条は何かに集中するように大きく深呼吸をすると、太賀の頭の脇に手を付いて体を起こした。 「愛してる……太賀……でも……あと少しだけ、時間をくれ……」  九条の目は微かに潤んでいた。それは、相手を射るように見つめる、九条独特の眼差の鋭さを奪っている。  太賀は九条の気持ちに応えるように見つめ返すと、九条の左頬にそっと手を添えた。 「ええ。待ちます……でも、一晩中俺を、鎮めてくれますよね?」  太賀は初めて触れ合う、九条のきめの細かい肌をそっとなぞると、九条は何も言わず太賀にキスを落としながら、太賀の中心に手を伸ばした……。

ともだちにシェアしよう!