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第20話

 二度目の発情期も九条の性器は何の反応もなかった。あの時、九条は一晩中太賀の欲望を鎮めてくれた。太賀はその度に、オメガの特徴であるあの部分に、九条の昂ぶりで何度も激しく貫いて欲しかった。でも、それが叶わないことが、本当に心の底から苦しいのと、自分たちはやはり運命の番ではないのかという疑念が生まれ、それが太賀の心に暗い影を落とした。  二度目の発情期が終わった後の、三度目の発情期の時も、九条の性器は蘇らなかった。その現実に、九条も太賀もお互いに心が折れそうになった。でも、何とか心を奮い立たせると、残された最後の一か月に賭けようと、強い思いでお互いを信じ合おうとした。  何故九条の不能は太賀の発情を前にしても何の反応もないのだろう。それは単純に自分たちが運命の番でないからだろうか。それ以前に、九条が自分を愛しているなどいうのは嘘で、やはり、九条にとって不能を治すということが最重要案件で、自分はそれに都合良く利用されているだけなのか。そんな疑心暗鬼の感情が、太賀は頭の中で、まるでもぐら叩きのように何度も顔を出しては引っ込むということを、バカみたいに繰り返している。  太賀はその考えをかき消したいのに、一人で部屋にいると、どんどんそのマイナスな思考に沈み込んでしまう。  今日は大学のリモート研究は休みで、太賀は朝起きてからずっと誰とも話さず、スマホをぼんやりといじりながら自分の部屋で過ごしていた。  今日九条は朝から会社に行き、副社長として任務を果たしている。たまに、午前零時を過ぎても家に戻らない時がある。そんな時は本当に九条の体が心配で、太賀は以前、有川に頼んで軽い夜食を作ってもらい、九条の部屋に届けたことがあった。  九条は家に帰っても尚、風呂から上がるとすぐパソコンの前に座り、手元にある資料に目を遣りながら、何かをパソコンに打ち込んでいた。内容を聞くと、九条家の会社が中心となって行う通信インフラの整備のために、必要な技術者を確保したり、国や自治体を相手に補助金の交渉をしたりと、やることが山積みで、体がいくつあっても足りないらしい。  太賀は思う。自分の子どもから母親を平気で奪うような父親の会社に、どうして九条はこれほど貢献しようとするのか。九条のようなアルファなら、自分の家を捨てても、いくらでも己の力で生きていけるはずなのに。そしたら、九条は九条家を捨て、自分と二人で生きる道を歩んでくれるかもしれないと。  太賀はそれを九条に問いかけたことがあった。九条は言った。 『自分がアルファで生まれてきたことに意味があるのだとしたら、それは誰かのために自分の力を活かすことだ。俺の運命は、この九条家の会社で、自分の力を死ぬまで出し切ることだと思っている。そして、この悪習を自分の代で終わらせたら、俺は太賀と、一生ともに生きる……』  太賀は九条の言葉に心から歓喜した。そして心から尊敬した。でも太賀は言った。 『でも、もし俺たちの子どもがオメガだったら? 九条さんは、その子がオメガとして生まれてきたことに、どんな意味があると思うんですか?』  九条はしばらく悩んだ後こう言った。 「意味などない。俺が勝手に自分の人生に意味を持たせているだけだ。アルファである以上、その力を無駄にすることを自分自身が許せないからだ。でも、オメガであってもそうでなくても、その生れた子が、自分の人生を好きに生きてくれさえすれば、俺はそれで構わない」  その時太賀は猛烈に九条を好きだと感じた。下手したら九条の部屋で『大好きだ!』と大声で叫びそうになったくらいだ。  あの時の九条の言葉が、太賀はずっと心に残っている。太賀はあの日の九条とのやり取りを思い出すと、ネガティブな感情は一時的に引っ込んだ。でもまた少し経つと、猛烈な不安に苛まれてしまう。そんな不安定な自分をどうにかしたくて、太賀は有川が運んでくれたお茶を一口飲んだ。  その時、太賀のスマホが鳴った。自分のスマホが鳴ることなどほとんどないから、太賀は驚いてスマホを手に取った。  相手は快斗だった。太賀は驚きながらも、つい快斗の声を懐かしく感じてしまい、無意識にスマホをタップしてしまった。 「あっ、もしもし」  太賀は明らかに不自然な声でそう言った。 「……太賀? 太賀だよね? 良かった。思い切って電話して……あのさ、今から会えないか?」  快斗は思いがけないことをいきなり太賀に言った。 「い、今からって、快斗は今どこにいるの?」 「俺は、前に快斗と良く行った公園にいるよ」  太賀はすぐに過去の記憶を引っ張り出し、快斗が言う公園を思い出した。自分はこの家に来てから一度も外出をしていないから、この九条家が一体どこに位置しているか全然分かっていない。でも、家から出て街中の標識を見れば、さすがに快斗がいる公園には辿り着けるだろうと考える。 「あの公園か。懐かしいね。二人でよくブランコに乗ったよね」 「そうだよ。久しぶりに通りかかったら、その時のこと思い出しちゃってさ。そしたら無性に太賀に会いたくなったんだ。だって太賀、なかなか俺に連絡して来ないから……俺ずっと待ってたのにさ……」  太賀は快斗の言葉を聞き胸が痛んだ。せっかく仲の良い友達になれるくらい距離が縮んだというのに。自分はこのまま、快斗の気持ちを無下にしても良いのかという感情が芽生え始める。 「……分かった。今から行くよ。どのくらい時間かかるか分からないけど、着いたら電話する」  太賀そう言うと、快斗からの電話を切った。  太賀は有川の目をかいくぐるようにして九条家を出た。そして、なるべく自分のフェロモンが漏れ出ないように首筋が出ない服をわざわざ着て、念のためマスクもした。  九条家から道路に出てすぐの標識に目を遣った。どうやら九条家があるこの場所は、偶然にも快斗が待っている公園のすぐ近くだった。太賀がその奇跡的な偶然に驚き、標識に目を見張りながら歩いた。  九条家から出て二十分ぐらい歩いた。太賀は公園に着く前に太賀にラインでもうすぐ着くと連絡した。久しぶりの外出は太賀の心に僅かな潤いを与えた。有川や九条にこのことが知れたら多分ひどく叱られてしまうだろう。でも、太賀は、わざと人から距離を置いて歩き、自分のフェロモンを他人に感じ取られないように気を付けた。  公園の前まで来ると、二人で良く乗ったブランコに人影が見えた。太賀は、その後ろ姿からそれを快斗だと確信すると、わざと忍び足で太賀の背後に近づいた。 「わっ!」  子どもみたいに快斗を驚かせようと、太賀は大きな声を出しながら快斗の両肩を思い切り叩いた。 「うわっ!」  その時、快斗はひどく驚いたのか、乗っていたブランコから尻もちを付くように落ちると、高速で太賀の方を振り返った。 「た、太賀……お前!」  快斗は素早く立ち上がると、笑いながら立っている太賀をいきなり強く抱きしめた。 「バカ! 俺がどんだけ会いたかったか、お前分かるか?」  快斗は苦しそうに声を詰まらせながらそう言った。太賀は突然のことに驚き、慌てて快斗を引き剥がした。こんなに接近されたら、自分のフェロモンを快斗に気づかれてしまう。 「ど、どうしたんだよ、快斗……」  太賀は努めて明るくそう言ったが、快斗は何故か思いつめたように太賀を見つめてくる。 「太賀……お前今どこにいるんだ? ここまでどうやって来た?」  快斗は有無を言わせぬ雰囲気で太賀に詰め寄った。その時、太賀はここで快斗に何を誤魔化そうとしても無駄だと悟った。快斗を信頼し、自分に起こった出来事をすべて話してしまおうとそう思った。それはもちろん自分がオメガであることを告白することになる。  太賀は、九条の名前は伏せながら、何故自分があのクラブのアルバイトを辞めなければならなかったかを正直に快斗に話した。  快斗は目を白黒させながら太賀の話を黙って聞いていた。でもその内太賀の話に耐えきれなくなったのか、快斗はいきなりブランコから立ち上がると、『うおー』と大きな声で叫んだ。 「太賀! お前バカか? なんでそんな契約したんだよ! そんなの絶対にあいつがお前に手を出さないわけがないじゃないか! ま、ましてや、た、太賀はオメガなんだろう? うー、もう本当に信じられない!」  快斗はわなわなと体を震わせながら、太賀の両肩を掴みぶんぶんと揺さぶった。 「そうだよ。俺はオメガなんだ。やっと言えた、今まで隠しててごめん」  太賀は気持ちを込めて快斗に深々と頭を下げた。付き合っていた時、快斗にした不誠実な行為を今更許してくれとは言えないが、正直に伝えることで、太賀は快斗からの許しを密かに期待してしまう。 「ちょ、ちょっと情報量が多すぎる。頭混乱する」  快斗はそう言うと、自分の頭を両手で抱えるようして、またブランコに腰かけた。太賀も快斗の隣のブランコに腰かけると、快斗を労わるようにそっと肩に手を置いた。 「快斗? 大丈夫か?」  太賀は快斗の様子が心配で、わざと肩に乗せた手に力を込めた。 「俺に気安く、触るな……」 「え?」  太賀は快斗の言葉に驚き慌てて手を引っ込めた。 「フェロモン……俺が感じてないとでも思っているのか?」  太賀は快斗の言葉に体が一瞬で硬直してしまう。自分でも自分のフェロモンがどのくらい相手に影響を与えているのかを正直良く分かっていない。太賀はそんな自分の無防備さに改めて恐怖を感じた。 「……太賀。今すぐあの男の家から出ていけ。あいつはきっとお前を騙してる。運命の番なんてそんなことあるわけないんだ。太賀は普通に、俺たちと同じ世界で生きていけばいい……そうだよ。一番見合ってる相手がここにいるじゃないか。俺だよ! 俺! だって俺たち一度付き合っただろう? これって運命なんだよ。太賀……俺はずっとお前を忘れられなかった! 好きだ! 太賀! 俺なら太賀を抱くことができるんだよ! 不能のあいつとは違う。だから、俺のところに戻ってこいよ!」  快斗の目は人間の本能に侵されたみたいな目をしている。太賀そんな快斗の様子を見て、自分のフェロモンがこれほどまでに人の理性を奪ってしまうことに、心の底から愕然としてしまう。でも、快斗の言うことは本当にその通りなのかもしれない。太賀はふとそんな考えに捕らわれる。現に九条の不能は太賀の発情を目の当たりにしても何の変化もなかった。その意味を考えた時、太賀はふらりと快斗との人生を想像してしまう。  その時、快斗はまた太賀を抱きしめようと手を伸ばした。太賀は一瞬その腕に抱かれてしまったら、どれほど心が楽になるだろうかと考えた。 (否……違う……やっぱり、こんなこと間違ってる……)  太賀はふと我に返ったように心の中でそう叫ぶと、ブランコから立ち上がり、快斗から逃れるように後ずさった。でも、快斗は太賀を逃がすまいとじりじりと追いつめてくる。 「ごめんよ。快斗……俺、今日ここに来て、正直に快斗に全部打ち明けたこと、後悔してる。俺、快斗と友達になれるって本当にそう思ってたんだよ。でも、今無理だって分かったんだ……俺ってほんとバカだ……快斗は何も悪くない」  太賀は快斗に届くように心を込めてそう言うと、踵を返し快斗から全速力で離れた……。

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