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第8話 社員としての義務

 旅行、どうしようかと迷っていると、ヤギからLINEが来た。 〈 予約、した? あー、旅館、安いとこにしてくれよ。予算、1万5千な 〉 〈 うん、わかってるよ。で、いいの? 〉 〈 当たり前だろ、俺はもう、金の心配いらないから 〉 〈 え? ほんと? うん、じゃあ予約するよ、金曜な。土曜はお前のとこ 〉 〈 うん、じゃ、楽しみにしてる! 〉 そっか〜、残念だろうけど、売る決意が付いたのかな? 宿に金曜日予約して、休み取った。 恐らく、2泊目はあの別荘だと思う。 俺もそれでいいと思うし、最後を付き合おうと思う。 八田が何か言いたそうにこっち見てる。 外に出ろと指で指した。ウンザリした顔で首を横に振る。立ち上がって更に廊下を指すので、仕方なく立ち上がり廊下に出た。 「なんだよ。もう売ってくれたんだろ? 」 「冗談じゃない、保留だよ。あいつのおかげで全ての予定が一週間延びた。」 えっ? えっ?? 「だって、あいつ…… 圧力、かけたんだろ? 」 「だと思う、本当に何も知らないのか? 」 「知らないよ、この一件知ってから、俺がどんな顔してあいつに会えるってんだ。」 「でもあいつと旅行行くって聞いたぞ?」 「そうだよ、いちいち干渉するな。」 八田が俺に、書類を押し付ける。 広げて見ると、不動産売買の同意書だった。 思い切り怪訝な顔で押し返す。 だが、八田は受け取らない。 「いいか、これは社員としての義務だ! いいな! 次出勤するときは、これに判を押した物持ってこい! 」 はあ? 何だよそれ、なんだよ! それは! その、やり方が無性に腹が立った。 バリッ! バリッバリバリ!  破って丸めて廊下に捨てる。 素っ頓狂な顔で、八田が歯を剥いた。 「この野郎、そんなの想定内だッ! 」 後ろから彼の部下が近づき、クリアファイルから再度紙を取り出す。 受け取って、また押し付ける。 「俺はなあ、貴様が何考えてるか良くわかってる。でも、3ケタ億背負ってるんだ。 判押して貰うまで、取り憑いてやる。」 ため息付いて、また販売機コーナーに行きベンチに座る。八田の部下は指示を受けてもどり、八田が1人でやってきた。 コーヒー2本買って、俺に1本渡し、並んで座る。 「悪かったよ、俺だって嫌なこと押し付けてんのわかってる。 でもな、この別荘のある場所が目玉なんだ。 それだけ美しい景観なんだ。お前も友達なら知ってるんだろ? 」 「ああ、知ってる。高台から見下ろす景色は美しくて、遠くに広がる内海が輝いてた。」 目を閉じなくても、あの時の情景は容易に浮かぶ。楽しい一時だった。 あの風景も、全てが壊されて消える。 「ヤギはすでに、家も失ってるんだ。 あいつがここまで粘るのは、きっと別荘が家の思い出を補完しているんだ。 両親亡くして頼れる思い出も全部なくすなんて、俺だって怖い。」 「頼る物が無い? あいつには叔父がいるだろ? この仕事、あいつの叔父が社長してるコンサルの提案だぜ? 」 「 は? 」 「イーアイ・コンサルプランニング。 すっごい羽振りのいい会社。よく仕事を一緒にやるから知ってる。」 俺は、驚いて立ち上がった。 「ばっ、馬鹿言うな。あんな気色悪い奴が、関わってるとかウソだろ? 」 「気色悪い? 社長、イケオジの紳士だぜ? 物腰柔らかくて部下からも信頼されてる。」 俺は、全てを把握した。 これって、あいつが実家失ったときの二番煎じだ。 建設系のコンサルなら、前の俺の会社のことだって知ってたはずだ。 あいつが困って頼ってくるの期待したんだ。 「あのクソ野郎、あいつが自力返済してるの見て、また仕掛けやがったんだな。」 「は? 何言ってんの? 」 言うべきか、言わざるべきか、迷う。 八田は大学から口の堅い男で、頼りになる男だった。 「八田、お前だから教えるけど、口外はしないでくれ。あいつのプライバシーだから。」 「え? うん、わかった。」 大きく息を吸う。 あいつがガキの時から受けてきた被害は、俺は一部だけ知っている。 俺は、あいつを守るのに必死だった。 物陰に車が停まっていたら、ふざけながら道を渡って気がつかないようにした。 男なのに受けた恐怖は女の子と変わらない。 俺は中学から高校まであいつを守り通した。 「あの叔父は、あいつが物心ついたときから性虐待を繰り返してる。凄いんだ。 俺はあいつから悩みを聞いて、学校帰りを懸命に守った。まるであいつを好きな女でも見るように執着してる。 本当に、男が男を犯してやろうって目を初めて見た。ゾッとした。」 八田が、驚いて口に手をやった。 視線を巡らせ、聞いてくる。 「男に言う言葉じゃないけど、美人か? 」 「男に言う言葉じゃないけど、母親がクオーターだったからか、すげえ美人だ。」 八田が、ギュッと拳を握る。 きっと、同情してくれたはずだ。そう言う奴なんだ。 「ろくな奴じゃないな。外面良すぎだろ。」 「そうなんだ。お前、あいつに会ったこと無いんだな。」 「ああ、あの写真見たのが初めてだ。 俺が一番追い詰められてんの自分でわかってるし、俺が行くと騒動になりそうだろ。」 「そうだなあ、お前最近怖いもん。」 「うるせー、上からギュウギュウなんだよ! 彼女からも振られて散々だ。今、追い出されて、ホテル暮らしだぜ? 冗談じゃ無い。」 「あー、ご愁傷様。」 なんだ、それで余計にギスギスしてんのか。 「美人の彼、今どこに勤めてんの? 辞めたあとがわからないんだ。」 「今休養中。次の勤務まで休み貰ってる。」 「優雅なもんだな。」 「優雅じゃねえよ、栄養失調と過労でガッサガサのガリガリだから、しばらく休んで体調整えろってオーナーに言われてんだと。」 「だからさ、売ればラクになるだろ? こっちがいくら提示してるかわかってんの? あの辺じゃ破格の額だぜ? 」 仕方ない、俺は八田の握っている書類を受け取った。 「話はしてみる。向こうがなんか条件出したら伝える。期待はするな。」 「条件返答、すぐに返せるものは返す。いつでもLINEで頼む。恩に着る。」 「コーヒーごちそうさん。じゃあな。」 「頼む、なんとか、頼む。」 ちょっと振り返ると、深く頭を下げている。 気が重い、それでも、向き合わなきゃな。 あいつだっていつまでも心労重ねるのは良くない。重い書類を手に、自分の席に戻った。

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