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第10話 追ってきた男
きっと気のせいだ、何を俺、心配してんだろう。
気を取り直してカバンを探る。
いい思い出なんか最近無いんだろうな、俺はカバンから雑誌取り出しながら、明るく声を上げた。
「おう、荷物置いたらさ、ここ行ってみよう。ほら、俺色々調べてきたんだ。」
「へえ、うん、いいな、まるで修学旅行だな。」
「あははは! だろ? 」
「あの頃は良かったよなあ……
ただただ毎日は普通で、ミツミのおかげで安心して暮らせた。」
「これからはまた、普通に暮らせるじゃないか。
何言ってんだよ。」
「そうだよな、これからは。
これからは…… 普通に、暮らせるんだよな…… 」
外をボンヤリ見る横顔は、どこかホッとしているより諦めて見える。
仕方ない、あの別荘は諦めて貰うしか手が無いんだ。
「ごめんな。別荘、唯一残った財産なのに。」
言われてハッとしたように、明るく笑ってトンッと俺の肩を押した。
「ばーか、いいんだよ、金に換わるなら万々歳じゃん。
あとはのんびり生きるだけさ。」
物わかりの良すぎる返事に、どこか不安が膨らんだ。
こいつは、こいつは別荘守る為にこの4年を死に物狂いで働いてきたんだ。
本当に、本当にこれでいいのか?
日の向きが変わって、強い光が差す。
ヤギが光の向こうに消えてしまいそうで、思わず手を握るとビックリして顔を見上げた。
「ど、どうした? の? 」
「あ、ごめん。カーテンしよう。お前、日焼けすると痒くなるって言ってたじゃん。」
「ああ、そうだね。」
ずっと見ていた視線を外から外し、少し残念そうにカーテン閉じて腰を上げた。
「やっぱりさ、ちょっと電話してくるよ。」
「ストーカーに? 」
「アハハハ! 大丈夫だよ。」
笑って、ミツミが席を立ち、通路に出て見送ると、さっきの男がいる後ろの連結に歩いて行く。
ミツミは大きく息を付いて座席に戻り、複雑な気持ちで書類の入ったカバンを見ていた。
ガラリとドアを開けると、連結部分の風切る音が鳴り響き、作業服の男が顔を上げた。
直感で、すぐにわかっていた。
こんな服着て、ずっと追ってくる。
電車に乗ると慌てて飛び乗り、車掌を捕まえ後ろの席の切符を買っていた。
「あんた、叔父の雇った奴だろ? 」
「は、はあ、えーっと、谷木さんで? 」
冷たく見据えられて、男はばつが悪そうに目をそらす。
「叔父には後で連絡すると伝えろ。」
「叔父上は、旅行など聞いていないと激怒されてますぜ? 」
「いちいち報告する義務はない。」
男はまわりを見回し、誰もいないことを見ると声を潜める。
「あいつと寝たら五百しか払わないそうです。
初めてだから千出すんだと。奴と寝た上で千欲しいなら愛人契約だそうで。」
赤くなるかと思ったが、想定内なのかヤギは顔色も変えない。
男がふうんとヤギの顔からスタイルまでまじまじと見る。
面と向かって話すのは初めてだ。
仕事をやめて初めて休みを取るヤギは、余裕のなかった頃より落ち着いて上品な美しさがある。
あんな事件がなかったら、デカい屋敷に住んでたろうに、気の毒なものだ。
顔を上げるヤギの視線に射貫かれて、こちらまでドキッと頬が赤くなる。
なんでこの人は、この美貌で稼がないのか不思議だ。
調べれば、調べるだけ疑問がわく。
ただ、それから出る答えは、恐らくこの人にとって、自分の美貌なんて毛ほども価値がないのだろうという事だ。
美醜に鈍感なのだ。
あれだけ汚い仕事ばかりしてきて、なのにスレたところもなく人を捨てずに生まれの良さがそのまま歩いている。
こういう人はだいたい人生投げているものだが、綺麗なままで働きぶりも真っ直ぐしていて所作が美しい。
手の仕草に、思わず見とれる。
バイトしているところへ食べに行ったが、そこが安いチェーンのファミレスだと言う事を忘れてしまう。
思わず手を握りそうになってどぎまぎした。
美しい微笑みに、気があるんじゃ無いかとさえ勘違いしそうになる。
この人が辞めたあの店、恐らく客は半減する。
たいして飯が美味いわけでもないのに、馬鹿な店長だ。倍出しても引き留めるべきだった。
ヤギが耐えがたいことを言われ、振り切るようにうつむいて首を振った。
「ふざけるな、気持ち悪いんだよ。
干渉するな! 」
男を見据えながらドアを開ける。
そこにはミツミが立って苦い顔をしていた。
ヤギがひどく驚いて、焦って首を振る。だがミツミは、男を睨み付けた。
「この男は何だ、なに話してる。」
「ミツミ、違う、大丈夫なんだ。なんでも無いんだ席に戻ろう。」
「なんでも無い事あるかよ、ストーカーじゃないだろうな? 」
男は、ニイッと笑ってミツミに名刺を出す。
そして、更にクギを打った。
「あんたとやっちまったなら金は減額する、全額なら愛人だと。確かに言いましたぜ?
綺麗な人は大変だね。じゃ、私はこれで。」
何故か、男はポンとミツミの肩を叩いて、客車に戻ると普通席の方へ抜けて行く。
まるで、何かを託されたような気がして、閉まる自動ドアからヤギに視線を移した。
ヤギが目も合わせず、うつむいて指を噛む。
通る人がすいませんと声をかけ、ヤギの肩に手をかけ降車ドア前に避けた。
どこか、態度がおかしいとは思っていた。
まるで最後の思い出でも作りに来たような。
まさか、俺は最悪の事態を考えなかったのか?
ミツミが、痛いほどヤギの腕を握った。
「オーナーが払うってウソなんだな?
またあいつか?! 」
「大丈夫だよ、行かないから。」
「でも当てがあるって言ったじゃないか!」
「大丈夫、心配いらないよ。席に戻ろう。」
顔を上げたヤギの目から、ポロポロと涙がこぼれる。
「なんで連絡取ったんだ、あんな奴に。」
「だって、俺なんかに誰が金を貸すんだ。」
「叔母さんは、重役の奥さんなんだろ? 」
「保証人なんだ、2度と会いたくないって追い出された。」
「他に親戚はいないのか? 」
「会ってくれない。誰も。」
話もしてくれないのか。
親が死んだだけで、借金あるだけでこれほど孤独になるのか。
俺は、なんでこいつにあの時、話を持っていこうと思ったんだろう。
「なんで、お前のまわりは。何で俺は。」
なんで、こんな若い人間、助ける奴がいないんだ。
なんで、こんなに誠実に生きてるのに、なんで……
声を殺して泣いているヤギが、ゴトンと揺れる衝撃によろめく。
思わず、ミツミが彼を引き寄せ抱きしめた。
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