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第13話 懐かしくて悲しいんだ

 昼食後は少し離れた美術館に行って、企画展の著名な画家の絵を見て回った。 イベント検索していて、美術館の紹介記事でこの企画を見た時、美術の教科書見るたびにヤギはこの作家の絵をうれしそうに見ていたのを思い出したのだ。 でもヤギは玄関先で作家の名前を見ただけでは、それを思い出さない様子だった。 「なんで美術館なんだよ。こんな余裕はないよ、お金が勿体ないだろ。 もう温泉行こうよ〜 」 「まあまあ、ここはおごりだ。もうちょっと我慢しろ。 ほら、2階だ、上がるぞ。」 ミツミがいやいや歩くヤギを引っ張って、入場料払って特別展の部屋に入って行く。 「ほら、お前この画家の絵好きって言ってたじゃん。」 「んー、でも千五百円なんて勿体ないよ。 絵なんか、余裕がないと楽しめないもの。」 「ほら、顔を上げて。見てご覧よ。」 手を引いて、最初の絵の前で立ち止まる。 ダウンライトの向こうに、幻想的な風景画が一枚。 ヤギは一目で高校の時の美術の本に載っていた絵を思い出した。 「あっ、この絵、なんか覚えがある。」 「だろー? この画家さんの絵、お前好きだったじゃん。」 「ああ、ほんとだ。覚えててくれたんだね。」 「当たり前さ。俺はお前のナイトだから、姫の好きなものは何でも覚えてるよ。」 「ククッ、バーカ、誰が姫だよ。」 ヤギがプッと吹き出して笑った。腕を組んで、ギュッと引っ張られるとドキッとする。 「ぜ〜んぜん勿体なくないよね。」 「お気に召して良かった。どうぞ、姫様。」 エスコートして、中に入って目を見張る。 同じ作家の絵が並んでいる。企画展だから当たり前だけど、ヤギの顔が一気に晴れた。 優しい色使いの風景画は、見ていると葉擦れの音に鳥の声、そして風を感じる。心が、癒やされてゆく。 「いい…… とてもステキだ…… この優しい、繊細なタッチが…… 揺らぎのある、色使いが…… ああ…… 僕は、もう、こんな世界のこと、忘れてた…… 」 手を繋いで、次の絵、そして次の絵へと。 ヤギの目が、視線が、絵に吸い込まれるように、風景画に溶け込むように うっとりと、目を大きく見開き、そして細める。 「ほら、次の絵に行こう。」 「うん、 これ、どこなんだろう。 ほら、なんか…… 」 「まだいっぱいあるよ。次に行こう。」 促しても動かない。 まるで、魅入られたようにうっとりしてる。 ああ、俺は、今後悔してる。 絵に嫉妬してる。言葉を失うほどに、ヤギの心を奪っている。この絵に。 一歩離れて絵をもう一度見上げる。 ヤギは溜息交じりに大きく息を付いて、小さく首を振ると優しい顔で微笑み、ようやく歩き出した。 「ごめん、見入っちゃった。さっきの絵、良かったよね。」 「もっと早い時間に来れば良かったな。」 「んん、一緒にまた見られただけで、胸がいっぱいになる。 ああ、昔に戻ったみたいだ。最後に見られて良かった。」 最後? 「次の絵、ほら、教科書に載ってたよね。 珍しく人物がいて、ボンヤリしてるからボンヤリさんって言ってたの。」 「あはは! まあ、この画家のタッチはボンヤリさんだからなあ。 ほら、こっち、この絵だよ、お前が一番好きって言ってた。」 角を曲がると、ひときわ大きい絵が一つ、際立っている。 白い馬が、湖畔でたたずむ美しい青の絵。 青い、青い、青い世界。清楚な、美しく、透明な世界。 ヤギは無言で見つめて、そしてうつむいた。 「どうだ? 懐かしいだろう? 」 ヤギは立ち尽くしているように、身動き一つしない。 うつむいて、また顔を上げて目をそらす。 「どうした? 」 のぞき込むと、涙をポロポロ流していた。 胸がドキンとして、少し心配になる。 ハンカチだ、とにかくハンカチ。 そうっと差し出すと、思い出したように息を付く。 ハンカチ受け取って、その場に座り込んでしまった。 しまった、しまった、何が悪かったんだろう。 「ど、どうしたんだよ?! 」 「 うん、なんでも、ない  」 涙を拭いて、立ち上がると笑って言った。 「ああ、 ステキだね。本当に。」 「おう、大丈夫か? 悪かったな、お前に聞いてからにすれば良かったな。」 「そんな事、ないよ。」 どこか、なにか、悪いことをしたような気がして、目をそらして隣の絵を見る。 名残惜しそうにその絵をあとにするヤギは、ひどく寂しそうに見える。 過去の幸せな時って、今とギャップが大きければ大きいほど傷つくんじゃないのかと、連れてきたことを少し後悔した。 「ハハ、なんか涙出ちゃった。」 「うん」 「ずっと見ていたかったな。 昔はあの白い馬と一緒に、森が映り込む湖をただ、ただ眺めたんだ。 森の香りがする風に吹かれて、水面がゆらゆらゆらめく。 僕はあの時代、あの絵でそんな空想をして楽しんでいたんだよ。」 昔はと言うヤギに、今は?と聞けなかった。 「いい、時代だったよな。」 「うん。 ミツミ、ありがとう。」 「 うん 」 俺は、企画展を出るとすぐ横にある売店で、あの絵が載っているか店員に聞いて、ちょっとお高い画集を買ってヤギにプレゼントした。 どこか、ちょっと悲しませた、罪滅ぼしのような、そんな気がした。 でもヤギは、素直に喜ぶと、本をギュッと胸に抱いて笑ってくれた。 「ありがとう、大事にするよ。」 輝くような笑顔が、胸にキュッとする。 帰る前に、美術館の庭を散策しようと誘って、2人で歩き出す。 薔薇もすでに終わりかけの庭には、すでに人影も見えなかった。 「これ見ると、母さん思い出すな。」 まだ花が残る薔薇のアーチを、懐かしそうにヤギが指さす。 アーチの中で、ただよう薔薇の香りに誘われて、近くに咲く花の香りを楽しんだ。 風が吹いて、サワサワと揺れる。 ヤギが寒そうにコートのあわせを握り、笑って振り返った。 「寒いね。」 息を呑む、 その微笑みが、綺麗だと思った。 「キスして…… いい? 」 ヤギが見つめて、仕方ないなあって、クスッと微笑み顔を上げる。 「 いいよ 」 寒そうなヤギの両肩を引き寄せ、抱きしめる。 少しホッとしたように、ヤギが俺の胸に持たれかかった。 「あったかい…… 」 「暖めてあげるよ。」 顔を近づけても、目を閉じないヤギの息づかいが、白く見えた。 目を細め、そっと、唇を合わせる。 ヤギがドサリと紙袋を落とし、手を回してギュッと俺を抱き返す。 「美里、好きだ。愛してる。」 「ミツミ…… 」 唇の柔らかな感触に、小さくため息を付く。 遠くに人の声がする。 2人は隠れるように抱き合って、口づけを交わした。

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