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第16話 君と一緒に生きたい
たまらず顔を隠すヤギの手が、ガタガタ震えている。
しまった、やってしまった。
「お、俺、」
しまった、いきなりタガが外れちまった。
大きく息を吐いて、ヤギの足を下ろし、やってしまったことにバンと自分の頬を叩く。
ハアハア息を付く音だけが風呂場に響き、俺は頭をかきむしった。
ヤギは顔を覆って、また泣いている。泣かせてしまった。
「ミツミ、ごめん。ごめん、ごめんね。」
「違う! ちがう、お前は悪くない。」
触れようとして、触れるのを躊躇する。
「ごめん、すまない。ヤギ、美里、大丈夫か? 美里。」
恐る恐る手を伸ばすと、ヤギがそうっと手を開き、泣いている顔を上げた。
「ミツミ、怖かった。」
そう言って、躊躇なく抱きついてくる。
俺はホッとして、すっかり冷えた体を抱きしめた。
ああ、俺は、あの男と同じ事してる。
馬鹿だ、優しくしなきゃ駄目なのに。
俺は馬鹿だ。
「うっうっ、ごめん。怖かった。ごめん。」
「謝るな、今のは俺が悪い。ごめんな。」
ギュッと抱きしめ、頬に優しくキスをする。
なんて身体が冷たいんだ。
怖かったんだろう、凄く顔色が悪くなってしまった。
片手で湯を出して、冷たい肌に暖かいシャワーをかけた。
なんて事だろう、許してくれるだろうか。ああ、俺の馬鹿野郎!
「馬鹿、バカバカ、ミツミ、興奮しすぎ。怖かったよー」
「ごめん、俺がこんなになるなんて、自分でもビックリしてる。」
ヤギが涙を拭いて、俺のいまだ立ち上がったペニスに息を呑んだ。
「いきなりは無理だよ。僕、経験無いんだから。」
「そうだよなあ。俺もそう思う。
もっとゆっくり、丁寧に進めないとな。」
「うん、余裕がなくて怖すぎるよ。」
ヤギがとりあえず、だんだんしぼんでいくペニスには冷たい水をかけた。
「まだお前の出番はありません、引っ込んでなさい。」
「冷てえ~ 」
ああ、良かった。許して貰えた。俺の姫よ! マジごめん。
「あー怖かった! いきなりオオカミになるんだもん。」
「悪かったって。は〜〜 、俺も頭冷やして先に身体洗うよ。
お前、少し湯に入って暖まれ。」
「うん。」
ミツミは、頭を冷やそうと自分も先に洗い場で身体を洗い始めた。
ヤギが内風呂の湯船に行き、身体に湯をかける。
ザアアアア…… ザアアアア……
股間に指の感触が残っている。
荒々しい仕草が、ミツミらしいと思った。
湯を流し、その触れられた場所に触れる。
それでも、あの男を思い出す限り、自分の身体は興奮する気配も無い。
はぁ…… ああ…… 駄目だ。
美里と呼ばれたとき、何度も性虐待に来た叔父の姿が簡単に蘇って恐怖に変わった。
あんな奴のためにセックスが怖いなんて、
僕は、 僕は、最後にせめて、ミツミと抱き合いたいのに。
セックスの真似事は、叔父に何度もやられたけれど、叔父はまるで大事なものは後に取っておくようにペニスを入れては来なかった。
だから、自分の初めてにこだわるのだろうと思う。
冷たい床に湯を流し、振り向くと、ばつが悪そうなミツミに苦笑した。
背を適当に洗い始めたので、近づいてポンと肩を叩きタオル貰って背をこする。
大きな、頼りがいのある背中で、泡に覆われた背に手を滑らせた。
「おおう、なでるなよ、また立つじゃん。」
「お前、俺でも立つんだな。あはは! 」
「だって、好きだもん。中学から。」
「中学って、出会った時からじゃん。なんだ、そうだったの? クククッ」
「バーカ、知ってたんだろ? 」
「知ってたー、 僕のナイト君。」
立ち上がり、シャワーを取ってミツミにかける。
泡が流れて、健康的な夏の日焼けが残る肌が現れた。
彼と一緒に暮らしたら、自分も健康的に暮らせるんだろうか。
きっと、楽しく暮らせるに違いない。
暮らしたい。 一緒に暮らしたい。
いいや、駄目だ。一緒にいたいならお金を返さなきゃ。
お金を返さなきゃ、人に好きなんて言ったら駄目だ。
僕はもう、人の迷惑になりたくない。
苦しむのは僕1人でいい。
「チェッ! 知ってたなら早く言えば良かった! 」
真っ赤になってミツミが立ち上がると、僕の手を引いて外の露天風呂へと連れ出す。
ドアを開けたとたん、ひんやりとした空気に震えた。
「ほら、ここ、中を川が流れてるんだ。」
サアアア……
そこは、露天風呂の向こうに小さな庭園が造ってあり、優しい水音を立てて沢のように水が流れている。
垣根は低く、その向こうには美しく紅葉した山が見えた。
「ほんとだ、凄い綺麗だ。」
「ほら、早く入って温まれ。冷たくなっちゃって、風邪引くぞ。」
手を取って、足下に注意するように促してくれる。
あー、ミツミ優しい。
僕は今、すべって死んでもいい!
風呂に入って、景色を見ながら並んで浸かる。
横からちょろちょろと湯が流れ、もみじがはらりと落ちてきた。
「これ、紅葉の位置がさ、湯に入っちゃうだろ? これが綺麗か汚いかで、もめたんだよ。
普通はこう言うところ、落葉しない植物植えるんだけど、オーナーが紅葉が大好きな人でね。
ほら、中庭に凄い紅葉あっただろう? あれ日本中探し回ったんだぜ?
メイキング話、面白いだろ? 」
「これ、綺麗って判断になったの? 」
「そ、当番決めて掃除すればいいんじゃないかってなった。
今どこも人手が足りなくてさ、オーナーがお前離したくないのも良くわかるわ。」
「ニートなんて言葉もあるのに、何でこんなに人手が足りないんだろう。」
「お前は必然的に仕事に打ち込むしかないだろうけど、世の中には色んな人が、色んな事情抱えてるのさ。
なあ、お前さ、 」
「なに? 」
「なあ…… お前、 どっかから、さ、飛び降りるとか、考えてるだろ? 」
驚いて、一瞬身体がこわばった。
無言で、息を呑む。胸元で、ギュッと手を握る。顔が見れない。
違うよと、冗談も言えずうつむいた。
それが、肯定を示していた。
彼は、本当に僕のことを見ている。僕の全部を見て、理解してくれる。
ミツミが、肩を抱き寄せる。大きな手で痛いほど、僕の肩を握りしめた。
「生きろ、生きろよ。
俺がいるんだから。死んだら許さない。
一緒に暮らそう。お前は1人で頑張らなくてもいいんだ。
お前がいなくなったら、俺の心まで死んでしまう。頼む、たのむ、俺と一緒に生きてくれ。
俺を1人にしないでくれ。頼むよヤギ、谷木美里。俺の大事なパートナー、頼むよ。」
ヤギの心が揺り動かされる。
それでも、ミツミは知らない。
本当に、どうにもならないほどに、大きな大切なものを失う恐ろしさを。
相手は銀行だ。
殺されるわけじゃない。
だが、担保は別荘だ。
滞ったらすぐにあの別荘が奪い取られる。
金と、あの別荘は天秤にかかっている。
昔は何気なく過ごした別荘だ。
母と行くのが一番好きだった。
父が休日遅れてくると、一緒に食事を取る。
あの光景が、奪い取られて消えてしまう。
あまりにも早く二人は消えてしまった。
ミツミまで、この地獄に巻き込まれるのが怖い。
「いいや、俺は1人で頑張らなきゃ。返してようやく解放される。それから考えよう。」
「別荘を売るんだろう? 」
「売らない。」
「それでどうやって返すんだ。」
「誰かに金借りて、働くよ、今まで通り。ラクなんか考えちゃ駄目だったんだ。
大丈夫、貧乏には慣れてる。もっと働いて返すよ。
もっともっと、もっと働けばいいだけなんだ。」
バシャンッ!
ミツミが、ヤギの腕を取って目の前にかざした。
「こんな痩せた腕1本で、全部返す頃に生きてる保証があるのか?
それに誰が貸してくれるって言うんだ。」
ミツミが、湯の中で優しく抱きしめた。
力強く、僕に生きる力を分けてくれる。
僕は、僕が死んでも、誰も悲しまないと思ってた。
ああ、ミツミ。
僕は、生きたい。君と一緒に生きたい。
でも、どうすればいいのか、どうすれば君に心から笑えるのかが、わからないんだ。
「ミツミ、ありがとう。」
とろけるような湯の中で、口づけを交わす。
肌の感触が、優しく温かく僕を包み込むようで、心地良かった。
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