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第5話
駅前の待ち合わせは夕方の五時、黒く染め直した髪を短めに切り、ピアスを外した。あとはいつもの通りに事が運ぶはず。ところが約束の時間になっても件の相手が現れない。逃げられたのかと慌てて電話を入れた。写真で何度も確認した、見つけられないはずはない。
「すみません、桐野さん?どちらにいらっしゃいますか?」
「ん?駅の街頭ビジョンの前にいるよ、約束通り紺のジャケットを羽織っているんだが」
紺のジャケット?周囲を見回す、ほんの数メートル先に立っている男だ。携帯を耳にあてている、間違いない。けれど写真の中の男とは印象が全く違う。くたびれたスーツ姿で、黒髪を固め眼鏡をかけた神経質そうな男のはず。
「……きりのさん?ですか?」
「ああ、亮也君か?ずいぶんと若く、見えるな」
それはこっちの台詞だ、どこから見てもくたびれた中年には見えない。固めていない髪は真っすぐで柔らかく見える。身に着けている小物もセンスがいい。
「眼鏡が」
思わず余計な言葉が出た。
「眼鏡?普段かけていると話した事があったかな?」
「えっ、ええ、以前そうだと」
危ない、下手を打てば全てが水の泡だ。ここは慎重にならなければならない。こちらのペースに持ち込んで今晩には決着をつける。
「じゃあ、行こうか?食事をするところを予約してあるから」
「あ、はい」
連れられて行った先は通りの奥にある静かな和食の店、完全にアウェイだ。ここは大人しく食事に付き合うのが安全策、それから予定のルートを辿ればいい。暖簾をくぐり、靴を預けると個室に通された、まるで隠れ家だ。
「こういうお店は初めてで緊張します」
個室だから気兼ねしないでくつろげばいいと、笑顔で促された。完全に主導権を取りそびれている。落ち着かないまま、座ると都会から切り離された静寂が広がる。居心地が悪くないのは桐野の醸し出す柔らかい雰囲気のせいだろう。
運ばれてきた食事に手を付けようとしたときに「亮也君、左手を添えて」と優しく床についたままの左手を窘められた。そんな注意をされたことは無く、一瞬赤面した。
「すみません」
桐野の所作は流れるようだ、普段だらしない大人しかいない世界では見習うべき人もいなかった。食事の間にも細かい気配りをされる。椀物の蓋がとれないと思った瞬間にすっと手が伸びてきた。初めて見るような料理をさりげなく説明してくれるが、それもお仕着せがましくない。話題も豊富だが、決してひけらかさない。完全に相手のペースだ、今日は押し切れそうにない。諦めて、出直すべきか。
「あの、この後ですが」
「ん?今日はね、徹底して付き合ってもらうよ」
「どこへですか?」
「せっかく早い時間に食事を設定したんだ、もう少し夜を楽しまなきゃね」
桐野が何を考えているのか分からない。まさかそっちから誘われるのか、それも有りだろうが意外な展開だ。面白みもない、つまらない男だったのではないのか?遊び慣れているように見える目の前の男は楽しそうに笑った。
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