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第10話
近くの銭湯で風呂に入り、ついでに歯磨きをしてキャンプ場に戻った。車の中はシートを倒しており、既に景さんがLEDランタンを灯している。
「トイレは行ったか?」
「はい……って、子どもじゃないんですから」
恥ずかしくなって額を押さえると、彼は可笑しそうに顔を背けた。時々こうしてからかってくるんだから、困った人だ。
「都築。空」
「え? ……わあ!」
車に入る前に、顔を上げる。どこまでも果てしなく広がる夜空には、宝石のような星々が一面に散りばめられていた。
「すごい星の数……!」
正直圧倒されてしまった。自分の故郷も星空は有名だが、思わず後ろに後退り、反り返ってしまう。
「綺麗ですね、景さん」
すごすぎて空から視線を外せない。だから手だけ振って話し掛けたのだが。
「いったぁ!」
足元を見てないせいで、わずかな段差に躓き転んでしまった。
「大丈夫か!?」
「いてて……だ、大丈夫です」
我ながら情けない。尻もちをついてしまったが、打ったときの痛みがそれなりに強く、すぐに起き上がれなかった。
「すみません、景さん……わ!」
自分で立とうと思っていたのに、腕を引かれ軽々と起こされてしまった。そのまま車の中に誘導される。
景さんはドアをロックすると、簡易的な目隠しシートを取り付けた。おぉ、と思っていた矢先に後ろに寝かせられる。
「見せてみろ」
「え!? いやいや……!」
強引に仰向けにさせられ、彼を見上げる体勢となる。
「景さん、大丈夫ですよ。擦りむいただけですもん」
「立てないのに?」
「それはその、痛みが引くのが遅かっただけで……」
ズボンの裾を引き上げられたが、そこは打ってないので意味がない。車の反対側で倒れたから、彼は自分が打った場所を知らないのだろう。
「あの、お尻……こ、腰を打ったんです」
「腰?」
景さんは怪訝な顔で身体を起こす。そのまま納得してくれるかと安心したのも束の間、うつ伏せにさせられ、ズボンに手を掛けられた。
「ひああっ! ちょっとちょっと、何してるんですか!」
しかし抵抗虚しく、下着と一緒に後ろから引っ張られてしまった。こちらの要望を汲んでくれたようで、服を下ろされることはなかった。
背中から腰にかけて、わずかに素肌を見られただけ。……それだけなのに、心臓が破裂しそうなほどドキドキした。
「見た感じは問題ないな」
「だだだ大丈夫ですよ……! 心配かけてごめんなさい」
膝をついて、腰を上げてる体勢になってる。情けないやら恥ずかしいやらで、気が気じゃない。
「痛くなったら言え。病院探すから」
「ありがとうございます。ごめんなさい……」
せっかく星が綺麗だったのに、なんて結末だ。
ケツだけに……と心の中で考えて、あまりの寒さに風邪をひきそうになった。
何かすごく空回ってる。明かりを消し、狭い車内に二人で寝転んだ。
景さんはいつものように壁側を向いている。俺は正直どっちでも良くて、……天井を眺めた。
こんなに近い距離にいるのに、遠い。
何でこんな風に感じるのか、よく分からない。無理して仲良くなる必要なんてないし、和気あいあいと旅することもない。
互いに主の居場所を見つけることができれば、それでいい。目的を果たす為に同行してるだけ……。
そう思えば思うほど胸が苦しい。
俺はどうかしてしまったんだろうか。
こんな狭い空間にいながら、「寂しい」だなんて。
「…………っ」
やっぱり昔とは違う。
だって昔は、いつも手を繋いで……同じ布団の中で眠っていたから。
◇
「……ん」
わずかな隙間から射し込む光に目が覚めた。腕と首が少し痛い。
寝違えたか?
都築は瞼を擦り、徐に目を開けた。
「っ!」
驚き過ぎて、逆に声が出なかった。
都築の目の前には、鼻先が当たりそうな位置に景の寝顔があったからだ。
しかも何故か彼に腕枕をしてもらっている。完全に彼の胸に抱かれる形で、一夜を明かしていた。
ななな何だ? 何がどうしてこうなった?
二匹の蛇を同じ部屋に入れたらいつ間にかこんがらがってたみたいな、そういう感じか。それなら分か……いや、分からない。
いつだって景は都築より早起きで、アラームが鳴るより先に車から出ていた。
しかし今はかすかな寝息を立て、気持ちよさそうに眠っている。
「……」
こんな至近距離で彼の寝顔を見ることなどまずないだろうと思い、口端を引き結んだ。
人形のように整った彼の顔は、見る者の心を捕らえて離さない。何秒も目を合わせれば、いつの間にか彼に魅了されている。
見慣れたはずの自分でさえ未だに見つめ合うと緊張する。彼に惚れた女性だったら大変なことになるんじゃないか、と心配になった。
加えて、腕枕なんてされたら……。
非現実的な状況にバクバクしてると、不意に髪を触られた。
「……永」
ん?
わずかに聞き取れた声に、耳を傾ける。全神経を彼の唇に集中した。
彼の口元は、綺麗な弧を描いた。
「明永 ……」
静謐な大地に、一滴の水が零れ落ちる。
あまりに小さ過ぎて誰も気付かないだろうそれは、都築にとっては海が割れるほどの衝撃だった。
「………………」
何で思い返すこともしなかったんだろう。
数百年ぶりに聞いた自身の名は、頭の中をリセットするには充分過ぎた。
景が目を覚ましたのは、近くで軽快な音楽が鳴り響いたのと同時だった。
「あ、おはようございます」
光の速さで飛び起き、スマホのアラームを止める。
多分、腕枕してもらっていたことは誤魔化せた。眠そうに瞼を擦る景に軽く会釈する。
「景さんいつもアラーム鳴る前に起きるのに、珍しいですね。昨日は眠れませんでした?」
念の為尋ねると、彼は片膝に腕を乗せながら頷いた。
「……雨音がうるさくてな」
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