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第19話 輪転
自分の名前が“名田都築”であると知ったとき、前世の記憶も息を吹き返した。
閉鎖的な村で生まれ育ち、代々続く流れに身を任せながら。
いつも酸素が薄い空間に閉じ込められてるような、言葉では言い表せない圧迫感を抱いていた。だが不思議と水の周りにいると心が落ち着いた。池、川、滝。海に連れて行ってもらったことがないから、高校一年生の夏休みにひとりで遠出した。
そのとき、細かった視界が開けたのかもしれない。初めて見る海は、俺の中に巣食う妥協や退屈を叩き壊した。
ああ。
この世には、こんなに広い世界があるんだ。
あの村で一生を終えるわけにはいかない。
きっと何でもできる。本気を出せばどこにだって行けるし、必ず見つけられる。
俺を助けてくれた主様。そして、いつも傍にいてくれた少年。彼らと、いつか─────。
◇
「三十六度八分」
「良かった! おかげさまで下がりました」
翌朝。体温計を確認した景は、都築の声掛けに頷いた。
「食欲はあるか? 昨夜は何も食べなかっただろ」
「あー……ちょっと空いてきたかも」
「分かった。ちょっと待ってろ」
あ。もう帰ります。
と言うタイミングを逃し、またも項垂れる。
迷惑かけ過ぎだろ、俺……。
ここまでくるとどうお詫びしたらいいか分からない。迷惑料を支払わないといけないレベルかも。
ベッドの上でひとり頭を抱え、ため息をつく。
景さんは俺に優……いや、甘過ぎだよな。
嬉しいけど、こっちまで甘えぐせがつきそうで怖い。
「粥なら食える?」
少しして、景さんは一人用の土鍋に入った卵粥を持ってきてくれた。蓋を開けた時の湯気と香りは、眠っていた胃袋を起こすのに充分だった。
「美味そう……い、いいんですか?」
それでも申し訳なくて尋ねると、彼は蓮華にすくい、俺の口元に運んでくれた。
「ほら」
「あ、ありがとうございます……!」
はぐっと熱々のお粥を口にする。熱々……なんて生易しいレベルではなく、地獄の業火に等しかった。危うく吐き出すところだったが、決死の思いで口を塞ぎ、何とか押しとどめた。
「美味しいです……」
「泣くほど?」
あまりに熱くて涙が出てきた。俺を不審そうに見つめ、景さんは蓮華を差し出す。
ふわふわの卵とネギ、それから鶏がらの風味。実際すごく美味しくて、冷めてからは一気に平らげてしまった。
ちなみに上顎と舌はしっかり火傷した。
「ご馳走様でした! 美味しかった~」
「全部食えて良かった」
火傷なんて大した問題じゃない。景さんの手料理は基本、お店レベルで美味しいから。
お腹もいっぱいになり、幸せな気持ちでベッドに座り直す。するとスマホに数件メッセージが届いてることに気付いた。
「あ、職場からだ」
「……そういや今日のシフトは大丈夫なのか?」
「大丈夫です! この感じじゃまだ行けないと思って、昨日休みの連絡を入れておきました」
本当は休みたくないけど、無理したことで仕事中に迷惑かけたり、周りに風邪を伝染す危険もある。やはり全快まで大人しくしてる方が無難だ。
スマホを置くと、景さんはフムと頷き、顎に手を添えた。
「なら明日まで泊まればいい」
「いやいやいや!!」
さらっと告げる景さんに全力でツッコむ。彼の気遣いは本当に有り難いけど、もう限界だ。
「もういい加減出ていきますよ。本当に、色々ごめんなさい」
正座して頭を下げるも、彼は机の上のノートパソコンを手に取り、ドアの方へ向かった。
「俺は隣の部屋で仕事する」
「あ、はい」
……帰っていいってこと? それとも駄目ってこと?
汗をだらだら流しながら見つめてると、彼は去り際にわずかにこちらを向いた。
「夜なにが食べたいのか考えといて」
バタン、とドアが閉められる。
「…………」
ひとり部屋に取り残され、呆然と呟く。
「駄目ってことか……」
彼も中々意志が固いので、帰らせる気は毛頭なさそうだ。
相変わらずメンタル強めの青年を想い、都築は夜までのんびりすることにした。
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