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第22話
じっと滝を眺めている青年。こちらに背を向けているから分からないけど、多分若い。
雨の日にひとりで滝を見に来るなんて珍しい。そして渋い。
若いのに自然の魅力を分かってて素晴らしいなぁ。
うんうんと頷き、再び視線を戻す。
斜め後ろから見えた顔はとても綺麗で、何故か胸がざわざわした。
( 何だ……? )
喉にものが引っかかったみたいだ。ただ息するだけでも苦しくて、胸を押さえる。
放っておいたら目の前の青年が滝に入ってしまうような気がした。妄想でしかないのに、古い残像がフラッシュバックする。
────駄目だ。
「危ない!」
考えるより先に踏み出して、彼の手を掴んだ。
男の人は驚いて振り返る。俺もまた、自分の謎行動に驚いた。
「いきなりすみません!」
慌てて手を離し、身振り手振りで説明する。しかしこれだと挙動不審で、なおさら怪しまれそうだ。
「その、ぬれた石の上ってホント滑るから……革靴だと危ないと思いまして……!」
いかん。自分の耳でも苦し紛れの言い訳に聞こえる。ナンパとか不審者だと思われたらやばいから、早く退散しよう。
「ほんとすみませんでした。じゃ、失礼します」
軽くお辞儀をして翻る。ところが。
「え。わあっ!」
後ろから腕を掴まれ、バランスを崩した。受け止めてもらったから転びはしなかったけど、真空色の傘が地に落ちる。
傘がくるくると回り、止まる瞬間まで眺めていた。
雨が降りしきる山中、凍えそうな空気。でも抱き締められてるから背中は温かい。
一体何が起きたんだ?
恐怖や不安より、動揺が勝って動けない。呆然としたまま瞬きすると、左腕をそっと持ち上げられた。
「やっと……」
左手のブレスレット。それについてる白い珠に触れ、彼は掠れた声で呟いた。
「やっと見つけた……」
「…………え」
滝の音と雨音がぶつかり合い、俺達の鼓動を容赦なく掻き消す。
全部一緒くたに入れて、混ざり合うように……俺達の記憶も、交差しようとしていた。
不思議と、時間が経てば経つほど冷静になり、ゆっくり振り返った。
青年も少し気まずそうに離れ、左側の前髪をかき上げる。
隠れて見えなかった左耳のカフスには、見覚えのある宝石があった。
遙か昔、主様から頂いた二つの珠。その片割れだった。
所持していたのは俺と、もうひとりの従者だけ。
最期の日に手渡したことを覚えている。
ああ……。
散々雨に打たれているのに、再度水を浴びたみたいだ。フリーズしていた思考が解凍され、感情が目を覚ます。
間違いない。俺がずっと捜していた人が、ここにいる。
どうしよう、どうしよう。
────嬉しい。
込み上がる喜びをどう表現したらいいか分からず。互いに宝石に触れるも、言葉を発せずにいた。
他に観光客がいたなら、最高に奇妙な二人だっただろう。傘もささずに無言で見つめ合って……俺自身、ちょっと可笑しくて笑ってしまう。
笑いながら泣いてる。嬉し泣きだ。
やっぱり逢えた。袖で乱暴に目元を擦ると、優しく制された。慈しむように瞼に触れ、青年は静かに微笑む。
「……今の名前は、鏑木景」
その声は繊細で、表情は柔らかい。
さっき触れた部分は、初めてなのに懐かしい匂いがした。
「初めて会ったけど。……久しぶり」
遠い昔、滝の前で交わした約束がある。
このとき、無事に果たせたと分かった。
「初めまして、名田都築です。……東京にもこんな素敵な滝があるんですね」
龍が上るような滝を一瞥した後、彼に手を差し出す。
「来て良かった。お久しぶりです、景さん」
◇
生まれ変わるのに数百年。二十年かけて巡り会った。
その日は電話番号だけ交換した。ドーナツを買って、隣同士だった車に寄り、他愛のない話をした。
生まれ変わった回数は初めてということ。
互いに、そう遠くない地域に住んでること。
かつての主である龍神様を捜していること。
それらを照らし合わせて話していくうちに、二人で主様を見つけることに決めた。
今までも気が遠くなるほどの時間だったけど、ここからまた果てしない旅が始まると思った。
だが憂いはない。不安もない。ずっと止まっていた時計の針が動き出したことに、例えようのない喜びを覚えた。
「もし主様を見つけることができたら」
ドーナツを頬張り、腕を伸ばす。雨上がりの空を見上げ、改めて彼に向き直った。
「また、ここに二人で来ませんか?」
この日を忘れたくない。
二十年の全てが報われたと言っていいほど……彼と逢えたことは、俺にとって大きな出来事だった。
前世の記憶があるなんて普通じゃない。
気を引く為の嘘だと思われたり、気味悪がられたり、人に打ち明けて良いことはひとつもなかった。
否定され続けて、終いには自分がおかしいと思ったりもした。
自分のことすら疑った日々もあったけど、その度に懐かしい彼の笑顔を思い出した。
誰にも傷つけられたくない宝物だ。
目の前にいるこの青年こそ、永く想い続けた希望の結晶。
恐る恐る見返すと、彼は雨粒でぬれた眼鏡を外し、微笑んだ。
「あぁ。……必ず来よう」
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