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第56話
お土産に持たせてもらった果物を手に、雲が出てる夜空を見上げた。
「海美さんと光俊さんを見てると、やっぱり結婚て良いなあ……って思いました」
「……そうか」
景さんは、どう思ってるんだろう。
同性同士、まだ日本じゃ結婚はできないけど。いつか結婚できる日が来たら、したいと思ってくれるだろうか。
「景……」
彼に尋ねようとした瞬間、ポケットに入れてるスマホが鳴った。着信だ。
「あっやばい」
母からだ。掛けなおそうと思ってたのに、すっかり忘れてしまっていた。
「すみません、ちょっと出てもいいですか?」
訊くと景さんは頷いた。彼には申し訳ないが、急いで通話マークをスライドする。
「もしもし、母さん? 電話しなくてごめん、本当に忙しくてさ……」
『都築! 良かった、出てくれて。あなたまで倒れてるんじゃないかって、冷や冷やしたわ』
「え? 誰か、なにかあったの?」
心臓がどくんと跳ねる。不安になって待っていると、母の重たい声が聞こえた。
『一昨日、お父さんが倒れたの。一度こっちに帰ってこられない?』
その言葉を聞き、頭が真っ白になる。何とか呼吸を整え、冷静に母に尋ねた。
「わ、分かった。急ぎだよね」
『あ、別に急がなくていいわよ。来月でも再来月でも』
え。
そんな悠長に構えて大丈夫なのか?
内心困惑してると、さらに訳分からないことを言われた。
『せっかく東京にいるんだし、何か美味しいお菓子買ってきてくれたら嬉しいわ~。あ、ひとりがつまらないなら友達も連れて来たら? 女の子は駄目よ! お父さんが取り乱すから』
…………。
なるべく真剣に聞いたつもりだったんだけど、上手く処理できない。
フリーズしてる俺を不審に思ったのか、景さんが心配そうに小声で尋ねる。
「都築。どうした?」
「父が倒れたらしくて。でも母は、美味しいお菓子が食べたいみたいで。あと友達を連れて遊びに来いって言ってます」
「うん?」
言われた通りに伝えたんだけど、聞き返されてしまった。手で合図し、再びスマホを耳にあてる。
「父さんのことだけど、深刻な話じゃないの?」
『本人は深刻よぉ。ぎっくり腰だから』
「ぎ…………」
なんと言うか、海美さんと会ったときもこんなやり取りがあったな。デジャブだ。
いや、それより。
「俺が帰って、父さんが喜ぶとは思えないけど」
むしろ、顔も見たくないんじゃないか。出来損ないで逃げ出した息子の顔なんて。
けど、母はため息をついた。
『相変わらず心配性ね。……ところで、今誰かといるの? お友達?』
「あ、うん」
『ちょうど良いじゃない! あなたどうせ部屋汚くて誰も呼べないだろうし、その友達と一緒に遊びに来なさいな』
まずい。母がヒートアップしてる。
あと俺の部屋は今関係ない。確かに汚いけど、大声で喋るから絶対景さんにも聞こえたぞ。くっ……。
すると、景さんはこちらに近付き、なんとスピーカーに切り替えた。
「もしもし」
『あらっ? ……もしかして、お友達の方?』
「はい。鏑木と申します。こんばんは」
初めまして、と言って景さんは俺のスマホに手を添えた。
普段の景さんなら絶対にしないことをしてる。それに驚いて、……あと距離が近すぎて、心臓が破裂しそうだった。
『都築の母でございます。都築がいつもお世話になっております』
電話越しの挨拶勘弁してくれ。
妙に声高いし……と嫌な汗をかいていると、母はやはり、さっきの提案を持ち出してきた。
『鏑木さん、お電話でこんなお誘いをして申し訳ないのだけど……もし迷惑じゃなかったら、ご都合のいいときに都築と長野に遊びに来てくださいな。もちろん都築に案内させますから』
「か、母さん。初対面……いや会ってないけど、初めて電話する人にいきなり」
「ありがとうございます。是非都築くんと伺わせていただきます」
んなっっ。
思わず、スマホを落としかける。俺の手を掴み、景さんは爽やかな笑みを浮かべた。
電話の先からは、母の弾んだ声が聞こえた。
『本当? 嬉しいわ。楽しみにお待ちしてます!』
「いや母さん、そんなすぐには」
『都築、何をつかって帰るか連絡してね。鏑木さんの交通費も渡すから。じゃあ宜しくね!』
ツッコむ暇もなかった。電話は切れて、画面には通話終了と表示されている。
「景さん、本気ですか?」
「何が」
「俺の実家に行くって。得るものは何にもないですよ」
「あるだろ。お前が生まれ育った場所なんだから」
景さんは何の未練もなさそうに、颯爽と歩き出す。
「……」
ズバッと言いきられてしまった為、それ以上は何も言えなかった。
行っても面白いものなんてない。なのに俺の故郷というだけで、迷いなく行こうと言ってくれる。
「……ありがとうございます」
俺はやっぱり、このひとには絶対敵わない。
二週間後。
俺は景さんと待ち合わせし、実家がある山合の町へ出発した。景さんの愛車は車検に出してしまっている為、今回は鉄道の旅になった。いつも車移動だったから、これはこれで新鮮で、楽しい。
「車じゃなくて悪いな」
「いやいや、景さんが謝ることなんて何もありませんよっ。俺の方こそ付き合ってもらっちゃってごめんなさい」
レンタカーを借りようとしたのだけど、景さんも電車移動に乗り気だったからお得なパスを購入してローカル線を乗り継いだ。
とてつもない鈍行の旅。座り過ぎて腰が痛くなるレベルだったけど、景さんは涼しい顔をしてパソコンを見ていた。
この車両誰もいないや……。
のどかな田園風景。激しい揺れ。無人駅。
東京に来てせいぜい二年ぐらいなのに、もう地元の全てが懐かしい。ようやく帰ってきたんだ、という気になった。
俺の地元に前世の手掛かりもあるだろうか。ひとりでは何も気付けなかったけど、────景さんと一緒なら。
淡い期待を胸に、目的の終着駅で降り立った。
四方を山で囲まれた、日照時間の短い田舎町。至るところに水路が流れ、虫の声が聞こえる。
「ね。何もないでしょ」
笑いかけると、景さんは可笑しそうに肩を竦めた。
「食うのに困らなきゃいい」
「あはは。確かに、仕事があれば大丈夫ですかね」
駅を出て、ぐっと背伸びする。まだ十六時だが、早くも日が傾き、空は濃い赤に染まっていた。
駅から歩いて十五分ほど。四つ辻の農道を超えた先に、昔ながらの日本家屋がある。
先に連絡はしておいたけど、いざ敷地に入ると緊張した。
「どうした?」
「父が……何て言うかな、と思って」
「そんなの一つしかない」
景さんは前に踏み出し、インターホンを押した。
「おかえり、だろ」
「……」
彼も夕焼け色に染まってる。いつもと少し違う郷愁を覚え、深呼吸した。
景さんの言う通りだ。深く息をつき、引き戸を開けた。
「ただいま」
「あ! おかえり、都築。遅いから連絡しようかと思ってたの」
中へ入ると、すぐに髪をひとまとめにした母が出迎えてくれた。
若いうちに自分を産んだ母は、同年代と比べてエネルギッシュで、明るいを通り越し騒がしいひとだ。お調子者で新しいもの好きな為、人と関わることも大好き。
景さんを見ると、満面の笑みでお辞儀した。
「鏑木さんですね。初めまして、都築の母です。お電話では無理を言って申し訳ありませんでした」
戸を閉め、二人のやり取りを見守る。
「遠いところからお越しくださって、本当にありがとうございます」
「とんでもない。こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」
景さんは尋常じゃない営業スマイルを浮かべ、母に手土産を渡した。
というか景さん……すごくハキハキ喋るし、息するように笑ってる。もはや役者の域だと思った。
プライベートの景さんしか知らないから驚いたけど、仕事中はいつもこうなのかもしれない。よく考えたら自分からバリバリ仕事とりに行ってるし、コミュニケーション苦手なわけないか。
自分の知らない彼を目にしたことが軽く衝撃だったけど、母は目をきらきらさせながら耳打ちしてきた。
「ねえ都築。鏑木さんて芸能人みたいにかっこいい方ねぇ……お母さんびっくりしちゃった」
出逢った当初の俺と全く同じ反応だ。
おまけに紙袋の中のお菓子を見ると、その場で飛び跳ねそうなほど喜んだ。
「あら! このお菓子大好きなんです。嬉しいわ!」
「それは良かった。都築くんも一緒に選んでくれたんですよ」
「まぁまぁ……都築の顔まで立ててくださって、本当に素晴らしい方」
すっかり景さんを気に入ったらしく、母は嬉しそうにスリッパを用意した。
「都築、お部屋片付けておいたから景さんをご案内して。夕飯ができたら呼ぶからね」
「ありがとう。ところで、父さんは?」
「奥で休んでるわ。だいぶ良くなってきてるから、後で声掛けてあげて。喜ぶわよ」
「どうかなあ……」
ひとまず階段を上がり、景さんを二階に案内した。
俺が以前つかっていた部屋は、大人が数人布団を敷いても問題ないほど広々としてる。
「隣も空き部屋です。襖ひとつ挟んでるだけなので、そっちで過ごしても良いし、ここで良ければ布団敷きますよ。二枚」
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