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第61話
「はぁ~。もう帰っちゃうなんて、寂しいわぁ。鏑木さん、またお休みがあったら都築と遊びに来てください」
「ありがとうございます。……むしろご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
早朝、晴天。
都築と景は名田家の前で別れの挨拶をしていた。
景は気まずそうに俯き、都築の母に頭を下げる。
「風邪をひいて寝込むことになって……」
「いいのよ。夜中に都築とずぶぬれで帰ってきた時は何事かと思ったけど」
「深夜に土地勘のない山に入るなんて自殺行為だからな。都築、お前は反省しろ」
「はい……すみません」
母と父それぞれに頭を下げ、俺と景さんは鞄をしょいなおした。
前世で過ごした山から無事に帰ったものの、俺達は風邪をひいて一日半布団でダウンする羽目になった。
その間は母さんが看病してくれたから、申し訳なくて頭が上がらない。
滞在予定は長引いた……けど嬉しかったたのは、父が以前と同じように歩けるようになっていたことだ。見送りまでできるようになって、ホッとしている。
「都築、忙しくてもご飯はちゃんと食べるのよ。ああでも不安だわ……部屋の写真見せてもらったら、思ったとおりゴミ屋敷だったし」
「洗濯物たたんでないだけだよ。ゴミではない」
「踏み場がなくて物が積み重なってたらゴミ屋敷と変わらないのよ!」
俺と母が論争してると、景さんはまた持ち前の爽やかスマイルで仲裁してきた。
「都築くんはダブルワークで、家事をする余裕がないようなんです。なのでこれからは、俺が彼を支えますよ」
「支え?」
「はい。都築くんさえ良ければ、どうせ……同居しようかと」
ど。どどど……同居!?
聞き間違いかと思って振り向くと、景さんは母さんとにこやかに話していた。
「あら~! なんて素敵な提案かしら。鏑木さんみたいにしっかりした方が都築の傍にいたら、もう何も心配ないわ。ふつつかな息子ですが、これからも宜しくお願いします」
何か違うって、それ。
全力でツッコみたかったけど、何故か父さんも沈黙している。少なくとも異議のある感じではない。
「都築、鏑木さんと住み始めるときは連絡してね」
「分かったから。いやまだ分からないから……! とにかく帰ったら連絡するよ!」
恥ずかしくて、景さんの腕を掴んで退散しようとする。
母さん達は可笑しそうに笑った後、こちらに向かって手を振った。
「頑張ってね、都築」
「迷惑かけないようにな」
……っ。
いつもなら上手く反応できず、逃げようとしてしまう言葉。
でも鼓舞してくれる彼らの優しさが、今はどうしようもなく嬉しく、心強かった。
「うん。二人とも、身体気をつけてね」
「……本当にお世話になりました。失礼します」
景さんも最後に一礼し、実家を離れた。
また何時間もかけて東京に戻ると思うと、ちょっとげんなりする。
「景さん、長野駅まで行ったら新幹線乗ります?」
「俺は在来線でも良いぞ」
「景さんほんとスタミナありますよね」
ま、俺も平気だけど。
せっかく彼がのんびりで良いと言ってくれてるから、腕を伸ばして流れる車窓を見つめた。
左手のブレスレットを揺らしながら、景さんの左耳に触れる。
「俺の地元、得るもの結構ありましたね」
「あり過ぎだな」
景さんはスマホをいじる手を止め、周りを見回した。相変わらず誰もいない車両で、俺の頭を撫でる。
「二人で行ったから思い出せたことだ。……もしかしたら、主も会いにきてくれてたのかもしれない」
「……うん」
誰もいないのを良いことに、彼の肩に頭を乗せた。
「俺、村の人達を助けられて本当に良かった、って思ってます」
「都築……」
「ただ、あなたを置いて先に死ぬこと……それだけが心残りだった」
彼の手に自身の手を乗せ、強く握った。
「ごめんなさい、景さん」
「大丈夫だって。……約束通り、お前から迎えに来てくれただろ」
時代を超えても、姿と名前が変わっても。
目が眩みそうなほどの群衆の中、雨にぬれながら捜し続けてくれた。
彼はそう言って、頬を赤らめながら微笑んだ。
「生まれ変わっただけで充分なのに。ありがとな」
「だから、甘やかし過ぎですよ。……でも、ありがとうございます」
記憶を取り戻しても、俺達の言葉遣いは変わらない。
この世界で手に入れた距離感を大事に、これからも共に歩き続ける。
◇
「あれ? 名田くんって今日休み?」
「ええ。前々から言ってた希望休で……どこか行くのかもしれませんね。何だか嬉しそうだったから」
止まってるようで、環境も目まぐるしく変わっていく。
都築が入社した会社では、二人の社員が頷き合っていた。
あいにくの雨。……ではなく、心躍る雨の日。
都築は休みを取り、鼻歌を唄いながら車を走らせていた。
どうしても今日は来たい場所があった。レンタカーを借りて二時間ほど走り、山間部にあるがらがらの駐車場に入る。奥にクラウンが停まっていた為、迷った末となりに停めた。下手したら煽ってるみたいだけど、見覚えのあるナンバーだった為ほっとする。
ここに来たのは二回目だ。坂を下り、細いが整備された川沿いの道を進む。
高い木々に囲まれ、見えてきたのは小さな滝。それを通り越し、さらに奥の岩場を、鎖を掴んで上っていく。
雨の日でも変わらない、透き通ったエメラルドグリーンの滝つぼ。
そして、その前に佇む青年の横顔に目を奪われた。
どう声を掛けようか迷ってると、彼はポケットに手をつっこみ、滝を見上げた。
「色々回った滝の中で、ここはそのまま飛び込めそうだから好きだ」
「飛び込んじゃ駄目ですよっ!」
「でも止めてくれるだろ?」
彼は振り返り、肩を揺らして笑った。
会うのは久しぶりの恋人、景だ。
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