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第3話 おかえり、先輩くん

「えっ、ちょっと待って、何?」 「先輩、すみません、さよなら……っ」  この世の終わりみたいな口調になっていたからだろうか。先輩がちっとも、離してくれない。無理矢理乱暴にはぎとることもできない。どうしたらいいんだ。 「何お前、さよならって……そのトーンで言われると怖いんだけど。どしたんだよ?」  先輩はその綺麗でカッコいい顔を、少し曇らせて、オレを見上げてくる。 「なんか悩みでもある? オレでよければ、聞くよ……ていうか、これ置いてくなよ」  先輩は、優しくそんな風に言ってくれるが、なんだかぬいを、先輩の手からオレが受け取っていい気がしない。 「……よく考えたらオレが持ってたら、かわいそうな気がしてきたので……っ」 「は? なに言ってんの?」 「ちょっとオレ、姿を消しますから……」 「は? 何々、怖いって」 「……でもオレ結局、絶対チキンなので、死ねないと思うので、安心してください」  オレは何を言ってるんだろうと自分でも思うが、とりあえず、ここから走り去って、しばらくの間、先輩と顔を合わせないところに行きたい。  それしか、考えられなくなっていた。そんなオレを見上げて、先輩は、首を傾げる。 「は? なんなのお前、さっきまで、超ご機嫌な笑顔で座ってるから話しかけたのに……後ろから近づいて驚かせて悪かったけど。あ、あれか。五月病が遅れて六月に来てるとか? 情緒不安定だったりする?」  まあまあ座れよと、ベンチに座らされる。 「とりあえず、これ、ほら持って」  オレの手の上に帰ってきた「先輩くん」。  ……おかえり、と思う。ぬいへの愛情はめちゃくちゃあるから。  でも、これが先輩の手にあったという衝撃が消えそうにない。 「見られたくなかった? 人形もってたとか、別に誰にも言わないから大丈夫だよ? てか、そんなの、鞄につけてる人も結構いるじゃん?」 「……そう、ですね……」 「それにそれ、すげー可愛いし。愛情こもって作られてる感、あるし」  ……たしかに愛情だけは。中に入れてる綿よりも、めいっぱいこもってます。  ぎゅ、と「先輩くん」を握りしめる 「ていうか、それ、むしろオレ、既視感があって――――」  クスクス笑ってた先輩が、ん? と自分の発言に首を傾げた。 「……まさかだよな」  んー、と先輩が顎を押さえて、首を傾げている。  いよいよ、真面目に消えたくなってきた。 「変なこと聞いていい?」  嫌です。心の中で、はっきりと答えたオレに、先輩は、続けて聞いてくる。 「勘違いだとは思うんだけど一応聞いとくね。それってさ」 「……」 「オレ、だったりしないよな?」 「……」 「なーんて、そんな訳ないよね」 「……ぐふっ……」  息を止めていたが耐えられなくなって、変な声が漏れた。  半信半疑で聞いてきてただろう先輩は、オレを見て、目をぱちくりさせている。 「ち……っっち、がいます……」  あ、そう? と考えてる先輩。  ……騙されてくれる? と思ったら、じろ、とオレを見て、先輩が苦笑いを浮かべた。 「いやいや……無理がない? もう肯定してるみたいなもんでしょ。だからさっきから、消えるとか言ってた訳か。……ふうん、なるほど……」  先輩がどう思っているか、表情からはまったく読めない。  先輩はいつも通りとてもフワフワ優しくて、全然嫌そうにも見えないのが謎だけど。  心の中ではきっと、オレのことを死ぬほど気持ち悪いと思って、引いているに違いない。  もうこれは、死ぬしかないのではなかろうか。  ……だって、オレってば、ほんとヤバい奴だよな。  先輩をめちゃくちゃ可愛くして、常におまもりとして持ち歩いて、心のよりどころにして、可愛がって、ニヤニヤして……はーよく考えてみたら、マジで気持ち悪い。なんなの、絶対こんな奴、だめじゃんね。  オレが心を込めて作っちゃったぬいを、先輩の綺麗な目に触れさせるとか、この世で一番しちゃいけない愚行じゃんね。あーまじで最低。  もう先輩、ほんとにすみません。  気持ちわるい思いさせて。  先輩の、人生で気持ち悪い出来事の、多分ナンバーワンを取得したに違いないし、これから先も、その地位は永久にオレのものかもしれない……。  あー、どうしよう。このぬいがトラウマになって、先輩がこういうぬいを見るたびオレのこと思い出して、「キモッ」ってなって、もう一生ぬいを見られない体になって、最後は世捨て人に……あああぁぁ……。  ドツボにはまりまくっていたオレの手から、ふ、と「先輩くん」が抜き取られた。  え?  空になった手を見つめた後、先輩の方を恐る恐る見ると。  先輩は、太腿に置いた手の中にそれをのせて、しばらく眺めた後。 「はは。可愛い」  そう言った。  ――天使なのかな、この人は。と咄嗟に思った。  普通なら絶対、ありえない事態だと思う。  例えば、来年サークルに入ってきた後輩が、突然オレのぬいを作ってて、手に握りしめて笑ってたら……どうするだろう。考えたことも無かった。  そうだな……よく考えろ。  ……いや、ぞわぞわするくらい、気持ち悪い出来事だろう。  もう、ぜっっっったいに、ぬいを没収して、神社とかの供養に出すとともに、  もう二度と作らないという誓約書を書かせると思う。

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