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混沌(こんとん)

二人は人通りの少ない夜道を歩いていた。匠は少し前を歩き、遙はそのすぐ後ろをゆっくり付いていく。 「……そういえば」 不意に後ろから響く、低く静かな声。 「何だよ……」 匠は顔を背けたまま、足を速める。 「……合コンは楽しかったか?」 「っ……!?」 足が一瞬止まりかけるが、すぐにまた歩き出す。 「べ、別に……普通だった」 声が少し裏返り、パーカーのポケットの中で指をギュッと握り締める。 「……そうか。是非、俺も参加したかった」 遙の声は淡々としているようで、奥底に何か分からないものが潜んでいた。 「何だよそれ……つうかさ、何で知ってんだよ……」 振り向こうとするが怖くて顔を向けられない。鼓動が酷く煩い。 「……やはり、異性と居た方が楽しいか?」 「は!?そりゃそうだろ!」 思わず声を張り上げ、とうとう振り向いた。そこには静かに、でも底知れない光を宿す遙の瞳。 「いや、俺は……ただ、君が……」 遙の言葉が途中で切れ、歩みが一歩近づく。 「な、何だよ……」 匠は一歩後ずさるが遙の青灰の目から逃れられない。その瞳に射抜かれ全て見透かされている気がして。 「今日あまり楽しくなかったんだろうな……と、そんな気がした」 その言葉が妙に優しく響き、心の奥を強く揺さぶった。 「なっ……!!」 「君の笑顔は……とても貴重だ」 遙が更に一歩近づいた瞬間、匠は慌てて背を向け足早に歩き出す。 「うっせぇな!……つうか、意味分かんねぇ!」 真っ赤に染まった耳が夜道の街灯に照らされていた。その後ろ姿を、遙は静かに微笑みながら追いかける。 (……可愛いな……本当に) 匠は赤くなった顔を隠すように背を向け、更に早足で歩く。頭の中は、さっきの言葉でめちゃくちゃだ。 (……何なんだよ……あの目……あの声……) 足早に進む中、ふと無意識に口が開いた。 「アンタは、合コンなんか行かなくても女の子に困って無さそうだよな」 言った瞬間、ハッとした。一歩、二歩と足が止まる。背後で静かに足音が近づいて来る。遙は一歩一歩、音を立てて匠の背に迫る。 「……それは、どういう意味だ?」 低く、優しいのに冷たく響く声。 「い、意味なんかねぇよ、普通にそう思っただけ!!」 慌てて振り返らずに手をバタバタと振る匠。遙はすぐ傍まで来てそっと耳元で囁く。 「……嬉しいな、君にそう言われると」 「っ……!!」 息が詰まる。鼓動が、もう限界なくらい暴れている。緊張か恐怖か、もう何が何だか分からない。 「だが生憎、俺は君以外に興味が無い……」 遙の声は柔らかいのに、背筋が凍るような重さがあった。 「な、何言って……」 顔を真っ赤にし、匠は更に早足で歩き出す。 (マジで何なんだよ……コイツの言ってる事が全然分かんねぇ!) 後方で聞こえる遙の小さな笑い声が夜風に溶けて消える。匠は、もはや完全に後ろの遙の気配に飲まれていた。抑えきれない、よく分からない気持ちが、ついに爆発する。 「……俺以外に興味無いって、どういう意味だよ」 振り返りざま、勢いよく声を張り上げる。 「つうかアンタ、もしかしてホモか!?わ、悪いけど、俺はホモじゃねぇんだ!!」 顔を真っ赤にして目をギラギラさせる匠。 「そんな趣味……俺は、ねぇからな……」 最後の一言は小さく、ほとんど自分に言い聞かせるように絞り出した。沈黙が夜の街に落ちる。匠は肩で息をしながらギュッと拳を握る。遙は少し首を傾げ小さく笑った。その微笑みは静かで、けれど底知れない甘さと狂気を孕んでいる。 「……ふふ、そうか」 「……な、何だよ」 「いや、ただ……可愛いな、と思っただけだ」 「なっ……!?」 匠は完全に顔を真っ赤にし、ガタガタと震える。 「ふ、ふざけんな!馬鹿にしやがって!」 その声は怒りとも羞恥ともつかない、ぐちゃぐちゃな叫び。遙は一歩近づき、ゆっくりと匠を見下ろす。 「……君の性別は関係無い。俺は君だから惹かれるんだ」 「っ……!!」 匠はもう何も返せず、その場で小さく蹲るように顔を伏せるしかなかった。夜の冷たい風が吹き抜けても、匠の顔からは熱が引かない。 「アンタが興味あんのは……俺の絵じゃなかったのかよ……」 匠の声は怒鳴るというよりも、ほぼ泣きそうなほど震えていた。視線は逸らしたまま拳を強く握り締める。遙は静かに匠の言葉を聞いていた。そしてゆっくりと一歩近づく。 「勿論、君の絵にも興味がある。だが俺が欲しいのは……君そのものだ」 「はっ……!?」 息を呑む匠。その瞬間、ずっと張っていた糸が切れそうになる。 (何なんだよコイツは……変な奴じゃなくてヤベー奴じゃん!!) そうこうしているうちに、二人は煌びやかなライトに照らされた高級レストランの前に着いていた。 「まさか……ここ入んの……?」 驚きと戸惑いが混ざった声を漏らす匠。ガラス張りの扉の向こうには、落ち着いた照明と丁寧に整えられたテーブルが並んでいる。遙は淡い微笑を浮かべ、扉を開けながら言った。 「さあ、行こうか。君の為にちゃんと予約してある」 「予約!?」 頭が真っ白になる匠。言葉を返す余裕も無い。 「待って、俺……」 「大丈夫だ。ドレスコードも、テーブルマナーも必要無い。それに、もし君がどうしても帰りたくなったら、いつでも帰っていい」 優しく響く声。けれど、その瞳の奥には逃がす気など微塵も感じられない狂気の光が潜んでいた。 「うっ……」 戸惑いと恐怖。そして何処かで感じる奇妙な安心感に、匠はぐちゃぐちゃな心情を抱えながら一歩、また一歩とレストランの中へ入っていった。

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