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吐露(とろ)

食事を終え外に出ると夜風が優しく頬を撫でる。冷たい風が火照った顔と胸の奥のざわつきを少しだけ和らげた。 (クソ、何だよこの胸焼けみてぇな感じ……) 胃が重いのは合コンでも、高級料理のせいでもない。あの低く甘い声、まっすぐな瞳、絡みつくような視線全てが匠の中にずっと居座っていた。ふと目の前を歩く遙の銀色の長い髪が風に揺れる。街灯に照らされて、まるで月光を編んだように滑らかで美しい。 (改めて見るとコイツ……男なのに、めちゃくちゃ綺麗な顔してんな……) 気づけば匠は無意識に魅入られていた。 「……どうした?」 遙が立ち止まり振り返る。切れ長の青灰色の瞳が、じっと匠を見つめる。 「なっ、何でもねぇよ……」 慌てて顔を背け手をバタバタと振る匠。けれど、その耳まで真っ赤になった様子は誤魔化せなかった。遙は、ゆっくりと微笑み再び前を向いて歩き出す。 (でも……やっぱり、綺麗だな……) 胸の奥で匠は自分でも気づかないほど、小さな声でそう呟いていた。レストランを出て歩き出した途端、遙が足を止める。 「……少し、酔ってしまった様だ」 低く落ち着いた声。でも、その目は酔ってなどいないように見える。むしろ、底知れない静けさを湛えていた。 「なっ!?お前、今平気な顔してんじゃん!!」 「……ほんの少し、休みたい。付き合ってくれないか?」 「は、はあ!?俺はもう帰るって……」 言い終わらないうちに、遙がゆっくりと振り返る。夜の街灯に照らされた銀髪がふわりと舞う。 「……お願いだ、匠くん」 その声は妙に優しく、けれど抗えない強さがあった。匠の言葉が喉の奥で止まる。 「わ、分かった……マジで少しだけな」 有無を言わさず匠の返事を聞くと同時に、遙は歩き出す。 (……クソッ……早く帰りたいのに……!!) 心の中で何度も文句を叫びながら匠は仕方なく後を追う。やがて二人は静かな公園に着く。夜風に揺れる木々の音と、遠くの街の灯りが仄かに見える。遙は木製のベンチに腰掛け隣を指差した。 「……座ってくれ」 「お前さ、マジで酔ってんのか……!?」 「ふふ……さあ、どうだろうな」 含み笑いを浮かべる遙に、匠は顔を真っ赤にしながら渋々ベンチに腰を下ろした。虫の声と、木々の揺れる音だけが響いている。遙はワイングラスを持つ手と同じように優雅に手を組んで前を見つめていた。匠は隣で落ち着かない様子で指先を弄る。 「……実は、最近フラれたんだ」 突然、遙が静かに口を開く。 「えっ!?」 匠は思わず顔を上げた。だが遙は視線を前に向けたまま淡々と続ける。 「完璧で理想的だ……って、ずっと言われていた。でも、結局は理想と違った……と、言われてしまった」 低く静かな声。何処か遠くを見ているような瞳。匠は言葉を挟めず、ただ空気を読むしかなかった。普段なら興味無さそうに「ふーん」と返すかもしれない。でも、今は何故か言葉が出てこなかった。 「……どんなに尽くしても突然、必要とされなくなるんだ」 遙はフッと笑ってみせる。それは乾いた笑みで何処か危うく、切ない。匠は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。 「……実際、そういうもんだろ、人間なんて。絶対なんてねぇし、いつか裏切られる……」 絞り出すように小さな声で呟く。同情するつもりでは無かった。無意識に、自分自身にも言い聞かせるように。遙は、ゆっくりと匠の方へ視線を移す。青灰色の瞳が優しく、けれど深く匠を射抜く。 「……そうだな」 呼吸が止まりそうになる匠。遙の顔は月光に照らされ哀愁が更に色濃く染まっていて、それはとても美しい絵画のよう。匠は俯き、拳を膝の上でギュッと握り締める。心臓が喉までせり上がってくるような感覚に襲われるが、何故か今すぐに自分が思った事を言わなきゃいけない気がした。 「俺は……よく分かんねぇけどさ……」 小さな声。夜の闇に吸い込まれてしまいそうなほど、か細い声。 「理想だとか、そんなモン、どうでもいいと思う……」 遙の瞳がゆっくりと見開かれる。一瞬だけ、青灰色の中に柔らかい光が灯った。 「……アンタは、アンタだろ……」 小さく呼吸を整えようとするが上手くいかない。それでも何とか自分なりに言葉を紡ぐ。 「上手く言えねーけどさ!」 最後に少し、はにかんで話す匠の横顔を月明かりが照らす。琥珀色の瞳が揺れて普段の鋭い光は、今は何処にもない。 「……っ」 遙は何かを飲み込むように目を伏せる。そして静かに、でも確実に匠の手を取った。 「……有難う」 その声は微かに震えていた。匠は驚いて顔を上げる。遙の青灰色の瞳までが夜の闇に溶けるように細かく揺れている。 「……君は、本当に……」 静かに呟き、匠の手を更に強く握る。 「……狡いな」 低い声だが、それは今までにないほど儚い声色。口角が僅かに上がったかと思えばすぐに真顔に戻る。 「……俺は昔から、理想の存在と云うのを演じてきた。誰かに必要とされる為に、完璧を作り上げてきた。……しかし結局はこのザマだ」 指先に力が入り、匠の手に熱が伝わる。 「でも君は……今俺を色眼鏡で見ていない……」 匠は言葉を失い、ただ息を呑む。 「……本当は怖かった。俺が、誰かに自分を見せる事なんて、ずっと……」 遙は初めて弱さを滲ませる表情で匠を見つめた。 「……でも、君には……全部、見られても良いと改めて思った」 夜風が二人の間を通り抜ける。月夜の下、遙の長い銀髪が静かに揺れる。 「だから……もう、君を離したくない」 その声は甘く、優しく。けれど底無しの深い狂気を孕んでいた。 「……ずっと、傍に居て欲しい」 匠は伏し目がちに遙の手をそっと離す。その瞳をまともに見れない。震える肩、握られていた手の熱、頭の中はぐちゃぐちゃ。そしてゆっくりと、小さく息を吐いた。 「言っただろ……」 か細く、でもはっきりとした声。 「……俺はホモじゃねぇんだって」 夜風がふっと吹き抜ける。遙の瞳が小さく揺れる。 「でも……」 その声に、遙が僅かに期待を込めて息を呑む。 「……友達なら、別に……」 顔は赤く、視線は落ちたまま。それでも声には優しさが滲んでいた。拒絶じゃない。完全に受け入れる訳でもない。でもそれは小さな許しの欠片。遙はその言葉を噛み締めるように、ゆっくり目を閉じた。 「……有難う。好きになって貰えるよう頑張る」 低い、決心したような声。そして、離された手をまた掴む。匠は掴まれた手を見つめ指先が熱くなっていくのに気づく。 (何だよこのドラマのワンシーンみてぇな空気は……) 心の奥で、言葉にならない何かが静かに震えていた。 「すっかり遅くなってしまったな、送ろう」 夜風に銀髪を揺らしながら遙が静かに言う。 「は!?いいって!!別に俺、一人で帰れるし!!」 慌てて振り返る匠。だが遙は一歩も引かない。 「心配だ。……君に何かあったら困る」 「んなっ!?」 その声は甘く、優しく。しかし裏に張り詰めた執着が潜んでいる。 (本当はただ、俺の家知りたいだけとか言わねぇよな……) 匠は心の中で叫ぶ。けれど言葉には出来ず唇を噛む。 「チッ……勝手にしろよ」 小さく吐き捨てるように言って歩き出す匠。その後ろを遙は、ゆっくりと、でも絶対に逃がさない距離感で付いてくるのだった。 静かな住宅街。二人は遂に匠の住むアパートの前に辿り着く。 「もう、ここでいいから……」 小声で告げるとパーカーのフードを深く被り顔を隠そうとする。遙は静かに周囲を見回し、小さく微笑む。 「……ふむ、閑静な住宅街。良い場所に住んでいるな」 「お、お前……やっぱり、これが目的で……」 「ふふ……そんな訳が無いだろう」 余裕たっぷりの声。だがその青灰色の瞳には、もう完全に支配欲が滲んでいる。匠は顔を真っ赤にして走り出し、自分の部屋の前に着くと鍵穴に鍵を差し込み、解錠するとドアノブに手を掛ける。 「……じゃ、じゃあな!!もう帰れよ!!」 「匠くん」 低く優しい底無しの声が遠くから背中に降りかかる。 「……また、君の声が聞きたい」 「っ……!!」 ドアノブを捻る手が一瞬止まる。 「……君の絵も、笑顔も、全部……俺だけのものにしたい」 「まだそんな事言って……」 身体が硬直する匠。心臓は耳の奥で爆音を鳴らす。 「また連絡してくれるか?」 囁くような声。それは約束でも、命令でも無い、呪いのような甘さを含んでいた。 「……気が向いたらしてやるよ!」 振り絞った声でそう叫ぶと匠は勢いよく玄関を開け中に飛び込んだ。扉の向こう、息を切らしてしゃがみ込む匠の耳に遙の低い笑い声が微かに届いた気がした。 (あーもう、めちゃくちゃだよ……!) 胸の奥が妙に熱く、そして疼いていた。

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